歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

(静岡県東部のお城ご紹介)北条水軍の本拠地 伊豆長浜城

こんにちは、rekikakkunです。

 

いや~、まだ暑いですね。

前回も同じ様なことを言ってましたが、

もう1度涼しそうな所。

 

伊豆の長浜城に行ってみます。

 

と言うか、暑さが和らぎそうなお城の

写真がこれしか無くて・・・///

 

1.長浜城築城の背景

 (突然ですが、発端はここからと思うので、)

 1578年、天正6年の3月、

 越後の国主、上杉謙信が病死しました。

 

 跡目を明確にする前の突然死であった為、

 相続候補の2人、上杉景勝上杉景虎との間で

 相続争いが勃発しました。

 御舘の乱(おたてのらん)です。

 

 上杉景虎北条氏康の子(7男)で、当然北条氏は

 景虎を支援しており、同じく北条氏康の娘(6女)を

 継室として同盟を結んでいた武田勝頼景虎への

 援助を求めます。

  

 当初は景虎支援を表明していた武田勝頼でしたが、

 乱の終盤で何故か?上杉景勝に援助をします。

 (流れ的にこの決断が武田滅亡に繋がっている

  感じですよね~。

 跡目争いで国力が大幅低下した上杉が味方に

 なった代わりに、正面の織田徳川と共に背後の

 北条の両大国を敵にしてしまった。)

 

 最終的に1579年、天正7年3月、

 景虎は敗死し、景勝の相続となりました。

 北条は武田を裏切りと見た事でしょう。

 

 上記により武田と北条の関係が悪化した為、

 1579年、天正7年9月武田勝頼は北条領との国境、

 現在の沼津市中心部に三枚橋城を築城しました。

 

 対する北条氏政三枚橋城から伊豆、韮山城への

 侵攻を押さえる目的等で長浜城を築きました。 

 (☝この文章を書きたかっただけなのですが、

  前置きが長くなりましたm(__)m

  まだ果たせぬ越後探訪への想いがつい・・・)

 

2.長浜城及び北条・武田の伊豆付近国境マップ

 長浜城の位置を下のグーグルマップに載せます。

  ①が長浜城です。

  ②韮山城、③は北条氏本拠の小田原城

  ①から③は北条氏の拠点です。 

 

  これに対し、④が三枚橋城、⑤葛山城

  ⑥は駿河の武田軍拠点江尻城。

  ④から⑥は武田氏の拠点です。

 

 実際はもっと細かい話になるのでしょうが、

 おおまかな位置関係、様子は見えるでしょうか?

 (①②③北条vs④⑤⑥武田)

 

3.長浜城周辺拡大マップ

 長浜城は現在水軍のお城として発掘調査され、

 整備されています。

 三枚橋城への対応もありますが、

 元々長浜城の脇にある重須湊(おもすみなと)は、

 伊豆と駿河湾への出入口の位置であり、

 正面の淡島等によって、波が穏やかであることから

 北条氏の軍港拠点として整備されていった様です。

 

 下のマップで長浜城周辺を拡大します。

 ①長浜城

 ②淡島マリンパーク

 ③伊豆・三津シーパラダイス

 ④伊豆パノラマパーク(ロープウエイ、展望テラス)

 ⑤ニュー八景園(伊豆長岡温泉のホテル)

 

 

 ②あわしまマリンパークと③伊豆・三津シーパラダイス

 は、水族館として小さなお子さん連れの家族に

 人気のスポットで、私も行ったことがあります。

静岡県東半分の人は、みんな1回は行ってると思います。

 個人的な予想で!)

 ④と⑤は流れで後で載せます。

 

4.長浜城探訪

 やっとお城に行きます。

 

 長浜城へは国道414号線から海沿いの

 県道17号線に入って南下します。

 

 伊豆・三津シーパラダイスを越えて

 数百メートル先に長浜城登城口がある漁業組合、

 釣堀の方向に右折します。

 

 その先に駐車場があります。

 下の写真は右折後、登城口の手前で

 一旦停めて撮ってます。

長浜城入口
(来たときは分からずに登城口を隠してしまってます)

 

 そして・・・、

 ん!なんと写真が無くて、もう本丸に

 着いてしまいました。( ゚Д゚)

 (昔デジカメと携帯両方で撮っていて、

  デジカメの写真が保存出来なかったからかな?(T_T))

長浜城本丸跡

 しかし綺麗な眺望が残ってました(⌒∇⌒) 

本丸からの眺め1
(正面少し右の丸い島が淡島)

本丸からの眺め2と、警戒している武田側の三枚橋
長浜城から北方向を撮っています)


