歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<小田原北条氏の防衛戦(その24)> 壮絶! 八王子城の戦い(その1)

こんにちわ、rekikakkunです。

 

小田原防衛戦シリーズを進めており、

今回はいよいよ八王子城の探訪となります。

 

壮絶玉砕、悲劇のお城で語り継がれていますよね。

 

場所は下のマップでです。

だいぶ関東平野を南下してきました。

 

 

1.八王子城の歴史

 八王子城北条氏康の三男氏照によって、

 1578年(天正6年)頃より築城開始

 と推定される比較的新しい山城です。

    (ただ築城年は色々な説があるようです。)

 

 1568年(永禄12年)武田信玄小田原城

 包囲し、三増峠(みませとおげ)の戦いでも有名となった

 相模侵攻時、氏照の居城は同じ八王子市内にある

 滝山城でした。

三増峠登り口

三増峠の看板
(登り口から10分程登りました)

三増合戦場の碑

 

 滝山城多摩川南岸に面して経済的な立地を有し、

 関東でも有数規模の平山城でしたが、

 信玄の攻撃を受け、落城の手前まで攻め込まれた

 との事です。

 (この城遺構も凄いです。杉山城を大きくした感じ🤩)

滝山城から多摩川を観る
(川岸側は前回の鉢形城みたいな感じ)

大堀切に架けられた木橋
そこそこ街中なのに、凄い遺構が多く残っててびっくりしました。

 

 そこで少し南西に位置する深沢山(標高445m、

 比高240m)の高さと要害を利用した築城を

 開始し、1587年(天正15年)に氏照

 本拠として使われ始めたとの事です。

 (ただ信玄滝山城攻撃がトリガ-となったという

  わりには、20年もかけるの?って気もしますが)

 

 そして北条当主の氏政は、先代氏康次男ですが、

 氏照はすぐ下の三男でしたから、北条家中の

 重鎮的存在として、軍事外交両面で活躍して

 いたとのことです。

 

 例えば中央で覇権を進めていた織田信長安土城

 へ使者を使わせる等の接触を図っていたとされ、

 上方の情報収集も行っていたと想定されます。

 

 そこから、今回の八王子城安土城を参考に、

 石垣を多用し、時代の最先端の縄張りを

 行ったとも言われています。

 

 なんとなく石垣階段等が似てるなとも思いました。

 私の内容は学識が無いので、単なる雰囲気です(__)

八王子城御主殿へ通じる階段

安土城黒金門の階段
安土城の主郭部への出入口)

 

2.八王子城の縄張

 さて、本題の八王子城に戻ります。

 八王子城は、大きく下記3つに区分されてる様です。

 (下写真の模型図を参照下さい)

  ①赤線を主経路とした要害地区(山城部)

  ②黄色枠部御主殿アシダ曲輪等城主家臣が

   居住していた居館地区(山麓部)

  ③黒色部の駐車場、ガイダンス施設及びその東側に

   広がっていた根小屋地区(城下町部)

八王子城 縄張り模型

 ただし、①の山城部に関しては、赤線の所だけでは

 なくて、向かいの尾根に堀切等で防衛していた

 太鼓曲輪や、本丸の裏手、西側に延びている尾根に、

 大堀切詰の城等、多くの施設で構成されています。

   

   このあたりの縄張りについては、黒鍬(id:kurokuwa)

 さんのブログで、超詳細にご紹介下さってますよ。

 

 下の陰陽図をじっと見ると、各尾根に、‖の二重線

 の様に見えているのが、尾根を掘って侵入路を

 遮断している堀切です。

 

 また尾根から麓にかけて半円状に細かく連なってる

 所が、人為的に平削されたスペース=曲輪です。

 

 赤丸部はほんの一部です。他にも沢山ありますので、

 じ~と探してみて下さいませ。

八王子城 縄張り陰陽図

 

3.八王子城攻防戦 概要

 上記のように過去トラや最新の技術を駆使して

 要害となっていった八王子城でしたが、

 天正18年1590年の前田利家上杉景勝

 真田昌幸等を主力とした豊臣北方軍との

 攻防戦では、1日で落城してしまいました。

 

 そもそも毎度の様に、主力が小田原城に割かれて

 しまったので、いくら要害でも人数不足で

 防衛出来ません。

 だんだん頭にきてきました。😫

 

 内容は後述するとして、早速探訪に移ります。

 

4.八王子城探訪

 1)根小屋地区 探訪

  ①宗関寺

   車でですが、まずは八王子城周辺全体の入口、

   宗関寺を目指します。

八王子城跡 案内図
(この地図で右から左方向に進みます)

宗関寺駐車場
(この道を真っすぐ進むと八王子城となります)

駐車場からの宗関寺の見事な眺望

 駐車場から見えるお寺の心和む綺麗な風景は、

 天気の良さも相まって、これからの

 八王子城探訪を期待させます。😀

 

