歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<小田原北条氏の防衛戦(その11)>いよいよ 豊臣軍による小田原城包囲(2/2)

こんにちわ。rekikakkunです。

小田原北条氏の防衛戦を綴っていまして、

前回は、下記の9.4).⑦まで進んでいます。

 

9.小田原城の包囲

 1)小田原城包囲までの流れ

 2)小田原城包囲戦 布陣図

 3)小田原城包囲戦の陣地探訪分類

 4)小田原城包囲戦 陣地探訪

  (★1)東海道方面

    ①豊臣秀吉本陣

    ②石垣山城 

    ③堀秀政陣所

    ④富士山砦

    ⑤小田原城 三の丸外郭新堀土塁

  (★2)尾根筋、大堀切ルート

    ⑥水之尾口櫓台

    ⑦水之尾櫓台の尾根筋と織田信包軍布陣 

 

 今回、4)小田原城包囲戦陣地探訪

 続きでからとなります。

 

 下の布陣図の〇番号と、記事の番号を同じにしてます。 

小田原城包囲戦 布陣図(色別標高図)

 

  山内一豊、⑨羽柴秀次陣所

   では、⑧、⑨を探していきます。

   まず起点は小田原城の西端、水之尾口櫓台です。

   (上の布陣図では⑥の所です。)

⑥水之尾口櫓台

 

  上の写真水之尾口櫓台から西側の尾根筋を進みます。

  (下の拡大図で見ると、黄色線が尾根筋で、

   左方向に進みます)

<水之尾口櫓台西側の布陣図拡大>

 

  そうすると水之尾バス停がありました。

  上の図では緑〇印の場所です。

ここが水之尾バス停
(この道が尾根筋)

 バス停付近から北側を見ますと、

 丘陵が見えます。

水の尾バス停付近から北側を見る

 布陣図の位置を確認し、

 その丘陵辺りが山内一豊と⑨羽柴秀次の陣所と

 推定しました。

山内一豊羽柴秀次陣所

 

  そこから少し西に進むと、その丘陵方向(北側)

  へ通じる道がありました。

山内一豊陣所 と 青線の道

  <水之尾口櫓台西側の布陣図拡大>青線です。

 

  この布陣図とグーグルマップ、小田原厚木道路

  現地で見た道の4つが、青線の道で合致したので、

  道の方向、角度から山内一豊の陣所と感じました。

 

  まあ少なくとも、この写真の丘陵周辺に、

  堀尾吉晴中村一氏を含めた豊臣軍が

  多数布陣していたのだと思います。

 

 (★3)小田原城北西面の谷津丘陵と相対峙する豊臣軍

  黒田官兵衛、⑪蒲生氏郷 陣所

   さて、今度は(★3)の小田原城の北西側を

   探します。下の布陣図で、青で囲んだ所です。

小田原城 北西側

 

   その小田原城の北西側は、谷津丘陵の外側に

   総構え(堀とかき揚げ土塁等)を構築し、

   勘弁してくれよ~っていう位の強い防御力に

   なっていた様です。

(参考)谷津丘陵側の総構え遺構の一部(稲荷盛)
これがもっと深く、高くなっていたのでしょう。

 参考に、小田原城西端の水之尾口櫓台から見ると、

 下の図と写真になります。(前回の投稿でご紹介)

黒田官兵衛、⑪蒲生氏郷 他 の陣所 布陣図

黒田官兵衛、⑪蒲生氏郷 他 の陣所遠望👍

 

  小田原城大堀切西堀から豊臣陣地を見る

   さて、ここから水之尾口櫓台から離れ、

   近くの大堀切西堀を再探訪致します。

 

   大堀切西堀は下の布陣図の青丸部です。

   青丸周辺から、黄色丸の豊臣軍を

           見渡せる所を探します。

大堀切西堀付近から豊臣陣地を見る

 

    大堀切西堀の部分を拡大すると、下図になります。

大堀切西堀 拡大図
(赤線の西堀と、緑線の総構えの堀の合流点が青丸です)

  上地図の赤線(西堀)を通って、

  青丸の合流点に向かいます。

大堀切西堀を進む
(この堀底を先へ進みます)

 

上の写真(堀底)を進むと、前方が開けてきました

2023年10月の西堀と総構えの合流点

  ここ大堀切西堀を進むと、総構えの堀と合流する

  珍しい場所と現地の説明に書いてあったので、

  昨年10月に行ってみましたが、上の写真の通り

  だったので、前回はここから先には行きませんでした。

  (以前投稿済の写真です)

  

  今年1月再訪時、まあもう1回行ってみるか程度で

  行ってみると・・・、

  なんと!合流点が綺麗に整備されてました。😀😀😀

  (四角いコンクリートで見比べると明らかです) 

大堀切西堀総構えの堀の合流点
(右下の方向に西堀。中央斜めが総構えの堀。)

  

