歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<お城へぶらり5>信玄最後の西上作戦 遠江の要 二俣城へ集まれ!

こんにちは、rekikakkunです。

 

静岡県、愛知県東部で探訪しましたお城を、

元亀3年、武田信玄の最後の決戦、

西上作戦につなげて綴っています。

 

てか最初から表題、西上作戦で良かったじゃん(・・?

何で今頃? って自分でも分からん(*'▽')

思い付きで書いてるブログの正体が明らかに(@_@;)

 

前回では、西上作戦の別動隊山県昌景軍が

三河の山家三方衆(田峰、作手亀山、長篠城)を

接収したところまで話が進みました。

 

さて、今回はいよいよ信玄本隊の登場です。

先日犀ケ崖資料館(浜松)に行ってきましたら、

ここでも信玄の侵攻ルートは駿河

なっていました。

 

少しネットでもルート確認しましたが、

ちと複雑そうですね~。

自分はどちらが正しそうか分からないので、

このまま青崩峠から信玄本隊がやって来た

仮定で進めますね✨。

 

そうすると最初に出てくるお城は

犬居城になるのかな?

 

元亀3年(1572年)10月3日、

甲府を出発した信玄は諏訪を経由して南進し、

信州から遠江に進軍。

10月12日、降伏の意を示した天野氏の

犬居城に入りました。

 

①犬居城

 犬居城は標高260mの鐘打山の

 山上に立地し、南、東側には天竜川の

 支流、気田川が天然の堀になってます。

犬居城遠望
(真ん中の山が犬居城がある鐘打山)

 上写真で、大きい橋の少し上に、

 山道のガードレールが小さくですが見えますか?

 

 この細い車道を上がると、犬居城入口に

 到着します。

 車2、3台ほどは停められます。

 まあ私以外1台も無かったけど_(._.)_

犬居城入口
(車で城に一番近い場所)

犬居城登城
(入口から15分程歩くと、山城っぽい感じ出てきました)

 

ほぼ最初に見える遺構、東曲輪の外堀
(下図の赤矢印の矢の辺り)

 下図の赤矢印から少し上がって、右方向に進みます。

犬居城鳥観図と進入ルート
(この図の名称を使います)

 

東曲輪

東曲輪と二の曲輪間の堀
下まで竪堀になっている

二の曲輪に入る虎口
(左右が堀となっていて小さな土橋風)

虎口から東曲輪を見ると、見下ろしてますね~

左の道が本曲輪、右の少し下がった藪が二の曲輪

本曲輪の真ん中付近

本曲輪を越えて、物見曲輪に通じる道

物見曲輪の建築物
(この建物に上がると景色が見えます)

犬居城下1
(城の南方向、なかなか絶景でした(^▽^)/)

犬居城下2

東曲輪より南側の曲輪を撮ったつもり
(あとはよくわからない写真ばかり_(._.)_)

山道を下ると先程の東曲輪の竪堀である事が分かる
(唯一の納得感( ´艸`)、左が竪堀、右が山道)

 

②天方城

 翌10月13日、信玄は天方城、飯田城等の、

 天竜川東北側の諸城を攻略。

 一方馬場春信は只来城を攻略し、

 二俣城に向かった。

 

 県道58号線を北進し、犬居城へ向かう途中、

 実は天方城の案内看板が見えたので、最初に

 そっち方向に行ってみました。

県道58号線を北進中の天方城跡案内板

太田川
天方城方向に右折する橋の上から撮影、
なかなか綺麗で雰囲気ありますね~

天方城に向かう

 途中、ちょっと分かり難い道で間違えましたが、

 看板通り行けば、まあ大丈夫です。

天方城に到着しました。
駐車場は充分広く、トイレもあります

天方城説明版
ふむふむ、主郭と二の曲輪で構成されてるのか~

主郭に向かうとすぐ空堀

これも空堀

主郭

 なんですが、主郭の北端に物見櫓があって・・・

物見櫓の正面 伐採してくれてます
ありがたや~(^▽^)/

 そこからの景色が凄かった(*'▽')

眺望1 天方城から西南方向ですね~、
視界が広くて綺麗(⌒∇⌒)