宗関寺入口

八王子城主氏照の家臣中山氏の子孫が寄進した梵鐘

 この時はふ~ん、って感じでしたが、

 今ブログを作ってて調べてみると、

 なかなかの背景があるので後述します。 

 

 そしてお寺の上の方に行きますと・・・

八王子城下1
お~、めちゃ綺麗ですね👍。ここが根小屋(城下町)かな。

八王子城下2

 中央の山は、調べるまでもない、八王子城ですよねー😄

八王子城拡大

  北条氏照および家臣の墓

   宗関寺から八王子城へ進む途中、少し脇道を進むと、

   八王子城北条氏照および家臣の墓があります。

北条氏照及び家臣の墓へ通じる脇道
(左の道がメインの道路で八王子城に通じます)

細道や小川の橋を数分歩いた後、この階段を登ります。

北条氏照および家臣の墓1

北条氏照及び家臣の墓2
お供えの花も整然としていて、
地元で丁寧に整備されていますね😄

北条氏照及び家臣の墓 説明板
先程の梵鐘と同じ中山氏が建てた供養塔との事です。

  八王子城跡ガイダンス施設

   メイン道路に戻り、先に進みますと、

   八王子城跡ガイダンス施設に到着します。

八王子城跡ガイダンス施設

   車で八王子城訪問の場合、ここの無料駐車場を使います。

駐車場入口

八王子城跡ガイダンス施設 案内板

 

  無料で撮影自由。無料ボランテイアも充実。

  埼玉県嵐山町と同じ親切感を感じます。(^▽^)/

  一部掲載します。

同じ縮尺での、滝山城八王子城の模型
珍しいですよね~。分かり易くて面白いです。

氏照上杉謙信へ宛てた書状
(北条家を代表していた事が伺える)

当主氏政から岩槻衆氏照の陣立てを
見習う様指示した書状
(戦に長けてた事が伺える)

  八王子城跡管理棟

   ガイダンス施設から歩いてすぐに、管理棟があり、

   自動販売機、トイレの他、無料ボランテイアガイド

   をお願いできます。

   ここは深い谷川の手前に位置し、最初に攻撃された

   山下曲輪と推定されてる様です。

   (ここも居館地区かもしれません)

八王子城跡管理棟
ここを真っすぐに進むと本丸へ通じる登城路、
左側が御主殿へ通じる分岐場所

   ガイドは時間指定が無かったので、私が覗いてみたら、

   直ぐに応じてくれました。それって結構親切だと思います。

   (なんか日本語が変🤔、所々ありますね~)

何故か管理棟のトイレに掲示されている、
八王子城陰陽図。一番見事な縄張図なんですけど。

 

 2)居館地区 探訪

  それではボランテイアの方に案内してもらい、

  もう一人出会った方と3人で管理棟から

  居館地区へ行きます。

  (ほぼここから城内となります) 

 

居館地区の探訪経路図
(黄色矢印線にて進みます)

管理棟から御主殿方向へ向かう

   居館地区は城内の大手側山麓を構成している区域で、

   日常時の住居場所です。

 

   最奥部に城主氏照が住んでいた御主殿跡を配置し、

   その手前のアシダ曲輪(近藤曲輪)及び周辺の曲輪

   には家臣達が住んでいました。

   その他大手の門跡曳橋、御主殿の滝 等、

   見所が多くあります。

管理棟から御主殿方向を進む
(この道自体は後世作られた道)

  

  ①アシダ曲輪

   近藤出羽守が守っていたので近藤曲輪

   またアンダ曲輪とも呼ばれている様です。

   (ここでは現地縄張図記載のアシダ曲輪で記します)

 

   ただ現在アシダ曲輪は寺院所有となっており、

   ガイドさんが同行してないと立入り出来ません。

アシダ曲輪入口
(この掲示板の通りです。これは寺院の石垣ですよね~)

  しかし今回は運良くガイドさんと一緒なので、

  立入り出来ました👍

 

  そしてこの時たまたま居らっしゃった夫婦2人組

  の方達が合流し(ボランテアの方が吸収し)、

  総勢5人で廻る事になりました。 

みんな流れに身を任せ、総勢5人になった
(私だけ写っていない。撮ってるから(*^_^*))

アシダ曲輪1
居館地区探訪経路図の場所です)

アシダ曲輪2

   さもない所ですが、激戦があった場所と思います。

   土塁と平削地も感じられたので、得した気分

   になりました。😀

 

   アシダ曲輪は、曲輪が何段にも配置されていた

   様なので、もっと奥まで探索したかった

   のですが出来ません。

 

   ここは通路を歩くと見える石垣です。

アシダ曲輪の石垣1
(戦国当時の石垣だそうです)

アシダ曲輪の石垣2

 

  ちょっと中途半端ですが、3,000文字を

  越えてますので、ここで小休止致します。

 

  ご高覧ありがとうございました。m(__)m