歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<天下分け目の関ヶ原1>合戦前日、家康赤坂着陣と西軍大垣城

こんにちは-、rekikakkunです。

 

今回から関ケ原シリーズです。

(と言っても個人の適当な訪問記です(;^_^A)

 

3年程前から大垣、赤坂、山中村に行ったりと

周辺の史跡には少し出没してましたが、

関ケ原の中心部には、それのみの目的で

一度じっくり行きたいと・・・、

タイミングを図っておりました。

 

寒さも和らぎ、桜も咲き頃となりました

今年3月下旬、岐阜県関ヶ原古戦場に

行ってまいりました。

 

桜は満開、天気もほぼ雲が無い晴天で、

とても良かったのですが・・・、

 

今年は花粉が多く、

周囲が山で囲われている関ケ原に着いてからは、

ずっとコンタックを飲み続けて頭がボ~、

集中力down状態でした( ;∀;)

だから多少の間違いは大目に見てねーφ(* ̄0 ̄)

 

今回探訪場所が関ヶ原ということで、

ちょっと背景、経緯が中途半端になりますが、

関ケ原合戦の前日からでご紹介したいと思います。

 

決戦前日、両軍の主力は西軍は大垣城

東軍も大垣城北西近くの赤坂に布陣し、

大将の家康が到着してきます。

 

1.西軍の拠点大垣城

 石田三成ら西軍主力は、合戦の約1カ月前から

 前日まで大垣城を拠点とし、濃尾の計略、

 西軍への指示、抱え込み等をしていました。

 

 駅近郊のホテルから徒歩で大垣城へ向かいます。

 途中、桜でも有名な水門川に来ました。

 また大垣市は多くの河川、豊富な地下水等により

 水の都とも言われています。

大垣市 水門川(満開です)

 川を渡りすぐ大垣城に到着しました。

 桜で綺麗な大垣城を掲載しますね~。

大垣城

大垣城

大垣城

大垣城

 確か大垣城天守展望台からは、東は岐阜城

 北西に東軍岡山、西に南宮山等が見渡せた記憶が・・・。

 3年前行った時の写真が無い🤣

 

 8月23日の岐阜城落城及び東軍先発隊が

 赤坂等に布陣したことにより、大垣城

 東軍との距離は一気に縮まりました。

 

 合戦前日の時点で西軍は大津方面等に分散

 しており、かつ毛利勢等が背後の南宮山で停滞、

 反面尾張、美濃の城は東軍が増えてきたので、

 大垣城は主力なのに前線孤立状態になりつつ

 あったと思います。

 

2.家康の赤坂着陣

 一方の家康は、西軍の上方での挙兵に

 対応する為、上杉討伐を中断。

 1600年9月1日に江戸を出発し、

 上方へ進軍しました。

 

 そして岐阜城を落とし、大垣城と対峙

 していた東軍先発隊と合流した場所が、

 美濃赤坂の地、9月14日です。

 運命の関ケ原の戦い前日です。

 (意外と前日到着だったのね?)

 

 家康は赤坂の小高い丘に位置する岡山に

 本陣を設置しました。

 

 3年前に、大垣のホテルのレンタサイクルで

 岡山本陣跡に行って来ました。

自転車で大垣から岡山へ行く途中
(写真中央が岡山、県道214号線を北進中)

岡山を少し登ってます
(昔の写真がほとんど無くなってます😞)

 

 今回は車で赤坂に向かいます。 

赤坂へ北進中(この道の先が赤坂、岡山です)

西側がひらけていて、関ヶ原方面が見えます
(中央が南宮山、左に養老山系)

写真中央の南宮山に対し、家康東軍は右脇、
三成西軍は左脇を通って、南宮山先の関ケ原へ進軍します

 

 岡山は現在安楽寺の寺領とのこと。

 というか昔からで、聖徳太子開基と伝わる。

 安楽寺でなむなむしてから、駐車場に止めて、

 近くの南側が見えるところに歩いて行きました。

岡山から西南方向、南宮山を見る

東軍本陣の岡山から南西を見る。
西軍が写真左方向の大垣から、写真中央の養老山系と
右の南宮山の間を通って関ヶ原へ、右方向に進軍
しているのが分かったはず

家康はこの後、中央南宮山の右脇を通って、関ケ原へ向かう
(丁度写真正面から南宮山北脇が旧中山道の道筋)

