歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<奈良県 歴史探訪3> 信貴山城 乱世の梟雄 松永弾正 夢の跡

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良探訪3日目です。

 

  2日目夜部屋が移動し、3日目の朝、外を覗いたら

       綺麗な耳成山を見ることができてラッキーでした👍。

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(写真1)3日目朝、部屋から見えた耳成山

  翌日以降は雨予報なので、最後の山城を狙いに、

  松永久秀最後の地、信貴山城に向かいます。

  信貴山城は信貴山 朝護孫子寺を通り、

  お寺の山頂及びその少し越えた先にあります。

  まずは鉄道、バスを駆使し、朝護孫子寺

  を目指します。

   8:52大和八木駅

   9:05近鉄下田駅

       徒歩で近鉄線からJR線に移動

   9:30JR香芝駅

   9:45王寺駅

  10:25王寺駅バス発  

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(写真2)JR王寺駅からバス停案内板

  バス停の場所は鉄道を出て案内があり、

       分かり易かったです。

  バスに乗る際は50人以上並んでいて、

  2台満席で発車しました。

  

  そして信貴山を登る途中で渋滞となり、

  なかなか進まないので、運転手さんから、

  奈良県側からお寺に一番近い「信貴大橋」

  の1つ前のバス停「信貴山」で下車を薦められて、

  10:45頃ほぼ全員バスを降りました。

  

  でもここからお寺までは宿やお店がある門前町

  でしたので、丁度良かったです。のんびり歩きました。

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(写真3)信貴山門で下車し、みんな歩いてます

 

  さて、ここで朝護孫子寺の地図を掲載し、

  概要を記しますと、

  地図右下から歩いてきて、仁王門を越え、

  赤い印の現在地、「信貴山観光iセンター」

  を目標として向かいます。

  ここに地図、情報、トイレ等ありますので

  信貴山全体の出発点になると思います。

  

  そして一番上の空鉢護法が信貴山山頂で、

  かつ信貴山城の本丸とのことです。 

  (普通は山城は下から登るので本丸が最後に

   なるのですが、ここの場合山頂の本丸から

   反対側に下りますので、ちょっと不思議な感じでした)

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信貴山 朝護孫子寺の地図

 

  門前町を10分程歩くとお寺の入口仁王門に到着しました。

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(写真4)朝護孫子寺 仁王門

  

  そしてふと脇の駐車場を見たら車一杯(´д`)

  その先の赤い橋も車が進んでいません。

  単純に月曜日の平日は空いている思っていた私は

  ちょっとびっくりでした。

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(写真5)朝護孫子寺の駐車場

  

  実は種明かしをすると、当日は1月10日成人の日。

  

  そして聖徳太子が虎の年、虎の日、寅の刻に毘沙門天

  感得し、その後物部守屋との戦いに勝利したとのことで、

  当地にお寺を創建し、後に醍醐天皇により朝護孫子寺

  勅号を賜ったとされています。 

  よってお寺には張り子の虎等が沢山ありました。   

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(写真6)張り子の大虎 ここで皆さん撮影してました

  寅年の今年は奈良県でもいつもより多く紹介

  されていて混んでるでしょうと、戻ってから

  宿の方が教えてくれました。

 

  まずは本丸、天守があったとされる信貴山の山頂、

 「空鉢護法(くうはつごほう)」を目指し、

  お寺内を進みます。  

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(写真7)空鉢護法まで600m、徒歩20分と書いてあります

  

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(写真8)多宝塔

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(写真9)多宝塔脇の鳥居を登ります

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(写真10)信貴山城案内

  信貴山城まで520m、松永屋敷まで860mの案内板。

  広いお寺ですが、至る所に案内があるので分かり易いです。

  ちょっとお城の案内が多いのが意外でした。

  このお寺も信貴山城整備に協力してくれてるからかな?

