歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

中世駿府の歴史、城を訪ねて1 ~南北朝時代 安倍城と賎機山城~

 こんにちは、rekikakkunです。 

   

 静岡市の街の歴史について、

 お城、史跡を訪ねながら

 まとめていけたらと思います。

    

 少し調べてみますと、

 室町の南北朝時代の頃、静岡の街は

 「府中」と呼ばれてました。

 そして戦国中期頃から「駿府」と

 呼ばれる様になった様です。

 

 今回は、お城の話が出始める南北朝時代

 南朝方の拠点だった安倍城と、

 その安倍城に対峙する

 北朝方の賎機山城について、

 簡単にご紹介致しますー。

 

 下のグーグルマップでは

 ①が安倍城、②が賎機山城です。

 ③浅間神社、④臨済寺、⑤駿府城(今川館もここと想定されている)

 

 足利尊氏室町幕府を開き、建武3年1336年、

 駿河の国は今川範国が初代守護となりました。

 (各地の今川氏の中で最終的に嫡流となる)

 その後南北朝騒乱の時代の中、駿河の国で南朝方の

 旗頭だった狩野貞長の拠点城とされているのが

 ①の「安倍城」です。

 

 安倍城は14世紀前半に築かれたと想定され、

 標高435mの山頂に本曲輪を構え、

 隣の山のピーク地に久住砦を築き、

 二つの城域が連格式に構成される「二城一連式山城」

 という県内南北朝時代の山城に多く見られる構成

 になってます。・・・とのことです(笑)

 周囲はグーグルマップに何も無いことからも

 分かる様に、深い山、谷に囲われており、

 当時はまだ堀切や竪堀等戦国時代の高度な築城術

 では無く、高くて攻められにくい場所を選択

 した劣勢傾向の南朝方の典型的な城と感じます。

 

 ここで狩野貞長さんって、県内の伊豆に有名な

 狩野川があって、狩野氏の狩野城もありますが、

 その狩野かな? 静岡にも何か関係あるのかな?

 別途狩野城に行った時、分かりました。 

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狩野城入口に掲示されている、狩野氏系図
(画家の狩野派系図も別途ありました)

 狩野城に系図掲示されてましたが、ちゃんと安倍城の

 狩野貞長さんが載ってます。(真ん中の下くらい)

 しかも「鎌倉殿の13人」にも出ている工藤祐経

 蘇我兄弟、信長の時代有名な狩野永徳狩野派の画家達と

 有名どころが沢山系図に載ってたので、なかなか凄いなー

 と感心して観てました。

 

 まあ、その多士済々の狩野氏の一族が、南朝方として

 安倍城を拠点にしていたことが分かりましたです。

 

 安倍城は城跡ですが、その安倍城に至る道は登山コース

 として地元の方や登山者も来られています。

 さて、そろそろ攻城に行きますか。

 ・・・って、やけに前置きが長くなったなー(・・?

 

①安倍城

 安倍城に至るルートは主に2つあって、

 北東から登る西ヶ谷口と、南西から登る洞慶院口

 があります。

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安倍城ハイキングコース

 

 今回一般的に使われる洞慶院から上の写真にある様に

 ①洞慶院→②久住砦→③安倍城の順路で登りました。

 400mを越え、急な上り下りもありますので

 ハイキング装備をします。

 ここから登山の写真を掲載します。

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洞慶院駐車場から出発

 

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洞慶院からの登り口(ちょうど10:00)

 

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石碑が1から33番まである最後の33番(10:21)

  

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急な登り(10:24)

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山道(10:41)

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久住砦の曲輪(平坦地)(10:48)

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3方向分岐点(洞慶院、増善寺、安倍城) (10:50)

 

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久住砦付近から安倍城山頂を観る

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久住砦の山頂から降りて安倍城へ向かう急坂
(ロープを使って降りる)

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安倍城に至る前の堀切跡に見えます、石も多い (10:59)