上の写真の左側は、こんなに総構えの堀が
はっきり残っていました。

総構えの堀を進む

総構えの堀を西へ進んでいくと、堀跡が見え難くなってきました。
写真の左上が水之尾口櫓台付近だと思います。

  さて、西堀から総構えの堀まで来ることが出来、

  かつ北方の見晴らしがよいので、豊臣軍を見渡します。

西堀と総構えの合流点から豊臣軍を見る 1

西堀と総構えの合流点から豊臣軍を見る 2

黒田官兵衛陣所 拡大(右側の丘陵)

少し別の場所から豊臣陣地を見渡す

   大堀切西堀総構えは圧巻でした。

   また、豊臣軍も良く見渡せます。

   対峙している緊張感を感じながら、

   のんびり見てました。😊

 

  小田原城 山の神堀切から豊臣陣地を見る

   今度は少し東に進んで山の神堀切から

   豊臣方の陣地を探してみます。

青丸の山の神堀切から黄色丸の豊臣軍を見ます。

山の神堀切 入口

  山の神堀切谷津丘陵を二分する堀切です。

  実はここも総構えと繋がっています。

 

山の神堀切の中を進みます

突き当たると、総構えが正面を横切っています
(山の神堀切の堀底北端から、正面の総構えの堀を見てます)

 

  さて、山の神堀切から豊臣軍を見てみます。

山の神堀切から豊臣軍を見る 1

山の神堀切から豊臣軍を見る 2

  小田原城の一辺、北西面の正面には、対峙する

  豊臣軍の丘陵があり、ほぼほぼ黒田官兵衛の陣所が

  どこからも見えますね~。

  (違ってたら、え~ってなっちゃいますが(@_@;))

 

  ~今度は逆に黒田官兵衛達、豊臣軍が在陣していた

   丘陵から小田原城を見てみます。~

 

  しかしその丘陵に行ってみると車を停める所が

  無いのと、道から小田原城側はほぼ全て農園の

  木々や住宅で見えなかったので、隙間を見つけて

  道路から少しだけ撮ってきました。

  (小田原城を見る為の場所が欲しい😢)

 

 黒田官兵衛陣所付近から小田原城を見る~

黒田官兵衛陣所から小田原城を見た方向

黒田官兵衛の陣付近の隙間から、小田原城を撮影

上の写真を拡大。
写真中央左上辺りが山の神堀切

 

 蒲生氏郷陣所付近から小田原城を見る~

蒲生氏郷陣所付近から小田原城を見る
(見た方向をA,B,Cで表示)

  (方向A)

蒲生氏郷の陣付近から小田原城を撮影 (方向A)
小田原城の北端、城下張出付近)

  (方向B)

蒲生氏郷の陣付近から小田原城を撮影(方向B)
山の神堀切付近)

  (方向C)

蒲生氏郷の陣付近から小田原城を撮影(方向C)
小田原城の西端、水之尾口櫓台付近)

  やっぱり小田原城谷津丘陵と、それに相対峙する

  黒田官兵衛蒲生氏郷ら人気武将の布陣場所から見る、

  小田原城が当時の雰囲気を最も感じられる気がします。

 

  小田原城側から見ると、包囲する豊臣軍の圧を

  感じますが、逆の豊臣軍側から見ると、小田原城

  その威容を相当保持していた事を感じます。

  

  つまり上の3つの写真に写っている小田原城

  谷津丘陵は、豊臣軍側から見ると、丘陵全てが

  総構えの堀、土塁、斜面等の防御施設として

  見えてたと思うので(@_@;)

 

  なので北条氏も籠城したくなる気も分かる様な・・・。

 

  個人的にはそれが感じられて大満足しました。😓

 

 (★4)小田原城の東側、足柄平野方面に布陣する

     織田信雄徳川家康の大軍

 

  ここはあまり雰囲気が無いのでさらっと書きます。

 

  当時、徳川家康は150万石弱、織田信雄は100万石弱位

  だった様で、小田原参陣武将の中でも、秀吉の次の

  No.2、3の実力を占めました。

  なのでこの2大名で東側大部分の包囲を任せられてた様です。 

  (ただちょっと思ったのは、後に秀吉はその2大名分の

   戦力を家康一人に渡しちゃったんだよな~。なんで?)

織田信雄軍 と ⑮徳川家康軍 の布陣場

  織田信雄陣所

   そもそも陣所は分からなくて、行ってないので、

   先に使った写真を載せます。

織田信雄が展開していた場所と推定

 

  徳川家康陣所

   ここには陣所の記念碑があります。

   グーグルマップに載ってますので、

   ちょっと狭い道ですが、少しだけ

   訪問出来ると思います。 

徳川家康陣地跡1

徳川家康陣地跡2

徳川家康陣地跡3

徳川家康陣地跡4
(上の記念碑の反対側。なんとなく四角い区画。)

  まあ小田原城が見えないので記念碑が建ってる

  としか感じないんですが・・・。

 

  以上で小田原城包囲編を終わります。

  長々お付き合いありがとうございました。_(._.)_

 

  次回からいよいよ(やっと)、関東のお城の

  探訪になります。

  多分、時系列的に玉縄城かな?

  

  ご高覧ありがとうございました。