眺望2 浜松市中心部の高いアクトタワーが見えます

天方城遠望、真ん中の山です。
山の頂上やや左に物見櫓が見えたので、分かりました。
(写真をクリックして拡大すると見えるかも)

 

③一言坂の戦い

 さて、武田信玄遠江侵攻に対し、

 遠江領主の徳川家康は、

 天竜川の東、現在の袋井市に出陣しました。

 しかし、先発隊が馬場信春達の武田軍に

 見つかり、撤退。

 最後一言坂で激戦となるが、本多忠勝らの

 奮戦により、徳川軍は浜松まで退却できた。

 (家康本人が出陣したのかは?です)

一言坂の戦い場所

坂にある説明板

 この戦いが10月14日となってます。

 13日の翌日ってのがちょっと早い気が・・・。

  

 あと只来城から二俣城に向かってるはずの

 馬場信春がだいぶ南に離れている一言坂で

 戦闘してる辺りが、ちと分からないです。

 

 そして10月16日頃二俣城を包囲します。 

 

④合代島の武田本陣 

 信玄本隊は磐田原台地

 (天竜川東岸に南北に伸びている台地)

 の北端、合代島を本陣としてます。

 

 最初、合代島ってどこ?

 と思ってましたが、確認すると・・・。

 なるほど~、二俣城寄りですが、浜松城

 両方に目を光らせれる場所。

 台地の北端で、川を正面にした立地は、

 守備し易く、大阪城に似てるんじゃないかな~。

 また1万以上もの大軍を駐屯し易かったのかも。

 

 合代島は地図のみ後で示します。

 (亀井戸城跡周辺が磐田原台地北端で

  ここが信玄本陣との説がある様です)

 う~ん、合代島、行くべきでした

 ・・・と後悔( ;∀;) 

 

~宿泊と全国割~

 さて、一言坂の後、浜松のビジホに

 全国割で宿泊、チェックインしました。

 初めてだったので、ちと書きますね。

 

 全国割が始まって、予約の時、値段を引き上げ

 ているホテルの存在がすぐ分かりました。

(ビジホで従来1万円前後のところが、

 2万円を標準価格にして1.5万円に割引してた)

 

 しかし実際、ホテルの従来価格は分からない

 所が多いです。

 よって割引後5,000円以下の

 ところを選びました。

 

 通信集中で重かったですが、

 なんとか浜松で3,500円程で泊れ、

 別途3,000円のクーポンをGET、

 一人しゃぶしゃぶに行きました。(__)

 

 まあ店捜すのめんどくさいので、アクトタワー

 捜したら、取扱い店が2店あったので、その1店です。

アクトタワーB1Fのしゃぶせい
4,600円セットが1,600円になりました。
流石、銘柄牛は美味しかった~

 クーポンは紙では無く、「regionPAY」という

 アプリをスマホにインストールし、

 登録しておきます。

 

 個人情報は、氏名不要、住所は郵便番号

 のみでOKだったので、登録しました。

 (多分、今回はこれを登録しないと

  使えない感じでした。

  ホテルから提示の選択肢がアプリしか

  無かったので。)

 

 そしてホテルから渡される2次元コードの紙

 を、アプリの該当自治体を開いて読み取る

 ことで3,000円チャージされました。

 (ホテルで自分は4回接種したスマホの証明

  アプリと運転免許証を提示してOKでした)

 

 そして支払いも該当県画面から支払いを

 選択すると、バーコードリーダーが立ち上がり、

 お店のコードを読めば支払い完了です。

 

 また、同じアプリで複数の自治体を登録

 出来るので、どこでも同じ要領で出来そうです。

 

 ただ一つ注意点としては、扱っているお店は

 事前確認し、行かれた方が無難です。

 (ニュースでも出ていた様に、

  登録が間に合ってないお店の方が多いので)

 このアプリでも、その時点での登録店が

 分かりますよー。

 

⑤柿本城

 さて、話を戻して・・・。

 一方の東三河に侵入した山県昌景の別動隊は、

 山家三方衆を従え、長篠城の南東、すぐ近くの

 柿本城に来攻しました。

 井伊家を支えた井伊谷3人衆の一人、

 鈴木重時の城だそうです。

 ただし、完成前だったのと戦力差により開城。

 

