歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

三河松平氏の歴史を訪ねて4 家康の天下統一への起点 岡崎城

こんにちはー、rekikakkunです。

 

今回、三河松平氏シリーズも最終章となりました。

 

徳川家康の生誕地であり、また家康が今川家から独立し、

天下統一への歩みを始める最初の拠点となった

岡崎城を探訪します。

 

まずは最終日前日の宿は、岡崎城のすぐ隣、

というか城内と言っても良い、

岡崎ニューグランドホテルです。

岡崎ニューグランドホテル正面、東方向を見る
(右手は乙川(おとがわ))

岡崎ニューグランドホテル正面、西方向

ホテル正面西方向の少し右側にはホテル建屋
と共に岡崎城天守が見えます

 そしてホテルの朝食会場は、このホテルの超お薦め、

 最上階の展望レストランです。

ホテルの朝食
(後で見ると我ながら綺麗⁈)

朝食会場からの眺め、ホテル西側。
天守が一望できる席になりました😊

 この風景は岡崎城の立地をイメージするのによいですね~。

 

 写真左手(城南側)には乙川(おとがわ)が見え、

 この写真、天守の先(城西側)には岡崎平野の中心、

 矢作川があり、その合流地点の丘陵に城が築かれてるそうです。

 

 「どうする家康」に出ていた岡崎城の鳥瞰CGには

  城南側を東西に流れている乙川が出てましたね~。

 

 そしてホテル客室からも、岡崎城天守が見えました。

ホテル客室から覗く岡崎城天守

ホテル客室から見た岡崎城天守

岡崎城天守拡大

 実は城からの天守は、上写真の通り木々に囲われていて、

 今一撮りどころが分からなかったんです。

 

 なので今にしてみると、ホテルからの城写真は

 なかなか貴重になりました。

 

 さて岡崎城に向かいます。

 朝、ホテルをチェックアウトし、荷物を車に移しました。

 元々ホテルの駐車場は近くの岡崎公園駐車場で、

 1日分のチケットを渡されてました。(=駐車代無料)

 

 黄色マークの現在地が駐車場で、その下の空き区画

 にホテルがあります。

岡崎公園案内図

 駐車場から菅生曲輪(すごうくるわ)を経て、二の丸に来ました。

二の丸

大河ドラマ

二の丸の一角に大河ドラマ館がありました。

・・・が、

開館は明日からでした。(~ ̄▽ ̄)~

(当日は1/20金曜日)

 

ま、大河ドラマ館は地元で見れるからいいや、

と思って周辺うろうろすると・・・・

天守閣、他のお店も前日休みφ(* ̄0 ̄) 

 

でも、大河ドラマ館脇にあるボランテイアの

お城案内所が開いてました。

その場で1時間コースをお願いしてみたら、

無料で1対1で案内頂き、感激しました。

 

またその後一人で地図を片手に曲輪を探していた時も、

晴れ着姿のお嬢様から何かお探しですか? 

とお声を掛けて頂き、教えてくれました。

 

岡崎城の観光展開、優しさに触れることが出来て、

とても良かったです(^▽^)/

 

 さて、説明員さんと一緒にお城を廻ります。

二の丸から西へ出たところ
当時のままの石垣ですよね~(⌒∇⌒)

家康公の産湯井戸跡

家康公が生まれたとされる板谷邸跡

 

見所の一つ、持仏堂曲輪と本丸腰巻石垣

案内板

城西側(上の写真があるところの道)

東照公胞衣塚(とうしょうこうえなづか、
家康公のへその緒を埋めた塚。塔は昭和時代建立)

 

埋門跡(うずみもんあと)

埋門北袖石垣
(高さ10mを越える)

 説明員の方の誘導で、埋門には入らず、

 いったん本丸外側を歩く。

本丸外周、西側から南方向へ

埋門と月見櫓の間の石垣
(左と右とで時代が違う感じも、左野面積、右打込接かな~?)

月見櫓台の石垣
(右下方向に、石を割る際につく矢穴の跡)

風呂谷曲輪と本丸石垣
(江戸時代この橋は無いので、
この細い曲輪を通らないと、虎口に着かない)

風呂谷曲輪の石垣

風呂谷曲輪案内板

本丸脇多聞櫓台石垣
(風呂谷曲輪から通じる本丸東南の虎口)

本丸東南の虎口に矢穴跡が残る石垣

 虎口から本丸に侵入。

本丸から埋門を覗く1

埋門を本丸側から覗く2

天守閣正面

天守石垣
岡崎城最古の石垣だそうです)

説明員さんと本丸大手口石垣
(本丸から出る)

岡崎城と言えば、本丸大手口の清海堀1
松平氏が占拠する前、西郷氏時代の最も古い堀だそうです)

清海堀案内板
(清海堀の石垣は、築城時代より後世の追加改修)

清海堀2

清海堀3

本丸天守台石垣鏡石
天守閣背後から撮影したが失敗に( ;∀;))

 

持仏堂曲輪前の堀1
(正面方向二の丸)

持仏堂曲輪前の堀2

からくり時計1

からくり時計2
(家康公が能を舞っています)

 ここで説明員さんとお別れ、

 お話が面白かった、ありがとうございました。

 

 今度は本丸より北と南側に行っていないので、

 行きました。

 

 まず北側は、

二の丸の門

地図(現在地が二の丸の門)

二の丸の北側脇を通っている国道1号線

 

 そして今度は本丸の南側に回り込みました。

龍城堀を外側から見る

拡大すると、月見櫓ですね~

赤い橋から北東側の堀を見る

龍城堀3重石垣

隠居曲輪石垣

 う~ん、南側もええな~。。。(❁´◡`❁)

3重石垣と隠居曲輪石垣のコラボ

 

 ここから隠居曲輪を通って大手口に向かいます。

本丸大手南袖石垣1

本丸大手南袖石垣2

本丸大手南袖石垣3
(多分写真右が南袖石垣ですね)

本丸虎口に来ました(本丸北東)

清海堀と天守

 1560年(永禄3年)桶狭間の闘い後、

 1570年(元亀元年)までの約10年間、

 岡崎城は家康の居城となってました。

 

 これで岡崎城探索は終わりにします。

 

 帰宅前の昼飯。

隠居曲輪案内板

隠居曲輪の食事処で最後の愛知県飯、
味噌カツ定食を頂く

 岡崎城、石垣が面白かったです。

 「岡崎城跡石垣めぐり」のパンフレットを

 説明員さんが別れ際に持ってきてくれました。

 (名称はこのパンフレットに合わせてます)

 

 これ貰って大変良かったです。

 ありがとうございましたm(__)m

 

 以上で三河松平氏のシリーズを終わります。

 

 おっと、大樹寺を忘れてたw

 家康が桶狭間の戦いの後、大樹寺に着陣し、

 和尚から厭離穢土欣求浄土(旗となる)の

 教えを授かったとされてます。

大樹時説明板

門から見える天守
(寺と学校の門越しが正ですが、これは学校の門のみ)

松平宗家八代のお墓(中見れます)

不思議だったのは岩津家が別エリアで、
かつ門が閉ざされている

 だいぶはしょりました。_(._.)_

 

 

 次回は・・・・

 関ケ原~、関ケ原~~~

 メインは松尾山と島津退き口(●ˇ∀ˇ●)

 

 ネタは良いと思われますが、

 またもや適当になるでしょう(~ ̄▽ ̄)~

 

 晴れの週を狙い、寒さも和らいだ万全の計画・・・👍

 まさかの花粉倍増計画により

 撃沈してました😿

 

 ご高覧ありがとうございました。m(__)m