歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<小田原北条氏の防衛戦(その23)> 北関東最後の防衛拠点 鉢形城(2/2)

こんにちは、rekikakkunです。

 

小田原防衛戦シリーズを進めており、

今回は鉢形城の続きで2回目となります。

 

~二の曲輪、見事な空堀

 前回大手口三の曲輪秩父曲輪を中心に

 進めてきました。

 今回は二の曲輪から本曲輪へ進みます。

 下の縄張図の赤丸付近が二の曲輪です。

鉢形城縄張図 二の曲輪付近

 前回ご紹介しましたが、鉢形城荒川深沢川

 三方を囲われているので、攻め口は上の縄張図

 で見ますと、左上方向からとなります。

 

 なので左上からの攻撃に対し、堀、土塁、馬出等の

 防御施設が多く配置されています。

 

 二の曲輪空堀は、この左上(西南)からの

 攻撃に対し、荒川深沢川の断崖間全体を掘で

 遮断しているので、重要な防御施設の様です。

 

二の曲輪  空堀

二の曲輪 空堀

二の曲輪 空堀
(この先が荒川の断崖)

二の曲輪 空堀
(中央部は舗装道が通っている)

二の曲輪 空堀
左手が深沢川の断崖

二の曲輪 空堀 説明板

 発掘調査では、堀底に(うね)が発見されたが、

 後北条氏特有とされていたがある障子堀は、

 実は後北条氏以前から存在していたとの事です。

 

 また二の曲輪の堀底は高く、土塁は低く復元されており、

 当時は、現存よりはるかに高低差がある堀、土塁でした。

 ただ現在でもなかなかの威容ですね~。

 

~二の曲輪 馬出~

 そして二の曲輪の荒川側には、

 特徴的な馬出がありました。 

二の曲輪 馬出1

二の曲輪 馬出2

二の曲輪 馬出3
木橋で渡れます)

 三の曲輪から二の曲輪に入るにはこの木橋を通って、

 馬出に入ります。

二の曲輪 馬出4

 かっこいい二の曲輪の馬出なんですが、その

 外側の三の曲輪の高さと何故ぼほ同じなのか、

 ちょっと気になります。(復元上たまたまかな?)

 

 あとこの馬出三の曲輪が攻撃側に奪われないと

 効果的に使われない施設になるのかな~?

 (二の曲輪の外側は比較的新しいのかも)

二の曲輪 馬出5
馬出の上から空堀の底を覗く、控えめに復元してこの高低差👍)

二の曲輪 馬出 説明板

馬出から二の曲輪土橋を見る

 馬出からは、土橋(細い道)を通って二の曲輪に入ります。

土橋

土橋の左手(北側)は荒川の崖

二の曲輪全景

 

~二の曲輪と本曲輪の間~

 二の曲輪を進み、本曲輪に至ります。

 

 ちょっと厳密には違いますが、深沢川側に

 曲輪間の遺構が残ってましたので、

 少しですがご紹介致します。

 下の縄張図の赤丸部です。

二の曲輪と本曲輪間の堀、土塁

高い土塁

堀と土塁、曲輪

深沢川の断崖
橋を渡るべきでした。
後で確認すると外曲輪土塁があったかもです😆

舗装路を挟み反対側(北側)に本曲輪

 

~本曲輪、伝御殿曲輪~ 

 本曲輪の荒川側が伝御殿曲輪の様です。

 この部分は本曲輪の中でも高い位置になっており、

 おそらく鉢形城の中枢で、北条氏邦もここで

 指揮をしていたと思われます。

 下の縄張図で赤丸の所です。

本曲輪内の伝御殿曲輪

伝御殿曲輪に入ります

伝御殿曲輪1

伝御殿曲輪2

伝御殿曲輪3
写真左側が高くなっている

伝御殿曲輪4
曲輪内も空堀で分かれていた様です

鉢形城石碑

 伝御殿曲輪からは荒川が綺麗に見えました。

伝御殿曲輪から荒川を望む1

伝御殿曲輪から荒川を望む2

 これは絶景です。城から荒川が見えた。😀

伝御殿曲輪から荒川を望む3
橋の部分を拡大

伝御殿曲輪から荒川を望む4
対岸側

荒川鉢形城の境
荒川側は天然の要害になってますよねー

伝御殿曲輪を降りる

 

~笹曲輪、鉢形城の先端~

本曲輪から東へ進みます
(両側は土塁)

笹曲輪

笹曲輪の場所です
荒川深沢川の合流点(城の頂点)に位置してます

 ここから荒川の橋を渡って、鉢形城

 対岸側に行ってみます。

 

~荒川から鉢形城を撮る~

 グーグルマップを頼りに対岸へ降りられる所へ行きます。

対岸への道

荒川へ降りています
遊歩道になってる

荒川から鉢形城を見る。
断崖絶壁、要害なのが一目で分かりますね😄
土の城を内と外で見えるのって嬉しいです

伝御殿曲輪の部分を拡大

荒川の西方向

荒川の東方向

橋から荒川を見る(鉢形城の反対、東方向)

 

~外曲輪、土塁、堀

 荒川深沢川の合流点から、深沢川南東側の

 下図で赤丸で囲われた広いエリアは、総称的に

 外曲輪といって、深沢川の外側にあり、

 その曲輪も大きな堀と土塁で囲われています。 

 後北条氏らしい感じ。

外曲輪

 今回の探訪は、ちょうどこの図の現在地から、

 時計回りに自転車でぐるっと1周した感じです。

 

