歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<大阪府と周辺 歴史探訪5> 宇陀松山城 探訪

こんにちは-、rekikakkunです。

 

 前回の大阪探訪3日目は

 真田丸空堀四天王寺等を散策しました。

 

 1日中の街歩きは足が棒になるよね~( ;∀;)

 

 なので今回4日目は電車で天王寺から

 奈良県の宇陀松山城に行くことにしました。

 (遠いからこそ電車とバスを駆使して、

  足を使わなくてよい作戦👍)

 

 確か大坂夏の陣で大和路から来た徳川軍と

 大阪方の後藤又兵衛軍が激突した道明寺合戦は

 生駒山系と二上山の間付近でしたよね~。

 

 ここを電車で通って、河内と大和との国境の

 雰囲気をさくっとでも感じたかったです。

 下のマップでは③のところです。 

 

 では、天王寺から宇陀松山城への

 経路をマップで示します。

 電車は環状線近鉄大阪線で、

 天王寺駅から城最寄りの奈良県榛原駅まで行きます。

 1年前に奈良探訪をしたので少しイメージがありました。

 (奈良高取城から、大阪あべのハルカスが見えました。

  ほぼ見えてたところを横切る感じ。)

(参考)高取城から撮影。手前奈良盆地の南側、
及び奥に二上山生駒山

上の写真中央を拡大すると見えてくる

 

~地図の番号~

 ①大阪城(参考)、②天王寺駅(出発駅)、

 ③小松山古戦場跡(近くを電車が通った、国境)

 ④大和八木駅(通過駅、1年前4泊したところ)

 ⑤榛原駅(到着駅⇒ここからバス)、⑥宇陀松山城

 ⑦高取城(参考)

  ⇒⑦→③→②が一直線になってるのが

   地図上で分かりますよね~(⌒∇⌒)   

 

 また、今回訪問する宇陀松山城は、調べてみると

 関ケ原合戦の功績で福島正則の弟高晴に与えられ、

 大坂夏の陣で豊臣家消滅直後、彼が大阪方に通じた嫌疑で

 没収改易されて、破却された城でもありました。

 しかもその後に入府したのが信長の子、織田信雄

 ・・・となかなかシブい流れです。

 

 そして奈良県有数の山城遺構の名所とのこと。

 

 気が付くと・・・。

 最初の「足が棒」のところから、上記の「名所」まで、

 奈良県に行くことに至った背景を

 うだうだ書いてました(-_-;)。

 堺や芥川山城、千早城で悩んでました(*_*;

 

スーパーホテル朝食
(あまり意味ありません。この日最初の写真だったので)

 

~②天王寺から⑤榛原駅へ~

 さて、出発します。

 下2枚の写真は近鉄大阪線で、

 地図の②から③に向かっている車窓写真です。

生駒山系の南端を見てる感じ
(写真左側が信貴山の方向ですねー)

大和川二上山
(写真右手が小松山等の道明寺合戦地)

 

地図④付近の藤原京(手前)と耳成山(奥正面)
(この間を電車で通過しました。また行きたい(*ノωノ))

 

 奈良県の榛原駅に近づいてきました。

 山間部になってきます。

榛原駅到着前の北側風景
(頭が都会モードからのんびりモードに!)

 8:44JR天王寺発、鶴橋駅で乗り換えて

 9:46榛原駅着です。

 (鶴橋駅の乗り換えでは切符のやり方が分からず、

  人の流れを止め、駅員さんに怒られる(*_*;)

地図⑤ 榛原駅南口到着。ここからバスに乗ります。
(のんびりキップ売り場に行ったら、おばちゃんが今バスが
来たからキップ買わずに乗っちゃって~、と追い出される(*_*;)
親切心です、おばちゃんありがとう(⌒∇⌒)

宇陀市観光案内板
(榛原駅は有名な長谷寺の1つ東の駅です。)

~⑤榛原駅から⑥宇陀松山城入口へ~

 榛原駅からはバスで城最寄りの停留所である、

 道の駅大宇陀まで向かいます。

バスの車窓

バスの車窓2
(別世界の風景に、のんびりモードがMAXに(;^_^A
宇陀川沿いに南へ進んでます)

