歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<大阪府と周辺 歴史探訪1> 天下分け目の天王山と山崎城

こんにちは-、rekikakkunです。

 

全国割りを利用して、大阪・京都・奈良

を中心に歴史探訪を計画しましたが・・・

 

10月11日、全国割り予約が開始され、

仕事から帰宅し、直ぐにネット予約

をチェックしてみると・・・、

 

京都、奈良の予約がまだ不可の様でした。

大坂府の全国割りの方は、予約可能なのが

分かりました。

そして予約の枠も減っていく~w

 

そこで大阪で、割引後1泊3,500円

前後のビジホを4泊分取り、大阪中心の

歴史探訪で再計画することにしました。

 

これにクーポンが3,000円×4泊分

得られるので、実質1泊500円

ということに・・・(^▽^)/

 

今回は旅行の流れで探訪場所を

ご紹介していきたいと思います。

ん? 歴史の流れは? 

(ヾノ・∀・`)ムリムリ

 

~探訪1日目~

11月に入り、出発当日となりました。

天気が良いので、大阪-京都間の天王山、

山崎城へ初日行くことにしました。

11月前半は、お天気良かったですよね~👍

(今回は公共機関移動です)

 

京都でJR京都線に乗り換え、

山崎駅に到着。

事前に確認していたコインロッカーに

荷物を預ける事が出来、山崎駅を出ました。

山崎駅構内のコインロッカー(改札口前)

山崎駅前(南口)

 天王山に行くには上の写真の右側(駅の東方向)

 に進み、線路を越えます。

  

 天王山、これもご存じの方多いですよね~。

 本能寺の変の後、羽柴秀吉

 明智光秀と戦い勝利を収めた山崎の合戦で

 重要な戦略拠点となり、

 勝敗を決める節目を意味する様になりました。

 (確か異説もあった様な? でも歴史を

  見ていた場所である事は確実ですよねー)

 

 そして秀吉が大阪城に移る前の拠点として、

 この山に山崎城を築きました。

 

 さて、駅から歩いて5分程で天王山登り口に来ました。

 (何箇所かある様ですが、山崎駅に近い登り口です)

天王山登り口

天王山登り口 拡大

 坂を上っていき、途中、大念寺境内を通過。

大念寺境内


 そして、直ぐに宝積寺に着きました。

 天王山の南側の山腹です。

 聖武天皇の勅願で行基が建立したと

 伝えられています。

 そして山崎の合戦では、秀吉の本陣

 だったとの事です。

    やはり小高い所を選んでますね~

宝積寺山門

宝積寺三重塔(秀吉が建てたとか)

宝積寺境内
(この写真右手が天王山への道)

宝積寺境内の天王山案内

宝積寺を出てすぐの山道

途中の景色(大阪の方向としか分からない)

なんか山城っぽくなってきました

分岐点に到着

旗立松
(山崎合戦時、秀吉方が旗を立てたとの伝承)

山崎合戦之地の碑

 そして、展望台に到着しました。

旗立松展望台

天王山眺望1

天王山眺望2

 

天王山眺望3
(見えてる所が合戦地とは思うが・・・)

展望台付属の合戦図
(う~ん、何か基準が見つからず、
眺望と合戦布陣の位置がよく分からない😿)

 

屏風絵

合戦開始直前の絵
(右側の川と山の間から出てくるのが秀吉軍、
中央と左側に光秀軍)

 そして3分程登っていくと・・・。

天王山分岐点

 階段を登ると、禁門の変での

 十七烈士の墓がありました。

禁門の変 十七烈士の墓

禁門の変説明板

真木和泉の墓碑

 時は幕末騒乱・・・1864年文久4年6月、

 京都奪還に燃える長州藩禁門の変に参加する為、

 尊王攘夷運動の中心的思想家の一人であった久留米藩

 真木和泉を隊長とする約300名が、先程の大念寺、

 宝積寺及び天王山等に布陣します。

 

 しかし京都御所において、長州軍は会津薩摩等佐幕派に敗退。

 ここ山崎を西へ落ち延びる長州軍の盾となって、

 真木和泉達が殿軍(しんがり)を努め、

 最後天王山の陣屋に火をかけ、十七名が切腹自刃します。

 

