歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<天下分け目の関ヶ原5>いざ、決戦の地 関ケ原探訪(2/2)

こんにちは~、rekikakkunです。

 

関ケ原シリーズも5回目となりました。

 

前回は関ヶ原盆地の史跡、

①笹尾山の石田三成陣跡と

島津義弘陣跡を探訪しました。

 

今回は前回の続きで

 ③北天満山の小西行長陣跡

 ④南天満山の宇喜多秀家陣跡

 ⑤岡山烽火場の黒田長政陣跡

 ⑥桃配山の徳川家康陣跡(最初の陣)

 ⑦関ケ原古戦場記念館(家康最後の陣付近)

を写真中心に、ご紹介致します。

 

上記の番号で地図を載せます。 

 

~③小西行長軍、北天満山~

分岐点の案内より小西行長陣跡方向を見る
この道進むと右手が小西行長陣跡になります

小西行長陣跡入口
手前の川がちょっと気になる梨木川

ちょっとした公園風、入っていきます

小西行長陣跡の碑

小西行長陣跡 説明板

小西行長陣跡から笹尾山を見る
手前の田んぼの所には、どの軍が居たのかな?

 

~④宇喜多秀家陣跡、南天満山~

 小西行長陣跡から南へ下り、

 宇喜多秀家陣跡に向かいます。

 途中森に入りました。

 森を少し進むと、

宇喜多秀家陣跡

宇喜多秀家陣跡の碑

宇喜多秀家陣跡 説明板

 

陣跡から来た道を見る
見ている所に宇喜多軍が居たのでしょうね~

 宇喜多秀家陣跡から東へ出てきました。

南天満山の手前(奥に秀家の陣跡の碑) 
多分宇喜多軍が陣取ってたんだろうな~と思いながら・・・

宇喜多秀家陣跡前方付近より石田、小西軍を見る
ここもどなたかの軍が居たのかな~?

 上写真を見ると狭い関ケ原盆地と言われてますが、

 笹尾山はだいぶ遠いですねー。 

 

小西軍と宇喜多軍の間の梨木川
前方が北天満山ですね~

 

~⑤黒田長政陣跡、岡山烽火場~

 やっぱり相手を迎えた側の西軍陣地の方は、

 はっきりしていて分かり易いですよね。

 

 ここからは東軍側も少し廻って見ます。

 

 菩提山城を見たので、その城主竹中重門

 合戦時どうしたのかな?と確認したところ、

 黒田長政と陣を共にしたとの事でした。

 なるほど、黒田長政竹中半兵衛の恩を

 忘れる事は無いでしょうからね~。

  

 黒田長政の陣跡を調べてみると、

 結構眺望が良くて、見所の場所と分かり

 ましたので、向かいます。

 

 関ケ原盆地の中央北寄り、国道21号線で

 関ケ原バイパスから交差点を北に入ると、

 下写真の位置に駐車場と入口に到着しました。

岡山烽火場の黒田長政陣跡入口
(左の道を徒歩で上がる、駐車場は右側)

 

岡山烽火場の碑

黒田長政竹中重門陣跡 説明板
流石地元の領主なので、地の利がある場所に布陣

関ケ原盆地を見ると、お、めちゃ良く見える

 ここからの眺望を沢山撮ってみました。

岡山烽火場からの眺望、史跡配置図

西軍側、西側の眺望、遮るものが無く、凄い

上写真の追記版

北と南天満山を拡大、西軍主力

関ケ原盆地中央、真ん中が松尾山

松尾山拡大、右端に関ケ原古戦場記念館
ここは松尾山が一番よく見える場所かも?

東側を見る
左端草の右側にちょこんと少し南宮山が見えます

 今回私が廻った中で、一番の眺望でした😊

 身を乗り出したのですが、北端の笹尾山と

 東端の桃配山がぎりぎり見えなかった😞

 

 ですが、それ以外は丸見え、

 とてもお薦めの場所です。

 

~⑥徳川家康最初の陣、桃配山~ 

 国道21号線、バイパスではない方の道沿いで、

 関ケ原盆地東端にあります。

徳川家康最初の陣跡
駐車場が分からなくて、説明板の裏に停めてしまった。

少し登ります

陣跡の広場

徳川家康陣跡の碑

史跡位置図

関ケ原方面を見る

拡大、中央少し左の山が北天満山
その左手に宇喜多、右手に島津

 ただ全体は見えないですね~。

 ちょっと遠いし、松尾山と笹尾山が見えない。

 当時はどうなってたんだか?

 戦局がはっきりせず、前進したのが感じられますねー。

 

~⑦関ケ原古戦場記念館、家康最後の陣の近く~

 最後に関ケ原古戦場記念館に行きます。

 家康最後の陣のすぐ東側、新しくて現代風の

 記念館でお薦め場所です。

関ケ原古戦場記念館の正面

 シアターが大画面+振動付で迫力あり、良かったです。

 館内は写真が撮れる所と撮れない所があるので、

 撮れた所を掲載しますね。

 

 2Fに中位のビデオスクリーンがあって、

 関ケ原合戦を時系列に3次元的に映していて

 面白かったです。

開戦時、中央が梨木川
なんとなく、こんな感じと伝わります。

小早川軍が、寝返り下山

 

 あと、ここの魅力として、関ケ原盆地中央から

 四方が展望できます。

展望階、四方ガラス張り

西方向

中央が笹尾山

手前の広場が家康最後の陣跡。
西軍側(中央北天満山、右手笹尾山)を見る。
ほぼ、関ケ原盆地のど真ん中の位置です。

中山道方面(左手松尾山)

岐阜方面
(右側の山が南宮山、左側の伐採された丘陵が岡山烽火場)

 はっきり言って関ケ原から南宮山の毛利軍、長曾我部軍等は

 たぶん見えないですね~。逆もしかりです。

 

 戦闘の経過は省略致しますが、

 家康がこの場所、関ヶ原中央まで前進後、

 小早川軍が大谷軍及び宇喜多軍を

 攻撃したのが定説みたいです。

 

 そして西軍は敗走しました。 

 

 戦後現地の領主竹中重門は家康の指令により、

 遺体等を埋葬し、東西2箇所に首塚

 作ったとのことです。(関ケ原駅の近くです)

首塚

首塚

西首塚

西首塚

 

 そして・・・

 西軍敗走、東軍追撃の中、沈黙を保っていた

 島津軍が家康の陣方向に向かって退却突破を図ります。

 

 次回はいよいよ関ケ原シリーズの締め、

 島津退き口と言われる退却戦を追いかけ、

 探訪します。

 

 ご高覧ありがとうございました。m(__)m