歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

群馬県 歴史探訪2 上州要の城 前橋城と箕輪城 (1/2)

こんにちは、rekikakkunです。

 

群馬県歴史探訪2日目は前橋城(厩橋城)と

箕輪城を探訪します。

 

<探訪3>前橋城

  朝7:30、ちょっと肌寒いですが

  秋晴れの心地よい朝、

  前橋駅からほど近いホテルから、自転車で

  北上し、広瀬川経由で前橋城に向かいました。

 

  広瀬川萩原朔太郎を初め、郷土の詩人、

  文学の石碑などが並び、遊歩道が整備

  されている風情ある川で、のんびりと

  サイクリングが出来ました。

  (特に川の両側に遊歩道が途切れなく整備

   されていたのが、感心させられました)

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(写真1)風情ある広瀬川
(撮影下手な私にしてはまあまあかな?)

 

    さて現在も県庁所在地で要の地である前橋城です。

 戦国時代は厩橋城と言われており、長野氏が

 築城し厩橋長野氏と言われていますが、色々

 な説があるとの事です。

 永禄3年(1560年)に上杉謙信が関東進出の拠点と

 して厩橋城を接収しましたが、地図を見ると、北の

 新潟方面から関東に侵攻した場合、沼田と厩橋間を

 押さえていないと帰るの、大変になってしまいます。

 実際、東の赤城山系、西の榛名山系にバックにした

 厩橋雄大な立地は重要な拠点と感じられました。

 

 しかし厩橋城、また江戸時代に前橋城と名が変わって

 からも、利根川の氾濫、浸食により度々機能停止に

 なったり、幕末に再興してすぐ維新により廃城に

 なったりして、現在は遺構が少ない様です。

 その中で、県庁の周辺にある土塁跡は結構

 大きくて見応えがありました。

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(写真2) 前橋城土塁跡 (ちょっと遠かった)

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(写真3) 前橋城縄張り図

 あと(写真3)の縄張り図中央にある半円形の馬出がある

 ⑤と⑥の位置ですが、その車橋門跡の石垣が、

 位置こそ少し移動してますが残っています。

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(写真4)前橋城 車橋門石垣跡

 

 その後、8:30より入場できる群馬県庁の

 32F展望フロアーに行きました。

 赤城、榛名山系、碓氷峠等の雄大な景色を

 見ることが出来ました。

 予約なしで誰でも入れますので、時間があれば是非。 

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(写真5)群馬県庁展望フロアーから利根川と北方向の沼田方面を見る

  その後ホテルに戻って、9:30頃車で箕輪城へ向かいました。

 

<探訪4>箕輪城

   前橋駅近くから北西の方向に車でちょうど

   30分位で箕輪城に到着しました。

   お城好きならあまりにも有名な箕輪城

   私の適当な説明は省きますね m(_ _"m)

   全体図だけは載せます・・・手抜きか(笑)。

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(写真6) 箕輪城全体図


   下の(写真7)搦手口駐車場は、上の(写真6)では

   真ん中下の史跡箕輪城跡駐車場です。

   流石の箕輪城、50台を超える大きな駐車場でした。

   あとで述べますが、この搦手口駐車場から

   入場するがおすすめかと思います。

   (立地が高くて、主要部にも近いので)

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(写真7)箕輪城 搦手口駐車場

  さて搦手口駐車場からは二の丸、本丸まですぐです。

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(写真8)箕輪城 本丸跡
(広いですねー。周囲には土塁があり、そこを歩けました)

 

 本丸からそのまま歩いて北側に御前曲輪があります。

 箕輪城で最も行きたかった場所です。

 戦国時代、西上野の要として、甲斐の武田軍の侵攻

 を何度も防いでいた箕輪城は、1566年(永禄9年)

 遂に力尽き、攻め落とされます。

 その際、名将長野業正の息子である城主長野業盛

 及び多数の籠城者が自害した場所が、この曲輪と

 言われています。

 現地は雰囲気もあり、戦国の悲哀を感じると

 共に、冥福を祈りました。 

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(写真9)箕輪城 御前曲輪跡


 そして本丸と御前曲輪の周囲は大きな空堀となっていて、

 歩くことが出来ます。

 伐採等すごく整備に力を入れたのが分かります。

 ありがとー👍

 ただ御前曲輪の背後の空堀が少し不気味に感じました。 

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(写真10) 本丸周囲の空堀(御前曲輪の北側位)

 

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(写真11) 本丸と三の丸間の空堀に建築中の橋

 

 そして、二の丸の前方(南側)にある郭馬出西虎口と大堀切。

 (写真12~16)が箕輪城有数の見所でしょうか?

 確かに迫力満点です。👍

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(写真12) 郭馬出西虎口門

 

  (写真12)の門を入って先に進み、振り返ると

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(写真13) 二の丸から見た大堀切と土橋、
その先が郭馬出と西虎口門

 

  上の(写真13)の右側の大堀切を土橋から見ると・・・

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(写真14) 郭馬出西虎口と大堀切

 うお、深い、でかい・・・。

 この大堀切は(写真14)に見える様に階段があって、

 降りることが出来ました。

 大堀切に降りると、こんな感じです。

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(写真15) 大堀切の下から郭馬出西虎口を見上げる

 こりゃ~上に城兵が居たら、生きた心地しません(笑)

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(写真16) 大堀切から土橋を見上げる
(正面が土橋、右側が郭馬出、左側が二の丸)

 (写真16)のところに居ましたら、、、

 汗だくになっている方が、ここはどこですか?

 と声を掛けてくれました。。。

  

 実はこの大堀切は堀切内を歩くことが出来て、

 登って来た様です。

 歩くつもりは無かったのですが、せっかくですから

 下りてみました。(写真17、18)参照。 

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(写真17) 大堀切を下りる途中

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(写真18) 大堀切を下る途中、振り返って階段を見上げる

  登るの、めちゃ大変だったの、納得しました。。。

  私もこの直線的な坂を登っていたら

  へばってましたね(笑)

  ってそもそもこんなデカくて長い堀切

  どうやって作ったの?Σ(゚Д゚)

  

  下りると大手虎韜門口駐車場に出ました。

  虎韜門=読み方は、ことうもん、六韜三略

      (りくとうさんりゃく)が語源らしい。

      六韜と入力しないと韜の字が出ない(汗)

  

  結論⇒大堀切は登らず、行くなら下った方が良いですよー

     ・・・たまたま知っただけです( ^ω^)・・・  

 

  しかし流石の箕輪城、1回ではちょっと

  終われず、2回に分けます。

  

  ご鑑賞ありがとうございました。m(_ _"m)