こんにちは、rekikakkunです。
静岡市の街の歴史について、
お城、史跡を訪ねながら
まとめていけたらと思います。
少し調べてみますと、
室町の南北朝時代の頃、静岡の街は
「府中」と呼ばれてました。
そして戦国中期頃から「駿府」と
呼ばれる様になった様です。
今回は、お城の話が出始める南北朝時代、
南朝方の拠点だった安倍城と、
その安倍城に対峙する
北朝方の賎機山城について、
簡単にご紹介致しますー。
下のグーグルマップでは
①が安倍城、②が賎機山城です。
③浅間神社、④臨済寺、⑤駿府城(今川館もここと想定されている)
(各地の今川氏の中で最終的に嫡流となる)
旗頭だった狩野貞長の拠点城とされているのが
①の「安倍城」です。
安倍城は14世紀前半に築かれたと想定され、
標高435mの山頂に本曲輪を構え、
隣の山のピーク地に久住砦を築き、
二つの城域が連格式に構成される「二城一連式山城」
という県内南北朝時代の山城に多く見られる構成
になってます。・・・とのことです(笑)
周囲はグーグルマップに何も無いことからも
分かる様に、深い山、谷に囲われており、
当時はまだ堀切や竪堀等戦国時代の高度な築城術
では無く、高くて攻められにくい場所を選択
した劣勢傾向の南朝方の典型的な城と感じます。
ここで狩野貞長さんって、県内の伊豆に有名な
狩野川があって、狩野氏の狩野城もありますが、
その狩野かな? 静岡にも何か関係あるのかな?
別途狩野城に行った時、分かりました。
狩野貞長さんが載ってます。(真ん中の下くらい)
しかも「鎌倉殿の13人」にも出ている工藤祐経や
有名どころが沢山系図に載ってたので、なかなか凄いなー
と感心して観てました。
まあ、その多士済々の狩野氏の一族が、南朝方として
安倍城を拠点にしていたことが分かりましたです。
安倍城は城跡ですが、その安倍城に至る道は登山コース
として地元の方や登山者も来られています。
さて、そろそろ攻城に行きますか。
・・・って、やけに前置きが長くなったなー(・・?
①安倍城
安倍城に至るルートは主に2つあって、
北東から登る西ヶ谷口と、南西から登る洞慶院口
があります。
今回一般的に使われる洞慶院から上の写真にある様に
①洞慶院→②久住砦→③安倍城の順路で登りました。
400mを越え、急な上り下りもありますので
ハイキング装備をします。
ここから登山の写真を掲載します。
安倍城本曲輪、山頂に来たら、木が全く遮らない眺望。
珍しいかな?とても良いですよー。
②賎機山城
安倍川を挟んで標高約170mの賎機山に城を築き、
その後は今川館の詰めの城としての役割を
果たしていたとされています。
静岡では有名な竜爪山から伸びる稜線が
静岡市中心部まで突き出ており、
その先端に近い山頂付近に賎機山城あり、
稜線の先端には静岡市民なら誰もが来た
ことがある浅間神社があります。
賎機山城に至る経路のメインは、
その稜線の先端、浅間神社から登ります。
以後写真を載せます。
その近くに登る長い階段があります。
登ると、古墳時代この地方の領主と想定される
賎機山古墳があります。
北側の堀切を越えて少し進むと、西側の展望が開け、
安倍城がはっきりと見えます。
ここから賎機山城や静岡平野を眺めてたんだねー
そして、賎機山城へ進む途中に戻りますが、
臨済寺は境内の参観は自由ですが、現在も修行寺の為、
建屋等中は非公開になってます。
でも観光地化されてない分、雰囲気ありますよー。
以上で安倍城、賎機山城のご紹介を終わります。
ご高覧ありがとうございました。