 場所は道の駅「鳳来三河三石」の裏で

 ほぼ良いでしょう。

 

国道257号線から、左側の道の駅に入る

道の駅の脇道(満光寺入口)を入る

満光寺入口に入る

 

満光寺境内、ここから左手のお城へ向かう

山道を登る そんなに大変では無いです

模擬の柵が見えました

本丸に到着

 写真の時間を見たら、お寺境内から8分で到着でした。

 すぐですよ~。

柿本城説明板

 

二の丸

城跡から少し降りて外を見る

降りる途中で城跡を見上げる
(往路と違う道を降りてます、そんなに離れてはいない)

⑥井平城

 山県昌景侵攻時、柿本城主は鈴木重時の子、重好でした。

 満光寺住職の交渉で時間を稼ぎ、柿本城の人々は東隣の

 井平城に避難しました。

 井平城主は井伊家の分家筋が城主でした。

井平城推定図

平氏の館跡地と説明板

城の下側から、写真右が旧鳳来寺街道、左が井平城

 

井平城の曲輪

遺構1

遺構1の場所

遺構2

遺構2の場所

 上写真を見ると、現在地の上が本丸です。

 (本丸は現在民家で入れません)

 そして城の右脇にある鳳来寺街道を見ると、

 城の下手側は曲輪や土塁等で守ってますが、

 本丸から上へ抜ける街道には何も無い様です。

 

 そこで井平城方は、鳳来寺街道の上から

 攻めてくる山県隊に対して、城では防御性が

 無いと判断し、すぐ北側の仏坂で迎撃しました。

⑦仏坂の戦い

 元亀3年10月22日、

 武田方山県隊と徳川方の井伊家達が

 仏坂で衝突しました。

 結果は武田方の勝利で、合戦地の案内、旧鳳来寺街道、

 井伊家の戦死者を弔う、ふろんぼ様等が整備されており、

 現地の方達により、手厚く保存管理されているのが

 分かります。 

 井伊家にとっては、だいぶ厳しい時代ですね~。

国道257号線から山道に入り仏坂へ向かう

仏坂の古戦場 説明板

仏坂の古戦場の碑

古戦場の碑の正面に、旧鳳来寺街道が整備されてました

少し入ると元禄9年の道標が残ってました。

近くには仏坂十一面観音菩薩があるお寺

 

 また少し下がったところには、仏坂の戦いで

 戦死した井平城側の菩提が葬られたとされる

 お墓?が、ふろんぼ様と呼ばれ、残っていました。

ふろんぼ様1

ふろんぼ様2

ふろんぼ様3

ふろんぼ様4

 仏坂の戦い後、山県昌景隊は、井平城、井伊谷城

 を攻略し、11月上旬に二俣城に合流しました。

 


⑧二俣城

 地図で位置関係を示すため、

 次回予定の⑧と⑨を載せます。

 元亀3年11月時点、二俣城は武田軍により包囲中。

 

浜松城

 家康は在城。


これら①から⑨を地図に載せると、

こんな感じです。 

 

 ⑨の徳川本拠浜松城に対し、

 ①~⑧は武田軍により、

 攻略、包囲された場所になります。

 (もちろん地図表記以外も沢山あるでしょう。)

 

 こう見ると、ぽつんと⑨浜松城がある中、

 信玄が浜松城を背に三方ヶ原を北に進んだ

 ならば・・・。

 冗談じゃない!

 と攻撃したくなりそうですね~。

 結果を知ってる自分もそんな気に(笑)

 

 次はいよいよ、二俣城、浜松城

 三方ヶ原、野田城になるのかな?

 浜松城近くの史跡、犀が崖の資料館では

 説明員の方が色々教えてくれました。

 次回ですね~。

 

 要の二俣城の写真を一つ載せます。

 (良い場所から撮れました(*'▽'))

二俣城 遠望
(手前の鳥羽山城は、おおよそ二俣城を
攻める側の拠点になってますよね~)

 

 以上で終わります。

 ご高覧ありがとうございました。

 また長かった~_(._.)_