歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<小田原北条氏の防衛戦(その1)> 北条家による小田原城総構えの構築(1)

こんにちは、rekikakkunです。

 

今年の夏は暑かったですね。🤣

今年夏の平均気温は、統計を始めて125年間で、

最も暑かったそうです。

 

その暑さも次第に和らぎ、ようやく

動き易い季節になってきました。

山城シーズンの到来です。(^▽^)/

 

今秋は戦国時代の有名なお城が沢山ある

埼玉県探訪を11月に計画しています。

鉢形城忍城松山城、杉山城あたり)

 

しかし埼玉県、武蔵の国を含めた関東は

戦国時代、いや!、そのもっと昔から

複雑怪奇な歴史を踏んでますよね?

 

室町幕府が開かれたのは、1336年とも

1338年(建武5年)ともいわれていますが、

初代尊氏の時代に、子の基氏が鎌倉に下行し、

1349年に鎌倉府が設立しました。

 

幕府成立とほぼ同時に関東に権力組織が出来てしまい、

騒乱への下火が燻っていたと考えられます。

 

そして公方(くぽう)やら関東管領やらが

何故か複数出て来て、とても分かり難いです。😂

はっきり言って投稿できるほど把握できていない( ;∀;)

 

なので的が絞り易い豊臣秀吉と北条氏との戦いを

ベースにして、埼玉県及び周辺のお城探訪の話

を進めていこうと思います。👍

 

そして基本私は英雄が多くいた後北条氏

好きなので、表題を小田原防衛戦としますね。✨

(じゃあ嫌いなの居ます?って聞かれると

 特に思いつかなかったりして(@_@;))

 

まずは、北条氏の本拠、小田原城を見に行って来ました。

戦いの前準備として、第1回目としたいと思います。

 

1.北条家による小田原城総構えの構築

 (1)背景

 秀吉と北条氏の手切れは1589年(天正17年)

 11月の秀吉の開戦通知ですが、以前より両家の

 交渉は行われており、

 北条家も同年8月に氏政の弟氏規を上洛させたりして

 落としどころを探していました。

 

 ただ北条家としても開戦の可能性も高いとみていて、

 本拠の小田原城の防衛強化を急ピッチで進めて

 いたと思われます。

 

 その中心は総延長9km、堀と土塁で城を囲んだ、

 総構え(そうがまえ)と呼ばれる防御施設です。

 その規模は大阪城を凌ぎ、日本一と言われてるようです。

 

 今回、歴史的な背景等難しい話は次回以降にして、

 純粋に小田原城の総構えを見ていきましょう(^▽^)/

 

(2)総構え探訪マップ

 まずは下調べ。

 色々な総構えの探訪マップがありましたが、

 多くの遺構の記載があって分かり易そうな、

 下図を片手に探訪してみました。 

 (結果的に①から⑭を探訪してます。)

小田原城総構え探訪マップ
(青色の★と〇番号は私追記)

(3)小田原城の位置と地形

 そしてマップと共に小田原城の位置と地形を

 確認してみます。

 小田原城の位置>

小田原城の位置
東に箱根があり、その西側の尾根先です。
この縮尺で見てもかなり大きいですね~。

 小田原城の地形>

小田原城の地形図と縄張り
(この地形図の着眼点は、3つの丘陵とその接続点です)

 赤線がおおよその小田原城の外郭、総構えです。

 城の中心は八幡山丘陵に設置され、

 現在の小田原城の本丸もその丘陵の

 南東端に位置してます。

 

 この地形図を見ると、八幡山丘陵は、

 その南と北がそれぞれ天神山丘陵

 と谷津丘陵に挟まれ、守られてます。

 丁度3本の指を東側へ突き出した様な地形です。

 

 海側は、南西は早川、北東は現在ほぼ暗渠と

 なっていて地図で分かりませんが、渋取川までの

 範囲になってるそうです。

 

 そしてこの中で、川や山で遮られていない

 箇所があります。

 

 地形図の左上で西の方向にあり、3つの丘陵の

 始点となっている小峰御鐘ノ台(こみねおかねのだい)

 という場所です。

 (上地形図の茶色〇で示した所です)

 

 ここは箱根側(地形図の左側)から尾根続き

 になっており、地形的な防御がありません。

 しかも、ここを突破されると、3つの丘陵に

 敵がアクセス出来てしまいます。

 

 なので、この場所(茶色〇印の所)の防御を、

 念入りに補強したとのことです。

 そして山側なので比較的遺構が残り易い。

 ⇒ここが総構え一番の見所の様です。

 

 以上の情報を踏まえ、城の北の角「①城下張出」という

 場所からスタートし、ほぼ番号順に探訪しました。

 それでは総構え探訪に行きましょう。😀

 

(4)総構え探訪

 ①城下張出(しろしたはりだし)

     (この①の番号と、探訪マップの〇番号を同じ場所にしてます。)

  まず最初に下の探訪マップ内の右上の方、

  ①城下張出に向かいました。

  (現地ではずっと、じょうかはりだし、と読んでた(@_@;))

前置きが長かったので再掲載します。

  マップを片手に道を確認しながら

  ①城下張出の★印の所に来ました。

お、ありました、①城下張出

張出の角とその外側
(高い尾根の端ですよね~、外側が低くなってる)

 

  小田原城の遺構の様子を国土地理院の地図で

  探したら、下の傾斜図が分かり易そうでした。

小田原城 傾斜図> ①城下張出 と 総構えの遺構

  多分、青矢印のところが総構えの堀や

  土塁の線だと思います。

  総構え探訪マップの形状と合致してますよね~。

  (因みに国土地理院地図は上方向が北ですが、

   探訪マップは少し右周りに傾いてます)

