こんにちは、rekikakkunです。
箕輪城を探訪します。
<探訪3>前橋城
朝7:30、ちょっと肌寒いですが
秋晴れの心地よい朝、
前橋駅からほど近いホテルから、自転車で
北上し、広瀬川経由で前橋城に向かいました。
文学の石碑などが並び、遊歩道が整備
されている風情ある川で、のんびりと
サイクリングが出来ました。
(特に川の両側に遊歩道が途切れなく整備
されていたのが、感心させられました)
さて現在も県庁所在地で要の地である前橋城です。
戦国時代は厩橋城と言われており、長野氏が
築城し厩橋長野氏と言われていますが、色々
な説があるとの事です。
永禄3年(1560年)に上杉謙信が関東進出の拠点と
して厩橋城を接収しましたが、地図を見ると、北の
新潟方面から関東に侵攻した場合、沼田と厩橋間を
押さえていないと帰るの、大変になってしまいます。
しかし厩橋城、また江戸時代に前橋城と名が変わって
からも、利根川の氾濫、浸食により度々機能停止に
なったり、幕末に再興してすぐ維新により廃城に
なったりして、現在は遺構が少ない様です。
その中で、県庁の周辺にある土塁跡は結構
大きくて見応えがありました。
あと(写真3)の縄張り図中央にある半円形の馬出がある
⑤と⑥の位置ですが、その車橋門跡の石垣が、
位置こそ少し移動してますが残っています。
その後、8:30より入場できる群馬県庁の
32F展望フロアーに行きました。
見ることが出来ました。
予約なしで誰でも入れますので、時間があれば是非。
その後ホテルに戻って、9:30頃車で箕輪城へ向かいました。
<探訪4>箕輪城
前橋駅近くから北西の方向に車でちょうど
30分位で箕輪城に到着しました。
お城好きならあまりにも有名な箕輪城、
私の適当な説明は省きますね m(_ _"m)
全体図だけは載せます・・・手抜きか(笑)。
下の(写真7)搦手口駐車場は、上の(写真6)では
真ん中下の史跡箕輪城跡駐車場です。
流石の箕輪城、50台を超える大きな駐車場でした。
あとで述べますが、この搦手口駐車場から
入場するがおすすめかと思います。
(立地が高くて、主要部にも近いので)
さて搦手口駐車場からは二の丸、本丸まですぐです。
本丸からそのまま歩いて北側に御前曲輪があります。
箕輪城で最も行きたかった場所です。
戦国時代、西上野の要として、甲斐の武田軍の侵攻
を何度も防いでいた箕輪城は、1566年(永禄9年)
遂に力尽き、攻め落とされます。
その際、名将長野業正の息子である城主長野業盛
及び多数の籠城者が自害した場所が、この曲輪と
言われています。
現地は雰囲気もあり、戦国の悲哀を感じると
共に、冥福を祈りました。
そして本丸と御前曲輪の周囲は大きな空堀となっていて、
歩くことが出来ます。
伐採等すごく整備に力を入れたのが分かります。
ありがとー👍
ただ御前曲輪の背後の空堀が少し不気味に感じました。
そして、二の丸の前方(南側)にある郭馬出西虎口と大堀切。
(写真12~16)が箕輪城有数の見所でしょうか?
確かに迫力満点です。👍
(写真12)の門を入って先に進み、振り返ると
上の(写真13)の右側の大堀切を土橋から見ると・・・
うお、深い、でかい・・・。
この大堀切は(写真14)に見える様に階段があって、
降りることが出来ました。
大堀切に降りると、こんな感じです。
こりゃ~上に城兵が居たら、生きた心地しません(笑)
(写真16)のところに居ましたら、、、
汗だくになっている方が、ここはどこですか?
と声を掛けてくれました。。。
実はこの大堀切は堀切内を歩くことが出来て、
登って来た様です。
歩くつもりは無かったのですが、せっかくですから
下りてみました。(写真17、18)参照。
登るの、めちゃ大変だったの、納得しました。。。
私もこの直線的な坂を登っていたら
へばってましたね(笑)
ってそもそもこんなデカくて長い堀切
どうやって作ったの?Σ(゚Д゚)
下りると大手虎韜門口駐車場に出ました。
(りくとうさんりゃく)が語源らしい。
六韜と入力しないと韜の字が出ない(汗)
結論⇒大堀切は登らず、行くなら下った方が良いですよー
・・・たまたま知っただけです( ^ω^)・・・
しかし流石の箕輪城、1回ではちょっと
終われず、2回に分けます。
ご鑑賞ありがとうございました。m(_ _"m)