 荒川から駐車場までの帰り道で、

 あまり認識なく写真を撮ってましたが、

 外曲輪はしっかり見ておくべき遺構でした。😅

 

 写真は赤丸の中央部付近のみと思います。

外曲輪の空堀
くいって曲がってるんだけど、どこか分からないです

外曲輪と土塁

外曲輪の土塁の上
右側が空堀

外曲輪の土塁上を歩いてます

外曲輪
正面に鉢形城歴史館が見えます

駐車場に戻りました。

 駐車場も外曲輪内であり、その城外側(南側)

 を見ると、目の前に丁度良い山がありますね。

 

 絶対に豊臣軍が陣取っていたと思いながら、

 (何かで記憶してたのですが)調べても分からず😂

 これが悔しい_| ̄|○

 

 

~正龍寺と北条氏邦、大福御前の墓~

 鉢形城北条氏邦のお墓が鉢形城の北、

 花園城付近の正龍寺にあると知ったので、

 翌日に行ってみました。

正龍寺

 最初に案内看板があったので、お寺の外ですが

 近くの大福御前自刃の地を訪れます。

 (この時は誰なのか分かっていない)

大福御前自刃の地

大福御前自刃の地

大福御前自刃の地
説明の碑

 あ、これは戦後、夫の氏邦前田家で生きていたのに、

 妻の大福御前が自刃してしまった悲劇なんですね。

 鉢形城落城の約3年後みたいです。

 なんでかな~?

 この時代、女性も壮絶です。

 一緒に行けなかった無念を感じます。

 

正龍寺 説明板

 寺内には藤田康邦と妻西福御前北条氏邦と妻大福御前

 この4名のお墓があり、安らかに眠ってます。

 氏邦前田利家の家臣となり、大福御前の自刃から

 約4年後に死去しました。

 数代は前田家紀州徳川家に子孫が

 伝えられている様です。

お墓のお堂

お墓の説明板

北条氏邦夫妻のお墓
氏邦の妻が大福御前で、彼女は藤田康邦夫妻の娘です)

藤田康邦夫妻のお墓

お墓から城下を望む
実は正龍寺のすぐ近くに、山城で有名な
花園城があって、行くの悩んでました

 

 後日譚ですが藤田康邦の次男藤田信吉について・・・。

 知ってる方も多いかも。

 

 藤田氏は、このお墓がある地域、寄居町の豪族でしたが、

 1546年川越合戦の勝利で後北条氏の関東覇権が進むと、

 当主藤田康邦北条氏康の五男氏邦を養子に迎えました。

 

 氏邦は成長と共に邪魔になった康邦の息子、用土重連

 殺害したので、弟の藤田信吉北条家を離反し武田家

 移りました。(この時あの沼田城真田氏に明け渡した

 のが信吉なので、北条征伐のトリガーとなった名胡桃事件

 の遠因となったとも言えるかも)

 

 1582年、武田氏滅亡後は、上杉景勝の家臣になりました。

 

 1590年、小田原征伐では地縁を活用し、鉢形城開城

 正龍寺和尚と勧めたり、八王子城攻めで調略に成功する等

 上杉家中でも重臣クラスになるまでに活躍しました。

 

 ところが、1600年直江景続と不仲となり、

 関ケ原合戦直前に上杉家から徳川家に逃亡しました。

 逃亡中、家族を上杉家に皆殺しにされたとも。

 

 この恨みで、信吉上杉家が軍備拡張している事を

 徳川家に漏らした事から上杉討伐になり、関ケ原合戦

 の遠因となった。(と昔そういう話ありましたね)

 

 彼は江戸時代大名になりましたが、1615年大坂の陣後、

 戦時の対応に不備があったのか、所領を没収され

 没落しました。

(戦国を知る数少ない人材だったのでちょっと不思議)

 

 上記は多分に俗説的な部分もあると思いますが、

 北条家上杉家没落の決定的なターニングポイントに

 藤田信吉の名が出ていますよね。

 

 また、私もそうでしたが、彼は悪役的なイメージ

 でしたが、近年は上杉家を守ろうとした等、

 評価も色々ある様です。

 (実際主家を変えた後も、常に用いられていたのは、

  信用されなければ、そうならないかも。)

 

 

深谷市ご当地グルメ、カレーやきそば~

 難しい話はここまでとして・・・。

 

 この日は、埼玉探訪4日目で菅谷館鉢形城

 に行き、深谷市のABホテルに泊まりました。

 

 夕食は近くの喫茶店に入り、深谷市ご当地グルメ

 とされているカレーやきそばを頂きました。

 ふんわり卵とネギとの組み合わせで、

 とても美味しかったです。 

カレーやきそば
ふんわり卵とネギがマッチしてました😀

 

 以上で鉢形城を終わります。

 

 鉢形城、相当凄いですね。

 見所多く、安全で、眺望もあり、お薦めかと。

 今回探訪しきったとはとても言えない規模です。

 

 次回はいよいよ大激戦と玉砕の悲劇の地、

 八王子城です。

 

 ご高覧ありがとうございました。_(._.)_