こんにちは-、rekikakkunです。
現在大河ドラマでは「どうする家康」が
放映中ですよね~。
なので愛知県、当時の三河国へ行き、
松平氏の史跡を訪ねてきました。
これまでの松平氏は、なんとなくですが・・・。
家康の祖父清康公が優秀で三河で勢力を拡大
父広忠時代で衰退し今川家に従属するも、
結んだことにより、天下人への第一歩を歩み始めた。
確か祖先が群馬から三河に来たお坊さんだった様な?
まあそんな程度の認識しかなかったので恐縮ですが、
みなさんが良くご存じの家康、
それより前の時代に焦点を当て、
今回探訪した松平氏ゆかりの史跡や、山城等を
歴史の流れに結びつけながら数回に分けて
簡単に綴っていきたいと思います。
・・・と綴り始めようとしましたが、
やっぱりこの程度の知識では、
一文字目から浮かんで来ない( ;∀;)
よって自分が訪れた場所の立ち位置を
松平氏の系譜に繋げて確認したのが下図です。
認識不足、御認識等あると思いますが、ふ~んって
感じで温かく見てくださいませ m(__)m
(記されていない多くの人物や別の説があります。)
(字が小さいので、クリックして拡大して下さいね)
1.松平氏拠点の変遷(初代から家康初期まで)
まずは松平氏の拠点の変遷を下のマップに印ました。
①松平城⇒②岩津城⇒③安祥城⇒④岡崎城
と移り変わってます。
勢力拡大にと共に、山間部から平野部へと
進出してますよね~。
家康が拠点を浜松城に移すまでは、
この4つの拠点となったお城が松平氏
歴史認識のベースになると思います。
(全体像を見るにはマップを縮小して下さい)
2.松平郷と松平城
まず松平家の始祖は系譜図①親氏とされ、
本拠は上マップの①松平城となってます。
まず起点がここなんですね~、
確か昔、紅葉で有名な香嵐渓に行く途中、
何かと松平の文字が多くて何かあるのかな?
と思ってました。
今回調べてみると、「松平郷」という松平氏発祥の地
がある、ということで行って来ました。
上地図の左下部に大きな駐車場(無料)、
その隣に松平東照宮があります。
よって松平東照宮を目指せば大丈夫です。
今回平日に行ったのですが、駐車場に
沢山車があって盛況でした。(⌒∇⌒)
教えてもらった通り、ここに載っている
松平東照宮、高月院、松平城、大給城。
ここに行きました。
次、高月院へは歩いていく方もおられましたが、
私を山城2か所を予定していたので、
車で2分程少し上って、向かいました。
3)松平城
さて高月院を離れ、松平城に向かいます。
松平城へは松平東照宮の目の前に松平城への
案内板がありました。
ですが地図で見るとちょっと遠いので、松平東照宮の方に
お聞きしたら、車道を戻って共同駐車場から行く方が無難
との事でした。
共同駐車場はグーグルマップにも載っており、
国道301号線から松平郷に入る道の脇です。
そしてその裏手(北側)すぐに、下写真の
道と案内看板がありました。
松平郷を治めるには、ほどよい大きさの城でした。
初代親氏公と二代泰親公については当時の資料は
残されていないとの事です。
文献上はっきり残っているのは次の三代信光から
の様です。
3.岩津城
松平郷を治めていた松平氏は、
山間部から西三河の平野部へ進出し、
3代信光の時に、岩津城を居城を移しました。
(上のマップ②です。)
この脇に1台分駐車できそうなので登ろうしましたが、
よく見たら駐車場では無く、私有地でしたので、
早々に引き返しました。
4.安祥城
岩津を拠点とした3代信光は、息子たちに
城を分配し、多数の分家を作りました。
特に西三河平野最大の穀倉地帯を治める
安祥城には、後に4代となる親忠が入りました。
安祥松平家の誕生です。(マップの③です)
3代信光から受け継がれた岩津家は今川氏に
敗退して衰退し、安祥松平家が宗家となりました。
この安祥松平家から家康が輩出され、
徳川将軍家となっていきます。
そして安祥城は西三河平野の中心地なのでしょう。
後に織田信長の父信秀が奪い取ったり、
今川家が奪い返したりと、最前線の争奪戦に
なっています。
ただちょっと見た感じ、平野のど真ん中でほぼ平城。
要害の地ではない感じです。
7代清康の時、岡崎城を同族から奪い、
居城にしています。
ちょっとここらへん、話が前後してまして、
ややこしいですねー( ;∀;)
うまく書けなくてすいません_(._.)_
今回、初代松平城から4、5、6代の拠点安祥城
まで、松平宗家を中心に話を進めました。
次回は松平分家の城に視点を移します。
三河の山城の中でも規模が大きくて、
に行って来ました。
まあこれが主目的だったのですが( ´∀` )
ご高覧ありがとうございました。_(._.)_