こんにちは、rekikakkunです。
小田原城総構えの探訪、2回目となります。
4.総構え探訪(途中から再開)
前ブログでは、下の探訪マップの
①から⑤稲荷盛の総堀跡までを見て行きました。
今回は下マップの⑥、⑦、⑧をご紹介致します。
ここには箱根側の尾根筋から敵の進入を防ぐ為、
大きな堀切が連続して3つあります。
城の最も外側の⑥西堀、そして
⇒⑦中堀⇒⑧東堀 と見ていきます。
⑥小峰御鐘ノ台 大堀切西堀
(こみねおかねのだい おおほりきりにしぼり)
⑤稲荷盛から道沿いに6分程西へ歩くと、
小峰御鐘ノ台(こみねおかねのだい)
の説明板、案内板に着きました。
まず⑥西堀の行きます。
上の説明板には、
東堀は元々あり、西堀と中堀が、秀吉との戦争直前に
追加で造られたと書いてあります。
下図が3つの堀切の全体図です。
上図の赤丸、現在地から少し北へ進むと、
残っている空堀跡がありました。
空堀を降りてみます。
西堀は広くてちょっと分かり難いですね~。
最初看板があった所は、ほぼ平地だったので
西堀はこれだけかな?と思いましたが、
少し先に進むと空堀跡が見えてきました。
後で現地の全体図を再確認すると、
小田原城3つの丘陵全体を遮断する堀切は
西堀だけですね。
この西堀が秀吉軍を迎え撃つ為に作った、
最も外側の重要な堀切と理解出来ました。👍
⑦小峰御鐘ノ台 大堀切中堀
(こみねおかねのだい おおほりきりなかぼり)
中堀は文字通り、西堀と東堀の中間に位置します。
傾斜図でみますと、下図になります。
クランク状に曲がってますね。
実は中堀は舗装路と繋がって車道になっており、
上写真の通り、乗用車なら通っている様です。
この中堀も、秀吉軍対策で追加された堀だそうです。
⑧小峰御鐘ノ台 大堀切東堀
(こみねおかねのだい おおほりきりひがしぼり)
そしてここ⑧東堀が、最大の見せ場となります。
現状堀巾は25~30m、深さ8~10mですが、
発掘調査で深さ15mまで確認したとのことです。
では今度は東堀を、土塁の上から見てみます。
そして傾斜図で見てみると・・・、
くっきり見えてます。😊
上の傾斜図を見ると、東堀は
谷津丘陵を掘り切ってないですね~。
東堀のみ秀吉決戦以前にあったということは、
元々の小田原城は、西側の外郭がこの東堀で、
城域は八幡山丘陵と天神山丘陵の2つだった
のかもしれません。
これら3つの小峰御鐘ノ台大堀切図を再度見てみますと・・・、
下図の様になると思われます。
(敵は下図の左側から右側へ攻めてくる。
それを3つの堀で防衛する作戦。)
また大堀切は歩いて探訪しますが、
近くまで車で来て駐車できます。
実は1日目では見切れず、2日目に車で来て、
駐車スペースに停めて、再散策しました。
今回⑥、⑦、⑧の大堀切をご紹介致しました。
3重の土の堀って凄いですねー。
自分の知識では他には無い規模の遺構。
はっきり言って、これだけで一つの城遺構を
満喫した感じでした。😊
(3回目も行きたいです)
まだ⑨~⑭まであるので、
今回は3つの大堀切のみで締めます。
ご高覧ありがとうございました。m(__)m