歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<小田原北条氏の防衛戦(その28)> 壮絶! 八王子城の戦い(その6 本丸周辺の攻防)

こんにちわ。rekikakkunです。

 

Windows11に対応する為、7年ぶりに

パソコンを買い換えました。

コスト削減の為、1年前のバージョンにしま

したが、さくさく動くようになりました。😊

 

そして・・・、

八王子城攻防戦を綴って、6回目となりました。😂

 

そろそろ終わらせないと、次のフェーズに

進めないので、今回で終わるつもりで、

書き始めます。😅

 

前回まで、下図の八王子城攻防戦図の、

から⑧柵門まで話を進めました。

八王子城攻防戦図 改定1
(⑨以降訂正してます)

 

今回は⑨高丸からとなりますが、

昨年の、3回目の訪問が主となりそうなので、

その日のスタートから進めてみます。

八王子の町(宿泊先)から早朝、車で八王子城へ向かう。
凄い良い天気でした👍

八王子城駐車場に到着しました
中央の山頂が、今回の八王子城本丸周辺です。

八王子城 メインの登城口

すぐに新道旧道の分岐点になります

 この日はまだ歩いていなかった旧道を進みます。

 旧道新道の北側を進むルートで、⑧柵門

 新道と合流します。

 下図に新旧の道を荒く示します。

八王子城 登り道 旧道と新道
黄色線が旧道、黒線が新道

旧道
新道程は整備されてませんが、危険少なく歩けます。

この旧道を進むと、その意味が見えてきます
この写真の左上は新道の尾根です。

新道の尾根に石垣。結構残ってますね~👍

石垣拡大1

石垣拡大2

(参考)新道から手を伸ばして撮った石垣
新道からは普通に歩いても石垣は見えないので、
予測して覗き込みましょう~

 おおよそ金子曲輪柵門の間に石垣が

 残っていて、旧道側から良く見れました。

 (紹介したのは一番大きな石垣ですが、

  ほんとは何箇所かあります)

石垣から5分程進むと、旧道はT字路に突き当たります

右側(北方向)に曲がると、
前回ご紹介しました搦め手方面になります

左に曲がると柵門(写真正面)、新道に合流します

 個人的には、なだらかな旧道の方が、

 階段が多い新道より疲れない感じです。

 

⑨高丸

 さて、⑧柵門で合流した大手軍搦め手軍

(まあざっくり3万人位?)は、

 城中心部に向けて登ります。

 

 ⑧柵門の先は、屈曲したくねくね山道になります。 

⑧柵門から登ってる

くねくね道を登っていると、
右手に別の尾根が見えます

これが⑨高丸の尾根ですね

メイン道から分かれ、⑨高丸の尾根に行ってみます

 でもこの先危険って書いてあるので少しだけ。

⑨高丸の尾根 

⑨高丸(北条軍)からメイン道(豊臣軍)を見る
(写真中央)

拡大するとメイン道の豊臣兵が見えます。
横矢を掛けられるかな?

 スミマセン。

 たまたま居た、後ろ姿の知らない方を

 攻撃軍とみたてました。m(__)m

 

 次に来た方にも豊臣軍になってもらいます。

 ですが顔が見えるので隠します。

⑨高丸から豊臣軍を迎撃する図

 

土塁がある広い曲輪
ここが高丸なのか?、記憶が定かでない

八王子城ビューポイント~

 ⑧柵門から山頂へ進むと、途中に

 ビューポイントがあります。

八王子城の眺望

上左側の丘陵の裏手のどこかに、八王子城
前の氏照の拠点、滝山城があるかも

八王子城のメインルート拡大
(中央下にガイダンス施設)

 ビューポイントからほどなく、八王子神社がある

 曲輪?に到着します。

八王子神社があるところに着きます。中の丸?

ただし説明板には曲輪名がありません。
後世整地したのかな?

 上の説明板地図の通り、八王子神社があるこの曲輪の

 右側(北側)に⑩小宮曲輪、神社の裏手(西側)が

 ⑫本丸、左手(南側)が松木曲輪に通じています。

 

⑩小宮曲輪

 八王子城の本丸中枢部は、二の丸が松木曲輪

 三の丸が⑩小宮曲輪とされており、

 山を駆け上がった豊臣軍は、まず三の丸相当の

 ⑩小宮曲輪に攻撃を仕掛けました。

 

 下の攻防戦図で見ても⑩小宮曲輪に攻撃が集中される。

八王子城 攻防戦図 改定1

 

 ⑩小宮曲輪の主将は狩野一庵

 

 彼が伊豆の狩野氏の一族であれば、

 狩野派絵師で有名な狩野永徳

 先祖が繫がってるかもですね。

 