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安倍城に向かって登ります (11:01)

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山頂に近づいてきました (11:07)

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山頂に到着しました(11:12)
右手が眺望方向、凄いですー

 

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安倍城本丸跡からの眺望

 

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賎機山城拡大 (手前の山中央の高い部分が本曲輪)

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北方向、富士山が見えます

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南方向、駿河湾伊豆半島 (中央静岡の中心街)
空気が澄んでいて良く見えますねー(⌒∇⌒)

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静岡平野全体
南朝方、これ見てたんだねー)

  安倍城本曲輪、山頂に来たら、木が全く遮らない眺望。

  珍しいかな?とても良いですよー。

 

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本曲輪奥から眺望方向を見る、これも雰囲気出ててなかなか良い

 

 ②賎機山城

  さて南朝方安倍城に対し、北朝方の今川氏は

  安倍川を挟んで標高約170mの賎機山に城を築き、

  その後は今川館の詰めの城としての役割を

  果たしていたとされています。

  

  静岡では有名な竜爪山から伸びる稜線が

  静岡市中心部まで突き出ており、

  その先端に近い山頂付近に賎機山城あり、

  稜線の先端には静岡市民なら誰もが来た

  ことがある浅間神社があります。

 

  賎機山城に至る経路のメインは、

  その稜線の先端、浅間神社から登ります。

  以後写真を載せます。

   

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静岡浅間神社の本殿

  その近くに登る長い階段があります。 

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浅間神社の階段を登る
(ちょっと疲れるが、ここを登れば大分上がってます)

 

  登ると、古墳時代この地方の領主と想定される

  賎機山古墳があります。  

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賎機山古墳 (この裏手から行けます)

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浅間神社の上から北の稜線へ進みます

  

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途中案内板があります
駿府公園、浅間神社、賎機山城、臨済寺の位置。
また安倍城は安倍川の左(西側)、慈悲尾の先です。

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最初の山頂に平和記念碑等があります。
ここまでは整備された散歩道になってます。

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上の写真の右奥に、その先への入口があります
この写真の木の左から進みます

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ここから一挙に山道になります
がそんなに大変ではありません。

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北へ進んでいます

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この先に城の南を遮断する堀切があります
ここから本格的な城域になります

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南側上から堀切を見下ろす
(いまいち分かり難いですねー)

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堀切に降りて横から撮る(何となく分かるかな)

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堀切から北に上がる(ちょっと急なのが分かるかと)

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本丸と対になる二の曲輪 (右手に土塁)

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二の曲輪に至る導線には、切岸があり上から攻撃できる

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二の曲輪から本曲輪に向かう

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本曲輪、石碑と説明板があります

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本曲輪の北側の道、急斜面と切岸

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本曲輪北側の堀切

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堀切を横から撮る

 

 北側の堀切を越えて少し進むと、西側の展望が開け、

 安倍城がはっきりと見えます。

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賎機山城から安倍城俯瞰
この位置、距離関係

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安倍城俯瞰 少し拡大

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安倍城の本曲輪部拡大

  ここから賎機山城や静岡平野を眺めてたんだねー  

 

  そして、賎機山城へ進む途中に戻りますが、

  本曲輪の麓には今川家の菩提寺であり、徳川家康

  駿府人質時代に住んでいた臨済寺が見えます。

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賎機山から臨済寺を臨む

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臨済寺正面 (この右手上が本曲輪)

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臨済寺正面を入った趣のある階段

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臨済寺墓地上部にある、今川義元の父氏輝(左)と
豊臣時代の駿河領主中村一氏(右)のお墓

  臨済寺は境内の参観は自由ですが、現在も修行寺の為、
  建屋等中は非公開になってます。
  でも観光地化されてない分、雰囲気ありますよー。

 

  以上で安倍城、賎機山城のご紹介を終わります。

  ご高覧ありがとうございました。