歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<小田原北条氏の防衛戦(その25)> 壮絶! 八王子城の戦い(その2)

こんにちわ、rekikakkunです。

 

小田原防衛戦シリーズを進めており、

今回は八王子城の探訪の2回目となります。

 

前回の内容は下記です。

1.八王子城の歴史

2.八王子城の縄張

3.八王子城攻防戦の概要

4.八王子城探訪

 1)根小屋地区 探訪

   ①宗関寺

   ②北条氏照及び家臣の墓

   ③八王子城跡ガイダンス施設

   ④八王子城跡管理棟

 2)居館地区 探訪

   ①アシダ曲輪

 

今回は上記の続きから進めます。

 

4.八王子城探訪

 2)居館地区探訪

  ②大手の門跡~御主殿に通じる古道

   御主殿へ通じる道は下写真を参考に2つあり、

   家臣等はアシダ曲輪を経由する青矢印の経路

   推定されますが、現在は復元されていません。

   (もしくは通常立ち入れない)

御主殿に通じる2つの経路

  重要な客や城主は黄色矢印大手の道

  進んでいたと推定されてる様です。

  

  それでは現在アシダ曲輪の正面にある城山川

  の橋を渡ります。(この橋も当時は無い)

  城山川は居館地区の側面を守る自然の水堀

  となってたと思われます。

アシダ曲輪の正面にある城山川の橋

 

橋を渡り、黄色矢印の方向に進みます
(この写真の左手に大手門跡があります)

 

ボランテイアの方が撮らせてくれた大手門付近の復元想定図
この図が無いと分からないから欲しい・・・😅
(黄色矢印は一つ上の写真と方角が同じ)

  上の写真の赤丸の所が、だいぶ埋まってしまってる

  大手門外側の空堀の様です。

     太鼓曲輪がある側面の山から流れ出た土砂で

  だいぶ埋まってしまったかと。

 

大手門横の土塁

大手門の跡
(上の写真の階段を上った付近です)

大手の門跡 説明板

大手の門跡発掘時の写真

大手の門横土塁の上

大手の門外側の空堀
だいぶ崩れて埋まってしまってるが、
大手の向かい側の曲輪(写真右上側)と
空堀の痕跡がかろうじて分かる。

  まあ何とか残ってる実物が元々好きなんです。

  こ、ここか~って感じがして・・・😅

 

大手の門を振り返ると、
御主殿に通じる古道が復元されていました

古道を遮断する空堀木橋
う~ん、これはこれで良いな~😄

そして山側には多分竪堀跡

 

  すんなり大手口から入れず、後世作られた道から

  来るので、縄張りを想像するのがややこしいです。

  ボランテイアの方の図を最初に見ておいた方が

  良いですね~。

 

  それでは古道を進んで行きます。

古道御主殿方向に進む

古道 説明板1

古道 説明板2

  そして古道を進み切ると。

古道が終わって曳橋の入口に到着

御主殿への経路 説明板

橋台石垣と曳橋
御主殿
に通じる橋の存在が発掘により判明し、
大手口跡から通じる大手道(古道)を推定できた様です。

 

   ③曳橋と御主殿の段石垣

   そして古道を進んだ後、曳橋御主殿の段石垣

   よく八王子城の代表的な案内写真で出てきますね。

   何枚か掲載します。

曳橋と御主殿の段石垣1
(橋は現代の通路用になりますが、景観に配慮してる様です)

曳橋と御主殿の段石垣2

曳橋と御主殿の段石垣3

曳橋と御主殿の段石垣4
曳橋
を渡ってきました。

  ④御主殿の虎口

   曳橋を渡ると、御主殿へ通じる虎口

   丁寧に復元されています。

   基本、発掘時の石を使って復元しているとの事です。

御主殿の虎口1

御主殿の虎口2
上の写真の中央正面の石垣

御主殿の虎口3
築城当時に積まれた状態の石垣だそうです

御主殿の虎口4
それでは御主殿の方向に進みます

 

御主殿の虎口5

御主殿の虎口 説明板

御主殿の虎口6
説明板にある通り、虎口階段の踊り場も石敷になってる

この踊り場には礎石があり、櫓門があったと推定されてます。
上の踊り場写真の右下に礎石が一つ写ってますね。

上から見ても壮観です

登ってきて曲がります

 

  ⑤御主殿跡

   いよいよ御主殿跡に入ります。

御主殿入口の門

  門をくぐりました。

御主殿跡 全景
(公式ガイドによると、写真右手の山側を削り、

写真左手の川側まで盛土をして曲輪を作っていたとのことです)

御主殿跡の遺跡分布図

主殿の礎石
(城主氏照の館跡と推定されている)

主殿 説明板

庭園遺構

主殿と通路で繋がっていた会所の復元床

会所南側の敷石通路

 

 ⑥御主殿曲輪西側の土塁石垣遺構

  御主殿跡の奥、会所敷石遺構の先には、

  ロープで通行禁止になっている所があります。

赤矢印部が通行禁止の所

通行禁止の表示

  ところが、ガイドさんが一緒なので、ここをくぐって

  中に案内してくれました。

  方向的には御主殿曲輪の西端の位置であり、

  山頂部の松木曲輪に通じる尾根筋の麓の方向です。

ここはおそらく整備されていない
御主殿曲輪の西側の部分へ入っている

これも区画された土塁に見えますね

南方向を見ると城山川が見えます。
当時道は無く、天然の堀ですね。
自然な高低差が分かります。(^▽^)/

  そしていよいよ目的の土塁石垣が見えます。

御主殿曲輪西側の土塁石垣遺構1

御主殿曲輪西側の土塁石垣遺構2
確かに土塁に見えますね

御主殿曲輪西側の土塁石垣遺構3
ここを進むと松木曲輪への尾根に通じるのかな?
遺跡保護の為、行けないけど行きたい(*_*;

   ほんとはこんな所を1時間位かけて散策したいですね~。

 

  ⑦御主殿の滝

   そして、御主殿を南に下り城山川に至ると、

   八王子城落城の悲話を今に伝え、八王子城

   象徴する遺跡の一つ、御主殿の滝があります。  

 

御主殿の滝1
(現代の道が出来たので分かり難いですが、
道の右側が御主殿で、左側が城山川御主殿の滝です)

御主殿の滝2
(この日は水が少ない)

御主殿の滝3
(供養が絶えないようです)

御主殿の滝 説明板

   ここは豊臣軍の攻撃により、居館地区に居た北条方が

   最奥の御主殿に追い詰められて、城主氏照の正室比佐や、

   女性、子供、将兵達が虐殺されたり、自刃、滝に身を

   投げたりと壮絶な状況となったとの事です。

   

   城山川が三日三晩血で染まったと伝わる、

   八王子城落城を物語る悲劇の場所です。

 

 3)根小屋、居館地区の攻防戦

   八王子城の戦いは、

   前半部分の「麓の根小屋、居館地区の攻防戦」と、

   後半部分の「要害地区(山城部)での攻防戦」と、

   ざっくり2つの局面に分けられそうです。

 

   これまでは、居館地区までをご紹介しましたので、

   前半戦を簡単に書き出してみます。

 

   ・・・と思いましたが、ちょっと頭の整理が必要

   そうなので、次回と致します。

 

   ご高覧ありがとうございました。m(__)m