 

 ここ岡山と大垣城は直線距離で約4kmの近さ。

 岡山の方が大垣城より少し西側に位置しており、

 西軍は心穏やかでは無かったでしょう。

 関ケ原合戦前日の9月14日は、東軍西軍の主力同士が、 

 それぞれ大緊張状態で対峙していたんだと思います。

 

 岡山から大垣城方面が見えなかったのが残念ですが、

 前回自転車でも行ってるので距離感は感じることが

 出来てます。

 

 今回南宮山等もはっきり見渡せて嬉しかったです。

 お天気もいいね~😊

 

3.菩提山城(ぼだいさんじょう)

 さて、翌日家康は岡山から旧中山道

 関ケ原方面へ西進します。

 

 が、少し寄り道をして、旧中山道より

 少し北の道を西進し、

 かの有名な竹中半兵衛のお城でもあった

 菩提山城を見に行きます。

 半兵衛の父重元が岩出氏を破り、築きました。

 

 県道257号線(赤坂垂井線)を西進し街並みを越えると、

 お~見晴らしがめちゃ良い所に!

県道257号線から中央の菩提山城を見る
ちょっと分からないかな?
(たぶん垂井町立北中学校の近くで撮影)

上の写真を拡大、
中央の山頂が平らな山、桜の木がある

もっと拡大、写真中央が菩提山城本丸
(右上に平たい頭だけ見えてるのが伊吹山

もっと近くで拡大
(鉄塔の右が本丸だね、こう外からはっきり
分かる様にしてくれてるのが良いですね~)

菩提山城の麓まで行ってみます。
(ほぼ戦国時代と同じ風景なんじゃないか?) 

4.竹中氏陣屋跡

 菩提山麓の道を進むと、竹中氏陣屋跡に着きました。

 竹中半兵衛の息子重門が江戸時代、陣屋を置いてます。

 そして明治維新までこの地の領主として続いてます。

 

 そもそも関ケ原竹中重門の領地。

 当初西軍でしたが、旧知の黒田長政に合力し、

 東軍として合戦に参加し、

 家康に菩提山城も空け渡してます。

 

 戦後家康は本領6000石を安堵。

 復興費を重門に渡し、戦死者の収集、

 首塚の設置等を指示したそうです。

 

竹中氏陣屋跡1

竹中氏陣屋跡2

竹中氏陣屋跡3

門の上に行けました

竹中氏陣屋跡から菩提山城を見る

竹中氏陣屋跡から関ケ原方面を見る
(写真左側は南宮山)

 竹中氏陣屋を訪問してる時、しみじみと思いました。

 

 秀吉の中でも苦しい時代に貢献度多大な竹中半兵衛

 その跡継ぎがたったの6000石という秀吉の塩対応。

 そして重門の東軍への鞍替え。

 (地理的に最初は西軍につかざるを得ないですが)

 

 その辺り、何故豊臣恩顧の大名達が家康に

 味方することになったのか?・・・と

 ま、色々ありますよね~。

 

 そして、天気も良いし、菩提山城に登っちゃおうと

 車で進んだのですが、

 間違えて山の裏の奥の方に行ってしまい、

 行き止まりになってしまいました_| ̄|○

 山城って、ついでに行く計画ではダメですね~。

 またの機会にしますm(__)m

 

 そして家康達東軍は合戦当日、南宮山の北麓を通って

 関ヶ原へと進軍します。

関ヶ原へと近づく(左が南宮山)

 

 今回訪問場所。

 ①大垣城(西軍本陣)⇒②岡山(東軍本陣)⇒③菩提山城⇒④竹中氏陣屋跡

 (位置情報の参考として、⑤南宮山、⑥関ケ原

 

 

 とりあえず今回は合戦前日の両軍主力の場所を

 確認しました。 

 

 次回は小早川秀秋の松尾山城、初訪問です。

 

 ご高覧ありがとうございました。_(._.)_