 この十七名は長州藩士ではなくて、久留米や肥後、土佐等

 自分の志を持って命を懸けた方達だと思います。

 真木和泉が有名ですが、その他全員一人ひとりに物語が

 あるんだと思うと、手を合わせずにはいられません。

 

 しかも多大な犠牲により明治維新が成り、

 勝ち組となったはずの攘夷派達は、

 薩摩長州の天下となった後も、時代の変化に

 ついていけず、消されていく人も・・・。

 大変な時代です( ;∀;)

 

 う~、話が秀吉から幕末にすり替わっていく

 ・・・( ;∀;)

  

 さあ~烈士の碑を抜けて、

 次の写真はと、

 お、すぐに神社が見えてきました~、 

 て、え~と神社の名前を間違えない様に確認してみると、

 ん?

 自玉手祭酒解神

(読み方:たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ) 

自玉手祭酒解神

 そうでしたか~~

 名前も知らずに行ってたのか~( ;∀;)

 

 しかし、ここはもう秀吉の山崎城内の一部です。

 その縄張り図がこちらです。

山崎城縄張り図

 登城は右から左手。最初の酒解神社。。。

 とりあえずこれで良いみたいです。

 

 そして、ようやく山崎城に入ります。

主郭に入る手前の分岐点

山崎城 主郭

山崎城 説明板

 主郭奥のこんもり小高い所に、山頂の碑。

主郭の奥(北側)に天王山山頂の碑(標高270m)

 

山頂の天守台の石垣かもしれない石垣
(縄張り図の天守台のところ、何にも説明が無くて・・・)

主郭の北側の切岸

主郭北側の石垣
(これは当時の石垣で間違いないかな?)

副郭
(主郭で写真を撮ってあげたお姉さま達が、ここでお弁当を
食べていて、この先に井戸があると教えてくれました)

井戸跡

 

井戸の説明板

副郭に戻り、北側に小道があったので少し下って
見ると、一番しっかり残っている石垣がありました

この先は危なそうなので止めました。
これ自体山城防御の一つですねー

これは崩れた落ちた石垣の残りですね~

主郭から北東側の曲輪に来ました

その先を少し歩くと、堅土塁なのかな?1

堅土塁なのかな?2

 そして主郭に戻り、建物礎石と思われる石垣を

 撮ろうと思ったら・・・

 ちょうど昼時、礎石が丁度良い高さ、皆さん

 そこに座ってお弁当食べてました(⌒∇⌒)

  

 ここは天王山ハイキングコースのすぐ脇、

 主郭と副郭が休憩にちょうど良い広場です。

 

 山崎駅から1時間と10分で天王山山頂、

 主郭に到着、手頃なコースですね~。

 

 この後、14:00頃大坂に到着。

 最初に大阪歴史博物館に行っときました。

 上町台地の変遷、大阪城の位置関係が

 分かりました。

 (大阪城関連の時に触れますね)

 

 16:30頃、本町のスーパーホテル

 に到着。

初日と2日目の宿泊先

  

  そして、チェックインしてすぐにクーポンが

  使えるお店を、ホテルのウエルカムドリンク場

  でチェック。

  無料ワインをぐびぐび、昼飯のタイミングが

  無かったのですきっ腹で、多分赤くなってたかと・・・。

  

  クーポン店チェックで1時間かかるよ~( ;∀;)

  (場所距離と料理種類、カウンター有無、開店時間等を

   数十店確認して、狙いを数店に絞ると・・・)

  ある意味、クーポンに振り回されてる(笑)

 

  そして初日の夕食、クーポンを使い一人焼肉へ。

  これで生中も加えて実費千数百円👍

  最初に高価な所に行っとくと、食欲望が無くなり

  ました(笑)

一人で焼肉、高いので腹七分目で我慢( ;∀;)

 ただ本町駅周辺を少し散歩しましたが、

 どこもそんなに混んではいなかったです。

 まだまだ飲食店は厳しそうですね~。

 

 以上で大坂探訪初日は終わります。

 

 実は今回の大坂探訪のメインは

 飯森山城と真田丸です。

 ある意味、天下統一の始まりが飯森山城で

 終わりが真田丸大阪城と、言えなくもない? 

 

 翌日は飯森山城です。

 

 ご高覧ありがとうございました。_(._.)_