こんにちわ、rekikakkunです。
現在、小田原北条氏の防衛戦を綴っています。
今回14回目、まだ終わりませんφ(* ̄0 ̄)
豊臣主力軍は箱根を越え、小田原城を
包囲しました。
前田利家を主将とした豊臣北方軍は、
碓氷峠を越え、まず北関東の諸城を
攻略していきます。
前回、下の北関東のマップで①上田城から
⑦金山城までさらっとご紹介しました。
今回は、北関東最後の拠点として、
⑧唐沢山城を探訪いたします。
(マップの番号を押すと案内が出てきます)
13.唐沢山城(続日本100名城)
1)唐沢山城の立地
唐沢山城は現在の栃木県佐野市にあります。
ここは栃木県の南部、関東平野の東端の要衝です。
そしてみなさんご存じ、佐野ラーメン屋さんが
沢山あります。こちらも重要拠点ですね(⌒∇⌒)
下の北条領全体探訪マップでは、⑥が唐沢山城です。
こう見ると、まだ関東平野の端ですね~。
唐沢山城から見た関東平野です。
ほぼほぼ都心の方向を撮ってますが、
遮るものがありません。
2)唐沢山城の歴史
伝承もありますが、その子孫である佐野氏が
戦国期まで城主だったようです。
有名なのは佐野氏15代城主佐野昌綱で、
彼は永禄2年、1559年家督を継いでから、
約10回上杉謙信に攻撃されたが、一度も
攻城による落城はなかったと言われてます。
(和睦、一時的降伏はあったが、上手に処世した。)
この事から関東一の山城と称されてます。
1574年昌綱、その後の嫡男宗綱の死後、
1586年、家督争いに乗じて北条氏が
唐沢山城を占拠し、氏政の弟北条氏忠が
養子として佐野家を継ぎ唐沢山城に入りました。
しかし4年後の1590年、豊臣軍による
北条家攻撃が開始。
下の小田原城陣立図を見ると、小峰御鐘ノ台大堀切
付近に北条氏忠の名があります。
大事な所の守将ですね。
(下の図、緑色の北条軍の一番左。)
また、上記陣立図のベースであろう、下の毛利家文書
の陣取図でも、赤丸部に佐野衆と北条左衛門尉
(北条氏忠の官位)と明記されています。
よって佐野家の主力、城主は小田原城に
籠城していたようです。
そして間もなく豊臣北方軍が攻め寄せてきました。
豊臣方には、先々代昌綱の弟房綱が属しており、
かつ唐沢山城と佐野家は北条家に乗っ取られた
経緯もあったので、大きな抵抗無く4月28日頃
開城したようです。
その後房綱、そしてその養子で秀吉家臣、
富田一白の5男信吉が佐野家を継ぎ、江戸時代は
佐野藩主となりますが、1602年唐沢山城は廃城、
佐野藩も1611年改易となりました。
(唐沢山城が堅城であることと、佐野藩主(富田氏)
が豊臣家に近かったからとも言われています。)
3)唐沢山城の縄張図
<中心部>
<案内板(全体図)>
4)唐沢山城探訪
それでは早速唐沢山城へ行ってみましょう👍。
下の綺麗な円錐状の山だと思って、車を降りて
撮りましたが、後で調べると、どうも違うみたい😓😓
駐車場に着いたら、20人位の人が居ました。
この日の探訪で、結果約100人位の方と会い、
ここが人気のハイキングコースだと分かりました。
行ったのは昨年秋で、獣被害が多発していた頃。
一人山城と思ってたので、結構安心しました。
しょっぱなから、食い違ってからの桝形(ますがた)虎口
が山城にあるという説明に、唖然としてます。φ(゜▽゜*)♪
そして桝形の中から天狗岩への登り口がありました。
少し道に迷いましたが、目的地の土橋が
観れたので、今回の目的は果たしました👍
今回は半分、ここまでとします。
次回は本丸の東側の曲輪を行ってから、
高石垣等を再確認しながら戻ります。
ご高覧ありがとうございました。_(._.)_