バスの停留所 道の駅 宇陀路大宇陀に到着

道の駅のお店

 山城、最後お店無かったあるあるなので、

 お店見つけたら食べとく。

 ついでというには美味しかった肉うどん👍。

肉うどん900円

 道の駅から歩いて出発。

道の駅の真正面の道を登ります(この写真は振り返ってます)

 

最初舗装された道を登っていきます

~⑥宇陀松山城散策~

 舗装道路を進むと、すぐに看板が見えてきました。

看板が見えてきました
(後で見ると、ここは駐車場みたい)

看板拡大

もう少し進むと、分かり易い縄張図が掲示されてました

 

山道に入りました

 

山道の右下に竪堀跡かな?
(縄張図の現在地赤丸の脇。登りでは知らずに通過してました。
下山時に出会った先生に教えてもらい、見つけた感が👍)

 そして山道になってすぐ、虎口(入口)前に

 大きな横堀がありました。

横堀1

横堀2 なかなか迫力あり

 

南西部の虎口

虎口案内板

 

虎口内で左に90°曲がった道。

石垣、突き当たって右に曲がる
ここも虎口。桝形虎口が連続しています。

 

右に90°曲がった後の階段

先程の虎口道を見る

上から見たくねくね登城道


 周辺が見えてきました。

 標高473mですが麓との比高は130m位だそうです。

本丸に入る前の眺望
背景の山並みから、だいぶ高い所だったと気づく。

本丸手前の曲輪と西側眺望

 そして、本丸に到着しましたが、ここまで鬱蒼な山道は

 全く無くて、綺麗に整備されていました。

本丸に到着

本丸奥にある天守曲輪入口

天守曲輪の案内板

天守曲輪

 虎口から本丸まで凄く整備されていました。

 というか山城で虎口から本丸まで、木で隠れずに

 整備されてるのは、なかなか少ないかも。

 

 そして、ここからです。

 本丸と天守曲輪からの眺望が半端なく凄くて、

 全360°見渡せました。

 (東西南北の表記は多少ズレあるかもですが、

  おおよそ合ってると思います)

南側眺望1

南側眺望2 拡大

 

南東側眺望1

南東側眺望2 拡大

本丸の南切岸と帯曲輪
(後で本丸南側に降りようと撮影してたが、
その後の眺望に見惚れて忘れてしまった_| ̄|○

東側眺望1
手前が大御殿曲輪

東側眺望2

北東側眺望1

北東側眺望2 拡大

北側眺望1

北側眺望2

北側眺望3

 大満足で下山しました。

 下山途中、宇陀松山城の講演をする先生とお会いました。

 ご自身で調査し、縄張図を作ってるとのことでした。

 縄張図を拝見させて頂きましたが、

 とても分かり易かったです。

 

 さて降ります。

下りは途中で違う道から降ります
この道は山道になります
・・・が、この道が当時の登城道と思います

 

山道を下る(写真は振り返り)

春日神社に到着

春日神社案内板
(当時の登城路だったとのことです)

春日神社を出て降りる

~宇陀松山の城下町~

城下町、松山地区案内図

 

春日門跡
春日神社の入口で、かつて門櫓があった当時の石垣)

松山西口関門
松山城で唯一現存する当時の遺構、福島時代と比定)

西口関門案内板(字が薄いですが)

西口関門脇の宇陀川

城下町の風情残る道(保存地区)

 奈良県の宇陀松山城探訪は以上となります。

 道の駅から近く、眺望は360°、本丸以外も

 整備されていて、とてもお奨めです。

 

 その後天王寺に戻り、天王寺七坂を

 少し見て回りましたが次回にします。

 

 鶴橋駅では朝失敗した乗り換改札での切符を、

 帰りは一発で決めて得意げな顔で通過して

 行ったのは言うまでもありません(@_@;)

 

 そして大阪最後の夜、

 あべのハルカスのレストランへ再チェレンジ。

 奥の方に行ってエレベーターありました。

 夜、レストラン街への人の流れがが少ないんだよね~。

あべのハルカスのレストラン街でしゃぶしゃぶ
(ここでクーポン使い切らないと、というあせりも。
以前お話ししましたがクーポンに振り回されるの巻です。)

 

 次回は最終日、いよいよ大阪城です。

 快晴で良い写真が撮れましたよ~(⌒∇⌒) 

大阪城 現在の南外堀と六番櫓

 ご高覧ありがとうございました。_(._.)_