 ⑩小宮曲輪では激戦となり、優勢な攻城側も

 多数の死傷者が出た様です。

⑩小宮曲輪へ通じる道

⑩小宮曲輪
しかし、攻め口や土塁等しっかり見ていなかった😥

⑩小宮曲輪 説明板

 説明板に上杉景勝の軍勢の奇襲により落とされたと

 書いてあります。

 

 これは上の攻防戦図の左上部、直江兼続藤田信吉

 の迂回奇襲部隊と思われます。

 

 藤田信吉は北条、武田、上杉、徳川に仕え、

 地縁が多い事等により、八王子城に詳しい

 平井無辺を調略し、棚沢八王子城本丸の西側、

 攻防戦図参照)から本丸中枢部に直攻しました。

 

 この奇襲により、統制を失った⑩小宮曲輪は落ち、

 主将狩野一庵は自害したとの事です。

 

 ただし、この部隊の奇襲対象が小宮曲輪なのか、

 本丸なのかは、議論の余地があると伺いました。

 

 そして、一緒に奇襲を成功させた直江兼続

 藤田信吉は、10年後、関ケ原の戦い前の

 上杉家の立ち位置で争い、家康への非戦を

 主張していた藤田信吉等が上杉家を出奔しました。

 (しかし歴史的には人気のある直江兼続の方が

  失策だったという無常が・・・😖)

 

 また、藤田信吉はその昔北条家に属した沼田城

 でしたが、1580年、理由があって武田方に転じ、

 真田昌幸に引き渡しています。

 そもそもこれがこの攻防戦に繫がってる

 気もしますよね。(それまくってます(__))

 

松木曲輪

 ⑩小宮曲輪が落ち、攻防の激戦は、松木曲輪

 に移りました。

 (松木曲輪への尾根及び、④御主殿から⑥山王台

  超えると、⑩小宮曲輪を介さずに松木曲輪

  行けそうなので、時系列的には同時に近いかも)

松木曲輪

 ⑪松木曲輪の主将は、中山家範

 

 彼は槍、馬の名手であり、最後の1兵に

 なるまで松木曲輪を守って戦い、前田利家

 降伏勧告を退け、妻と共に自害したとの事です。

 (たぶん、敵の目の前でかも)

 

 その壮絶な話を利家から聞いた徳川家康は、

 息子達を引立て、息子達も後世大坂の陣等で

 名を残したとの事です。

 

 嫡男照守は将軍秀忠、家光に仕え大身旗本、 

 次男の信吉水戸藩家老になりました。 

(参考)北条氏照及び家臣の供養塔

(参考)説明版
水戸藩家老中山信治が建てたと書いてます。
信治信吉の子ですので、戦死した照守
(勘解由)の孫になりますね。

宋閑寺梵鐘と説明版
こちらも中山信治等が寄贈したと紹介されています。

宋閑寺と氏照と家臣の供養塔の位置
(案内図の右側にあります)

 

 最初に八王子城を訪問した時、上の案内図を元に

 宋閑寺供養塔に行きましたが、当初氏照以外は

 知らないので、ふ~んって感じでした。

 

 しかしブログを作っていくうちに、

 曲輪の守将達は誰?→中山家範→壮絶な討ち死

 →息子たちが徳川家康に召し抱えられる

 →孫の中山信治が供養塔、梵鐘に名を刻み、

  自分が直接見ていた。

 

 と歴史の深さ、繋がりに今更ながら

    感じることが出来ました。😊

 

 ところが! 

 書きながら調べている内に、間違ってる事に

 気付きました(*_*;

 

 中山家範は最初の攻防戦図では、高丸を守備していて、

 途中で中の曲輪に移動し、戦死したと思っていました。

 

 中の曲輪八王子神社の所と思ってましたが、

 どうも松木曲輪の別名称の様です。

 (中の曲輪中の丸が、色々な縄張図や記事で

  混在してて、ちょっと混乱してた様です。)

 

  あとそもそも高丸から、敵が攻撃している

  小宮曲輪を飛び越えて中の曲輪に移動

  出来るのかな?とも思ってました。

松木曲輪 現地説明版

 基本、現地説明版を正に考えますので、

 松木曲輪=二の丸=中の丸=中山家範が

 松木曲輪を守備 と訂正しました。

 それが八王子城攻防戦図改定1 です。

 

 ここで私の1記事目安の3,000文字に

 なりましたので、終わります。

 

 次回、本丸及び詰城方面の探訪で、

 ほんとに締めになるでしょう(´;ω;`)

 

 ご高覧ありがとうございました。m(__)m