本丸から階段で、曲輪を介して北側の海辺に出られます。

本丸北側の階段

本丸北側の曲輪
(3つの段になっており、下の縄張図の曲輪A,B,Cです)

伊豆長浜城 縄張図

海辺まで降りてきました
(縄張図ですと曲輪Dの先です)

現在も船が沢山停泊しています

 長浜城の写真はこれでお終いです。😓

 

 しかし、山城で綺麗な眺望が観れ、かつ

 海辺まで直接行ける城なんて凄いな~と思います。

 そして今回ご紹介できなかった堀跡や曲輪等も

 まだまだあって、気軽に訪問出来ますので、

 近くに来たら是非行ってみてくださいませ_(._.)_。

 

5.三枚橋城(沼津城)

 一方の武田方の拠点ですが、

 沼津市街中心部に三枚橋城が築城されてます。

 現在は中央公園に石碑と案内板があるのみ。

沼津市の中央公園(三枚橋城の本丸の位置)

三枚橋城(江戸時代の沼津城)の配置図

 

中央公園にある沼津城本丸跡の石碑と説明板
(この石垣は本物らしい)

沼津城本丸跡の説明板
(江戸時代1777年に三枚橋城跡地に沼津城を築城したが、
戦国の三枚橋城時代の方が大きかったと書いてます)

 この説明板で北条の戸倉城に対抗して三枚橋城を築いた

 とされていますが、その戸倉城は、私が前回ブログで行きました

 柿田川のすぐ脇にあります。(下マップ参照)

  ①三枚橋城、②戸倉城、③泉頭城(柿田川公園)  

 結構エグイ近さですよね~。

 戦国時代の緊張感が感じられます。

三枚橋城の狩野川から②戸倉城方向を見る
(戸倉城は正面の山の先なので見えてません)

 

6.駿河湾海戦

 さて、そんな緊張関係にあった武田、北条の

 伊豆方面ですが、

 1580年、天正8年3月駿河湾にて

 最大の海戦が勃発します。

 

 長浜城に集結した北条水軍が、沼津の千本浜に

 布陣していた武田軍を攻撃しました。

 そんな事があったんですね~~~。

新東名 沼津SAから駿河湾長浜城方面を撮影

マップで見ますと、

 ①長浜城、②三枚橋城、③千本浜、④首塚、⑤パノラマパーク展望台

 北条水軍が①から、駿河湾及び③の千本浜へ出撃。

 戦いは数日行われ、詳細不明ながら北条が駿河湾制海権

 握ったとも言われています。 

千本浜から撮影
(左:千本浜、右:駿河湾、正面:沼津港、長浜城方向)

千本浜から見た、今は静かな駿河湾

7.千本浜の首塚

 千本浜には首塚がありました。

 これは北条武田軍による駿河湾海戦時の

 戦死者の可能性があるとのことです。

 

 沼津市ホームページの調査研究によると

 首塚の骨は室町中期から戦国時代で、

 戦闘による痕跡があるとのことです。

千本浜の首塚

首塚の説明板

首塚

 

8.伊豆パノラマパーク

 伊豆長岡にあるパノラマパークのロープウエイ乗り場から

 葛城山山頂へ上がると、360度の凄い絶景が観れます。

富士山は雲で残念でしたが、拡大するとこの迫力です!

 

葛城山山頂から駿河湾、富士山、淡島、沼津港が一望に(@_@;)

葛城山山頂から、北条水軍の武田への攻撃進路を見る(推定)

 駿河湾海戦についてはこの写真が一番

 かっこよかったので載せました。

 (しかし撮った時は駿河湾海戦なんて知らなかったりして(笑))

 

 凄い絶景ですので、絶対に晴れの日に行って下さいねー。

 

9.伊豆長岡のニュー八景園

 まあ実は今回の写真は同じ時ではないのですが、

 長浜城に行った時は、近くの温泉で有名な

 伊豆長岡に泊まりました。

 そのお宿がニュー八景園です。

 

ニュー八景園正面

露天風呂からの風景、富士山が見えます
(一人だったので撮影してしまった)

夕食はまだあれがピーク時だったので、
部屋食しかなくて、うな重。(約2年前です)

朝食はレストランに案内されました。夕食より豪華に見える。

 ホテルは伊豆長岡温泉内の少し高台の位置であり、

 すぐ脇に伊豆パノラマパークの搭乗口や市役所がありました。

 露天風呂が開放的で良い景色でした。(⌒∇⌒)

 

 以上で長浜城を終わります。

 前回が泉頭城でしたので、そこから

 静岡県東部のお城編として進めてみます。

 ・・・ネタ的にそうなったので(笑)

 

ご高覧ありがとうございました。m(__)m