  ありがたいですねー(⌒∇⌒)。

 

  少し進むと登りが急になってきました。

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(写真11)山頂へのジグザクな登り道

 

  山頂に登る途中、ここ何かの遺構?(切岸とか堀とか)

  かもしれないな~とパシャリ。

  明らかに他の方たちと見てる方向が違います(笑)

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(写真12)山頂へ行く途中
(今思うと雌嶽の曲輪かも?)

  

  ほぼ登ったところに縄張り図がありました。

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(写真13)信貴山城 縄張り図

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(写真14)信貴山城 縄張り図拡大
(赤字の現在地の下が登り道、その左側が朝護孫子寺に至る。城は右側全体)

  

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信貴山城縄張り図と順路
(青線が経路、赤字の①から番号順に進みました)

 

  そして優しい案内で迷子にならず信貴山頂、

  空鉢護法に到着しました。

  空鉢護法は国宝の信貴山縁起絵巻でも語られている

  由緒あるお堂になっているそうです。

  ここまでは参拝客が大勢居ました。

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(写真15)図①空鉢護法(信貴山頂 兼 信貴山城本丸)

  ここに天守(多層櫓)があって松永弾正が爆死したのかな?

  確かに一番高いところですが、残念ながらその面影は

  ありませんでした。

 

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(写真16)空鉢護法の脇に図②「信貴山城址」の石碑があります

  さて、ここからお寺を離れて、いよいよお城の遺構に向かいます。

  朝護孫子寺の反対側の山腹を降りていきます。

  縄張り図を見ると、山頂から反対側の180°に

  渡って城郭が構築されてる巨大な山城みたいです。

  ただし下の写真の道を進んでから城跡で出会ったのは

  10人弱でした(笑)

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(写真17)空鉢護法を越えて、信貴山城へ進む道
(空鉢護法から左の道を降りて、右側の道に進みます)

  ちょうど写真17を撮っている反対側が一番の眺望でした。

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(写真18)図③山頂からの眺望(奈良方面)ちょっとガスってます

 

  少し降りていきますと、もうすぐに何やら腰曲輪?

  みたいな場所が・・・。

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(写真19)腰曲輪かな?

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(写真20)山頂から降りていく

 

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(写真21)図④立入屋敷(たてりやしき) 案内板

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(写真22)図④立入屋敷跡 (曲輪)

 

  立入屋敷から降りると、分岐点に来ました。

  ここに松永屋敷の案内があるので安心です。

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(写真23)立入屋敷から降りてきた分岐点
(右:松永屋敷、左:水の手、正面:曲輪、堀切跡)


  最初に正面の曲輪に行きました。

  曲輪と堀切がはっきりと残ってました。

  こんな所に来るお客さんは一人も居ません( ´∀` )

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(写真24)図⑤松永屋敷の西側の曲輪と堀切1

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(写真25)図⑤松永屋敷の西側の曲輪と堀切2

 

  分岐点正面の図⑤の曲輪と堀切を散策した後、

  分岐点に戻り、松永屋敷方面に向かいます。

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(写真26)松永屋敷へ向かう道

 

  さて、ここからが城遺構として、最も整備されている場所となります。

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(写真27)図⑥松永屋敷を含む曲輪群入口正面の切岸
(この上が、多分立入屋敷の曲輪だと思います)

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(写真28)図⑥松永屋敷を含む曲輪群がメインの様ですので、
以降「主曲輪群」と呼びます。曲輪毎に階段があります

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(写真29)主曲輪群最初の階段を降りたところ
(結局は木で覆われていますが、草を除去して
くれてるので左右前後ふらふら確認できます)

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(写真30)最初に降りた階段を振り返る (先程の切岸も見えます)

 

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(写真31)主曲輪群の西側の切岸とその下の曲輪
主曲輪群の両側(東西側)は、高い切岸になっていて
容易に攻め込まれないようになってました

 

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(写真33)主曲輪群の土塁跡
(3方向に土塁があった様です)

