こんにちわ、rekikakkunです。
武田信玄ゆかり探訪記事を時系列で進めています。
前回は福与城、今回は大島城のご紹介になります。
6.伊那侵攻
⑮大島城(伊那大島城)
大島城は長野県松川町に存在し、伊那盆地の
中央駒ヶ根と南部の飯田の中間位の位置です。
大島城は天文23年(1554年)、
領主の大島氏から武田氏が接収しました。
1540年代の高遠城や福与城等の上伊那侵攻
とは時期が異なり、1550年代に伊那盆地
南部を攻略した、下伊那侵攻に分類されます。
今回私は伊那侵攻として、まとめてしまってます。
さて、国道153号線から東へ入り、
天竜川沿いの大島城に到着しました。

(右側はもう三日月堀)




これらの資料からも見える通り、天竜川を天然
の堀に使って本丸を配置し、敵が攻撃してくる
反対の台地側に、人工の防御施設を設置した
後ろ堅固の城になっています。
そして敵が最初に攻めかかる箇所に、二重の三日月堀
と馬出、枡形虎口で防御力を高めているのが特徴的で、
甲州流築城術と素人ながら思ってしまいます。

真ん中左を見ますと、2つに区切っている土手が見られますね


静岡県の諏訪原城も、武田勝頼と徳川家康ゆかりの城で、
巨大な三日月堀、馬出と大井川の後ろ堅固等が似ています。

大島城に戻ります。


馬出に民家があるので、入れません。



土塁、枡形虎口が見所だと思いますので、行ったり
来たりしましたが、上手に撮れませんでした。T_T
ただこの甲州流築城術の遺構が現ナマで
残されていて見れるのは、たまらないです。
なにが?と言われても╮(╯▽╰)╭。


















その後、どうしても天竜川側から大島城を撮りたくて、
駐車スペースを探し、走って撮りに行きました。




大島城から離れ、飯田方面に南下します。

・・・が力尽きて、予定していた飯田城には行かず、
静岡の自宅へ向かいます。

飯田から151号線で南下したところ

以上で大島城探訪、伊那侵攻編を終わります。
大島氏から奪取した大島城ですが、その後の
西上作戦や伊奈防衛の兵站、防衛拠点として
大改修をしました。つまり後期の仕上がった
甲州流築城術が残されてると言えます。
天正10年(1582年)織田信長が
甲州征伐に乗り出しました。
この時、大島城には信玄の実弟武田信廉が入城
していましたが、なんと城兵を置いて逃げて
しまったと信長公記に記されてるそうです。
そして上原城に駐留していた武田勝頼も無視
して甲府へ帰り、勝頼が天目山で自害後、
織田家に捕まって斬首されたそうです。
高遠城で壮絶に玉砕した仁科信盛と
比較されてしまいますね。
ただ信廉は黒澤映画影武者の重要人物で
信玄の影武者を務め、また実際でも絵画に
長じ、父信虎の肖像画等が残されています。
得手不得手がはっきりしている方だったのかも。
さて、伊那地方(この時は上伊那)を治めた
晴信は、次に佐久平(甲府の北、軽井沢の方面)
の攻略へと駒を進めます。
佐久のお隣には村上義清が居ますね。
いよいよ小笠原、村上、長尾景虎達
強豪との対決が近づいてきました。
ご高覧ありがとうございましたm(__)m

































































































































