城下張出の説明板

  説明板を見ると、ふむふむ、出っ張らして横矢だね、

  と納得しながら読んでました。

 

  ・・・とここで、説明板に書かれている堀と土塁って

  見当たらないな~、と少し周りを見渡しましたが、

  特に見あたらず、そうこうしてるうちに・・・

 

  仕事中のかみさんから、

  今、津波注意報が出ていて、小田原にも来るかも、

  知ってる? とLINEが入ってきたので、

  え?っと、少し海が見える所まで戻りました。

  ちょっと焦りましたが、すぐ後に注意報は解除されました。

 

  そして帰ってから確認してみたら、

  城下張出は「平場」と「堀」の2箇所あり、

  平場の裏(北側)が掘状になってる様です。

  (堀=低い⇒なので平場から見えなかった)

 

  と言うことで、城下張出は近くに2箇所あります。

 

張出から少し戻った所で、城外側との高低差が見えました。
丘陵のキワですよね~、今でも急ですね。

 

小田原城天守八幡山古郭を望む 展望地

 城下張出から西へ進むと、マップの説明通り、

 南側が開けた②展望地がありました。

 共用駐車場から、少しだけ写真撮らせてもらいました。 

 もしマップに記載が無かったら、多分綺麗だな~、

 って素通りしてたと思うので助かりました。👍

 

 そして、下写真で見えてる所は全部小田原城域ですね。

 それでも、小田原城のざっくり半分弱程と思うので、

 この距離感で見たら、広大なお城の規模を感じられます😊

②展望地から小田原城天守と、そのすぐ右側八幡山丘陵

天守閣拡大

天守閣と八幡山丘陵
天守と丘陵の間に新幹線が通ってます。
そこは丘陵から切り離すための掘だった様です)

 下の写真は翌日ホテルから運よく撮れた写真です。

上の写真を、別の場所で真横から撮った写真
左:天守、真ん中:東海道線路(堀)、右:八幡山丘陵が高くなっていく

 下の写真で補足してみます。

八幡山丘陵と小田原城

上の写真は、この図の赤矢印の方向を撮ってます

 

③分岐点の総構え堀跡

 ②の展望地からそのまま道なりに西へ歩いていきます。

そうすると③分岐道に来ました

③分岐点の右側にある説明板

 この地図の堀は、総構えマップと微妙に違いますね~。

 総構えマップですと、分岐点の手前(東側)の道沿い

 には総構えの堀がありません。

 

 しかしこの看板(下に拡大)には分岐手前も

 少し堀跡になってます。

看板拡大

 

 分岐点右側の道に入ってすぐ振り返ると、 

分岐点の手前北側(写真左半分)は
看板の通り堀跡に見えますね。
ガイドさんが居ればすぐわかるのだけれど・・・

 ただ下の傾斜図を見ると、堀は赤丸の真ん中、

 別れ道際で堀が上に延びています。

 総構えマップと同じですね~。

 微妙な角度や位置の差かもしれません。

小田原城 傾斜図> ③分岐点

 

看板もあるので、分岐点の右側の道を進んでみます。
看板の図ですとここは堀底になってる様に見えます。
(柵があって開いてます。がちょっと入ってよいのか不安。)

総構えの外、北側の眺望
(多分向かいの山には包囲軍が居たかと)

外を見ながら歩いていきます

 ・・・が、その先は完全に農園になってましたので

 引き返しました。

 ただし農園の先には土塁状の物が南北に見えました。

 今考えると、次の、山の神堀切の東端じゃないかな?

 

④山の神堀跡

 分岐点に戻り、左側の道に進みます。

 そうすると、すぐに④山の神堀切がありました。

④山の神堀切入口

 

山の神堀切 説明板

 山の神堀切は、谷津丘陵を分断する堀なんですね。

④山の神堀切
下だいぶ埋まってますが、デカいですね~

 堀切の中を進んでみます。

堀切の北側も堀で繋がってます
堀切自体も守ってるみたい

 

⑤稲荷盛(いなにもり)の総構え跡

元来た道に戻り、また西へ進むと

⑤稲荷盛への入口の看板がありました。
ここを入って行きます。

稲荷盛の堀が見えてきました

お~これは確かに竹林と堀が幻想的で凄い😊
(クリックして拡大してね)

右側拡大

左側拡大

 

 そして⑤稲荷盛の総構えは地形に沿って残っている

 とのことで、イメージし易いですね。

 下の傾斜図でもはっきり、ここと分かります。

小田原城 傾斜図> ⑤稲荷森の堀跡

⑤稲荷盛総構え説明板

 説明板によると、総構えの堀は尾根の外側の

 少し下がった所を掘り、

 (山城で言う切岸を作ってるんですね)

 そのまた外側に土塁を作って、外側の敵から

 堀を見えなくしているとのことです。

 かなり分かり易い説明です。

 

 さて、目安の3,000字を越えました。

 まさかの総構え終わらずです。(@_@;) 

 写真もまだ半分以上残ってます。

 

 想定よりも遺構が多く残ってて、

 見所が盛りだくさんだったので、

 ブログにも気合がはいりました。👍

 

 次回はいよいよ総構え最大規模の小峰御鐘ノ台、

 3本も連なっている大堀切からになります。

 テレビでも総構えの紹介で必ず出てきます。

 

 (番外編)

       実は小田原の駐車場に到着して、

  歩き始めしょっぱな道に迷ってしまいました。

駐車場から出て最初の写真
(堀に通じる道なのか悩みました)

 小田原の北側は丘陵なので、少し入り込むと

 こんな感じの藪道が多いのだと思います。

 私有地もありますので、ちょっと注意が必要ですね。

 

 以上で終わります。

 ご高覧ありがとうございました。m(__)m