こんにちは-、rekikakkunです。
今回で大阪探訪シリーズも早5日目、
ラストとなります。
の坂を散策しました。
ここで本来は一番最初に触れるべき、
上町台地について少しですが確認します。
1.上町台地(うえまちだいち)
標高30m程の隆起した台地(洪積台地)です。
大阪城はその北端に位置してます。
大阪平野を支配する拠点が全く同じ位置なんですよねー。
程よい丘陵(高すぎない高さ、地盤が堅め)が
程よく広がっていて、河川に囲われた丘陵北側の端。
最高の立地条件なんだろうと思われます。
なっていたと推定されていて、
難波宮時代の西暦700年前後でも、
台地の西側は海、東側も生駒山系の麓まで
広がる大きな池だったそうです。
そして大阪城の視点で見ますと、
周辺の湿地帯等の条件もあるのでしょうが、
大阪城の北、東、西は台地及び河川で囲われて
いるので、台地に上がって南側から攻める
しかないという・・・雰囲気が見えるかな~?
2.天王寺7坂
上記の上町台地の高さを感じる為に、
天王寺7坂に行ってみました。
①天神坂
逢坂と天神坂の間に挟まれていました。
②清水坂
③清水寺の舞台
上の写真に載っています新清水寺の眺望を
見に行きました。
上町台地の西側のへりが、はっきりと見え、
イメージが膨ます事が出来ました。
④愛染坂
愛染坂より北側は行きませんでしたが、
各坂はやはり急で高低差がはっきりしてました。
競り上がっている断面が見えたのでおすすめです。
~写真中心になりますね~
JR大阪城公園駅ロッカーに荷物を預け、
まずは城の北方向に向かいました。
弁天橋、城見通を進み、京橋から
大阪城に入りました。
徳川方の城北側からの大砲攻撃がありましたよね~。
ただ、北側はなかなか大阪城が見える所が
見つかりませんでした。
⇒①オーストリアで発見された屏風に秀吉晩年期
1596年建築の壮麗な楼閣仕様が描かれており、
ルイスフロイスの記録と仕様が合致しているそうな。
(秀吉の栄華を見て取れる)
⇒②1600年(関ケ原合戦後か?)その壮麗な橋は
京都に移築され、建て直しされた模様。
(多分家康の意向でランクダウンさせられたか?)
城北側に逃げる武士、庶民達の悲惨な姿が
描かれてます。(豊臣時代の終焉)
天守閣は1,2F基礎編パネルの
撮影はOKでした。
特に下の秀吉時代と徳川時代の本丸比較図は
分かり易かったです。
東側の建物は大阪城の土地より低い所から建ってます。
それに比べて南側の建物の立ち位置は、
大阪城と同じ高さって感じがしますね~。
天守から出ました。
さて昼食、城を出ると多分お店が分からないので、
本丸にあるレストランに行きました。
運よく空いてました。
昼食が終わり、本丸を南側から出ます。
すると桜門
桜門を出て二の丸を西に進み、大手門へ行きます。
大手門を出て外堀の外側を南→東へ廻ります。
ここ、かっこいいので何度も撮りました。
荷物を預けてあるJR大阪城公園駅から帰途に着きました。
以上で大坂編歴史探訪を終了致します。
ご高覧ありがとうございました。_(._.)_