歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

近江八幡探訪3 ~安土城、信長 天下取りへの夢の跡~

 

こんにちは、rekikakkunです。

 

 近江八幡探訪3は、観音寺城のお隣、

 有名な安土城に行ってきました。

    学術的な事は分からないので、

 写真を中心に載せていきますね~。

 

 前回の観音寺城探訪後、近江八幡のホテルに

 宿泊しました。

 ホテルの部屋から丁度安土城観音寺城

 見れました。

 部屋から目的地が直接見えると、来たんだな~

 と感じますよねー(⌒∇⌒)

近江八幡のホテル部屋から安土城観音寺城を撮影

 因みにホテルは「グリーンホテルyes近江八幡さん」。

 15:00から(つまりチェックイン)から、

 朝食会場でドリンク、ワインを無料提供してたり、

 大浴場もあったりで大満足でした。

 

 さて、宿泊地の近江八幡から車で10分も

 かからない位。

 安土城到着前に、せっかく時間あるので

 西から安土城観音寺城が見える所を探して、

 撮影しました。

安土城観音寺城 遠望(西から)

 

 さあ、安土城駐車場で車を降りて、

 お城に向かいます。

 駐車場からすぐ、行幸用に備えられたと推定

 される平虎口が3か所ありました。

 京都内裏の1辺3門と合わせたとのことです。

安土城 南側石塁と大手三門

 

  そして入城手続きし、直ぐに大手道です。

復元された有名な直線大手道

 大手道を登ってすぐ左手には「伝羽柴秀吉邸跡」

 があります。

羽柴秀吉邸跡①

羽柴秀吉邸跡②

羽柴秀吉邸跡③

 秀吉邸跡はぐるりと回れるんですねー。

 ここだけでも結構なボリューム感。

 石垣の脇道を歩けてうれしいです。

 

 さて、大手道に戻り、登っていきます。

大手道② 大手道を登っていきます

大手道③ 大手道で最初の曲がり道です

 少しくねくねを越えると、

黒鉄門に至る道

黒金門入口
(ここから信長の居住区域、城の中枢になる様です)

黒金門標識

黒金門を入るとコの字に曲がる

安土城主郭部図

 黒金門を過ぎると・・・、

 安土城はそのほとんどが積み直し

 されている石垣とのことですが、

 信長時代の石垣とされている二の丸の

 石垣が現れました。

 なかなかの迫力です。

二の丸の石垣

二の丸へ進む

二の丸入口

  上の写真を見ると確かに当時の石垣に見えます。

  階段を上り、二の丸に入ってきました。

二の丸

信長廟

二の丸から見た本丸の石垣

 上の写真の左手が多分二の丸東溜り。 

 この石垣の手前から礎石、焼け跡が見つかり、

 本丸天守に接続された舞台の様な遺構で、

 信長が姿を現していたかもしれない様です。

 確かに城下町の方向ですねー。

本丸石垣 天正っぽい

天守入口

天守入口から見た本丸跡

 この本丸跡には建物礎石が残っていて、天皇の御殿と

 同じ建物基礎だったとのことです。

 天皇を迎えようとしたのか?

 天守から御殿を見下ろそうとしたのか?

 その議論は他に方に任せて・・・///

 

 さていよいよ天守閣跡に向かいます。

天守閣跡入口

 

 安土城のてっぺん、天守閣跡に到着しました。

天守閣跡

 下の天守閣説明板を見ると、上写真の礎石部は

 天守閣の地下1階であり、また天守閣自体は

 今見ているこの礎石部の2倍の大きさとのこと。

 ほぼ日本初めての本格石垣城郭としては、

 嘘みたいに大きいですねー(@_@;)

天守閣跡説明

 

 天守閣は礎石部の周辺を歩くことが

 出来るんですねー。

天守閣土台を歩く

 土台を歩くと色々景色が見れましたので、

 載せますね。

天守からの眺望

 

 すいません、時間が経ってどの方向か

 分からなくなってました。

 ざっくりは北の方向なので、

 琵琶湖及び干拓地方向と思います。

 当時は天守から琵琶湖を一望できますね。

 

 日本最初の本格天守は完成から3年後の

 1582年、天正10年に本能寺の変の後、

 6月14日から15日にかけて短い命で

 焼失してしまいました。

 

 何故焼失したのか?

 あほな信雄がという話もありましたが、

 

 燃えて一番得する人は?

 これから天下を取るうえで、

 前覇者の威光は不要。

 だが自分で主君の城を燃やした事

 には出来ない。

 6月13日山崎の合戦で勝利し、

 6月14日から燃えた。

 

 となればただ一人。

 私の推察です(笑)

 

 次も安土城続きます。

 ご高覧ありがとうございました。