 

  松永屋敷、グーグルマップでも載っていますが、

  信貴山城で松永弾正の居館があり、城の中核であった

  とのことです。

  本丸、山頂には城の遺構が無いのですが、その下の

  曲輪や土塁、堀等は多数残ってます。

  そしてこの松永屋敷が信貴山城整備のメイン

  になってる様です。

  確実にここに居たんだと言えそうですよね~〇。

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(写真34)図⑦松永屋敷 案内板

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(写真35)松永屋敷の曲輪
(沢山案内してる割りに殺風景。曲輪が沢山あるので、
ここがそうだよって看板やのぼり等で分かる様にしたら良いかと)

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(写真36)松永屋敷から入口を見る
低くなっている曲輪に虎口があり、
その曲輪から高い位置に屋敷がある

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(写真37)先に図⑦松永屋敷の曲輪、手前が虎口がある1段低い曲輪
そのまた左側にも1段低い曲輪がありました
(多聞山城を築いた松永弾正、かっこいい構成だったんだろな~、知りたいなー)

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(写真38)図⑧松永屋敷出入口 案内板

 

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(写真39)図⑧松永屋敷手前の低い曲輪の虎口1
防御の面から、正式な通路としてはここからし
松永屋敷に辿り着けない構造だったのかな?

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(写真40)図⑧松永屋敷の虎口2
この虎口を登り、登った曲輪でも防備を固め、
そのまた1段高い位置に松永屋敷の曲輪があった
のだと思いました。

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(写真41)松永屋敷北側の曲輪

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(写真42)主曲輪群の最北端の切岸かな?
下に降りましたが、そこから先はちょっと急なので止めました

 

  ほぼ主曲輪群の先まで来たので、戻って松永屋敷出入口を降ります。

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(写真43)図⑧松永屋敷を降りて、出入口(虎口)を見上げる

 

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(写真44)松永屋敷東側の切岸(上が松永屋敷の曲輪)

  松永屋敷を降りて、東側に向かうと、そこからもアクセス出来ました。

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(写真45)松永屋敷の東側からのアクセス

 

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(写真46)松永屋敷 東側アクセス案内板

 

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(写真47)主曲輪群東側の大きな曲輪

  

  ここで、3組程の人達がこの道を進んでいったので、

  何かあるのかな?と進みました。

  ・・・がお城探索にとっては、これが失敗でした。

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(写真48)大沢池に向かう道だった( ;∀;)

  どんどん降りて行く道で、進むと池があり、

  グーグルマップを見たら大沢池でした。

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(写真49)大谷池

  もう少し曲輪、堀等散策したかったのですが、

  どうもお城の遺構から離れてしまっていた様です。

  池で釣りをしているの方達が居ました。
  

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(写真50)ぐるっと城の東側を回って、多宝塔に戻ってきました

 

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(写真51)朝護孫子寺本堂の階段

 

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(写真52)本堂の外回廊
(ここがビューポイントです)

 

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(写真53)本堂からの眺望(奈良方面)

  さて、これで信貴山の探訪は終わり帰ります。

  帰る際、見上げたお寺が映えますねー。

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(写真54)朝護孫子寺本堂を見上げる

  

  本日は天気が良く、行って良かったです。

  帰りもバスが混んでいて、14:30頃

  バスで進む途中、外を見ると登る車がまだ

  大渋滞してました( ;∀;)

  

  今回信貴山城を探訪して思ったのは、

  落城して廃城になった割には、思った以上に

  遺構がはっきり残っていたと感じました。

  また一時代を築いた武将の生き様を感じながら

  いつもの様にうろうろ( ´∀` )

  そう感じられたのは、整備して下さっている

  関係者の方々のおかげと思います。

     

  さて次回は奈良県探訪の最終日、

  多聞山城を中心に作ります。

  (時系列が逆で申し訳ないです)

  

  ご高覧ありがとうございました。