こんにちわ、rekikakkunです。
現在、武田信玄ゆかり探訪記事を進めています。
諏訪、伊那北部、及び佐久郡を攻略した
武田家は、北信濃最強の領主村上義清との
初対決、上田原の戦いへと進みます。
8.小県侵攻
天文16年8月志賀城を攻略し、佐久郡を手中に
収めた武田家は、翌天文17年(1548年)2月、
早くも北信濃小県郡へ進軍を開始しました。
甲府を出発し、諏訪上原城で宿老筆頭格の諏訪郡代
板垣信方と合流した武田晴信本隊は、大門峠を越えて
北進し、小県郡南部の長窪城に着陣しました。
(大門峠は現国道152号線の白樺湖の北で、
近くに霧ヶ峰、車山等があります)

当時上田地域はほぼ村上方の領地でしたので、武田所有の長窪城が
結構前線にあった事が伺えます。(黄色矢印が武田軍進路)
⑱長窪城
長窪城は小県郡南部に位置し、諏訪家の所有で
したが、天文12年の諏訪侵攻時に武田家が
大井貞隆から奪取していました。
天文17年2月武田軍は北信濃攻略(まずは
武田家領地と隣接する小県郡攻略)の為、
長窪城を度々前線基地に使ったとの事です。
それでは、その長窪城に向かいます。
国道152号線を北進し、名和町の国道254号線
へ右折東進。1km強進むと山道のカーブに長窪城
に通じる林道への案内看板がありました。
ここは搦手に通じる道で、大手側は別にある様です。

(ここを右折して林道に入る)

小さな駐車スペースがあります。

とても分かり易いです。

説明板の年代から、1548年上田原の戦い、
1550年砥石崩れ、1553年第一次川中島
の戦いで、前線基地として使われてた様です。
これ以降は村上氏が駆逐されてるので、
戦線が北上し、前線基地としての役割が
終わったと思われます。

もうほぼ山頂付近なので登りは少ないです。







縄張図を見るとまだありそうです。

尾根の両側は急斜面で、痩せ尾根に堀切を
施しているのが分かります。

その先、一段上が本郭です。




この先が上田市です。上田原に通じますので、
武田軍もこの方向へ進軍したと思われます。



天気も良く、長窪城からの眺望はとても綺麗でした。
東屋でのんびりしたい所でした。


前回触れましたが、この日は、
長窪城→志賀城→内山城の計画でしたので、
長く滞在せず、大手側へは行きませんでした。
甲斐武田家の歴史に出てくる長窪城。
この北はすぐ上田市で、村上義清の居城葛尾城
も20km程の距離です。
佐久郡を奪い、東からも武田家が小県郡の
村上領に侵攻出来る様になりました。
村上家は相当警戒していたでしょう。
いよいよ武田vs村上の決戦です。
と進めたい所ですが、長すぎない様、
ここで終わります。
次こそは上田原に到達するはずです。多分。
ご高覧ありがとうございましたm(__)m



















































































































































































