こんにちわ、rekikakkunです。
小田原防衛戦シリーズを進めており、
今回はいよいよ八王子城の探訪となります。
壮絶玉砕、悲劇のお城で語り継がれていますよね。
場所は下のマップで⑬です。
だいぶ関東平野を南下してきました。
1.八王子城の歴史
1578年(天正6年)頃より築城開始
と推定される比較的新しい山城です。
(ただ築城年は色々な説があるようです。)
包囲し、三増峠(みませとおげ)の戦いでも有名となった
相模侵攻時、氏照の居城は同じ八王子市内にある
滝山城でした。
関東でも有数規模の平山城でしたが、
信玄の攻撃を受け、落城の手前まで攻め込まれた
との事です。
(この城遺構も凄いです。杉山城を大きくした感じ🤩)
そこで少し南西に位置する深沢山(標高445m、
比高240m)の高さと要害を利用した築城を
開始し、1587年(天正15年)に氏照が
本拠として使われ始めたとの事です。
(ただ信玄の滝山城攻撃がトリガ-となったという
わりには、20年もかけるの?って気もしますが)
そして北条当主の氏政は、先代氏康の次男ですが、
氏照はすぐ下の三男でしたから、北条家中の
重鎮的存在として、軍事外交両面で活躍して
いたとのことです。
へ使者を使わせる等の接触を図っていたとされ、
上方の情報収集も行っていたと想定されます。
石垣を多用し、時代の最先端の縄張りを
行ったとも言われています。
なんとなく石垣階段等が似てるなとも思いました。
私の内容は学識が無いので、単なる雰囲気です(__)
2.八王子城の縄張
さて、本題の八王子城に戻ります。
八王子城は、大きく下記3つに区分されてる様です。
(下写真の模型図を参照下さい)
①赤線を主経路とした要害地区(山城部)、
②黄色枠部の御主殿、アシダ曲輪等城主家臣が
居住していた居館地区(山麓部)
③黒色部の駐車場、ガイダンス施設及びその東側に
広がっていた根小屋地区(城下町部)
ただし、①の山城部に関しては、赤線の所だけでは
なくて、向かいの尾根に堀切等で防衛していた
太鼓曲輪や、本丸の裏手、西側に延びている尾根に、
大堀切や詰の城等、多くの施設で構成されています。
このあたりの縄張りについては、黒鍬(id:kurokuwa)
さんのブログで、超詳細にご紹介下さってますよ。
下の陰陽図をじっと見ると、各尾根に、‖の二重線
の様に見えているのが、尾根を掘って侵入路を
遮断している堀切です。
また尾根から麓にかけて半円状に細かく連なってる
所が、人為的に平削されたスペース=曲輪です。
赤丸部はほんの一部です。他にも沢山ありますので、
じ~と探してみて下さいませ。
3.八王子城攻防戦 概要
上記のように過去トラや最新の技術を駆使して
要害となっていった八王子城でしたが、
真田昌幸等を主力とした豊臣北方軍との
攻防戦では、1日で落城してしまいました。
そもそも毎度の様に、主力が小田原城に割かれて
しまったので、いくら要害でも人数不足で
防衛出来ません。
だんだん頭にきてきました。😫
内容は後述するとして、早速探訪に移ります。
4.八王子城探訪
1)根小屋地区 探訪
①宗関寺
車でですが、まずは八王子城周辺全体の入口、
宗関寺を目指します。
駐車場から見えるお寺の心和む綺麗な風景は、
天気の良さも相まって、これからの
八王子城探訪を期待させます。😀
この時はふ~ん、って感じでしたが、
今ブログを作ってて調べてみると、
なかなかの背景があるので後述します。
そしてお寺の上の方に行きますと・・・
中央の山は、調べるまでもない、八王子城ですよねー😄
②北条氏照および家臣の墓
宗関寺から八王子城へ進む途中、少し脇道を進むと、
③八王子城跡ガイダンス施設
メイン道路に戻り、先に進みますと、
八王子城跡ガイダンス施設に到着します。
車で八王子城訪問の場合、ここの無料駐車場を使います。
無料で撮影自由。無料ボランテイアも充実。
埼玉県嵐山町と同じ親切感を感じます。(^▽^)/
一部掲載します。
④八王子城跡管理棟
ガイダンス施設から歩いてすぐに、管理棟があり、
自動販売機、トイレの他、無料ボランテイアガイド
をお願いできます。
ここは深い谷川の手前に位置し、最初に攻撃された
山下曲輪と推定されてる様です。
(ここも居館地区かもしれません)
ガイドは時間指定が無かったので、私が覗いてみたら、
直ぐに応じてくれました。それって結構親切だと思います。
(なんか日本語が変🤔、所々ありますね~)
2)居館地区 探訪
それではボランテイアの方に案内してもらい、
もう一人出会った方と3人で管理棟から
居館地区へ行きます。
(ほぼここから城内となります)
居館地区は城内の大手側山麓を構成している区域で、
日常時の住居場所です。
最奥部に城主氏照が住んでいた御主殿跡を配置し、
その手前のアシダ曲輪(近藤曲輪)及び周辺の曲輪
には家臣達が住んでいました。
その他大手の門跡、曳橋、御主殿の滝 等、
見所が多くあります。
①アシダ曲輪
近藤出羽守が守っていたので近藤曲輪、
またアンダ曲輪とも呼ばれている様です。
(ここでは現地縄張図記載のアシダ曲輪で記します)
ただ現在アシダ曲輪は寺院所有となっており、
ガイドさんが同行してないと立入り出来ません。
しかし今回は運良くガイドさんと一緒なので、
立入り出来ました👍
そしてこの時たまたま居らっしゃった夫婦2人組
の方達が合流し(ボランテアの方が吸収し)、
総勢5人で廻る事になりました。
さもない所ですが、激戦があった場所と思います。
土塁と平削地も感じられたので、得した気分
になりました。😀
アシダ曲輪は、曲輪が何段にも配置されていた
様なので、もっと奥まで探索したかった
のですが出来ません。
ここは通路を歩くと見える石垣です。
ちょっと中途半端ですが、3,000文字を
越えてますので、ここで小休止致します。
ご高覧ありがとうございました。m(__)m