歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

近江八幡探訪1 ~観音寺城、頼朝旗揚げ以来の名門佐々木六角氏と信長上洛戦~

こんにちは、rekikakkunです。

 

 今回は安土城考古博物館で近江の守護大名

 六角氏の特別展示会が6/5まで開催されて

 いるのを知り、2回目の滋賀県探訪を計画。

 

 近江八幡を宿泊拠点とし、上記及び

 六角氏の主城である観音寺城と、

 信長の安土城を中心に探訪してきました。

 

観音正寺探訪~

  初日高速を使って八日市ICを経由して、

  12:00頃に観音正寺裏駐車場

  に到着しました。

  観音寺城へは、城域内で頂上に近い

  観音正寺を目指し、そこから行くのが

  一般的です。

 

観音寺城観音正寺)地図
(中央に観音正寺、その左に主な観音寺城跡が載ってます)

 

  観音寺城へは登山道(赤色)が3つあります。

   登山道①:表参道岡寺コース

   登山道②:表参道桑実寺コース

   登山道③:裏参道コース

 

  また車でのアクセス(青色)は2経路あります。

   自動車道①:表参道コース

   自動車道②:裏参道コース

 

  下にアクセス経路を追加しましたので載せますー。

観音寺城(観音正寺)アクセスマップ

 

  今回は自動車で②裏参道駐車場まで行き、

  そこから徒歩で観音正寺までは行きました。

  高低差がほぼ無い整備された歩道なので、

  特に山登りを目的にしてない場合は、

  一番簡単でおすすめです。

 

  さて・・・

  実は、観音寺城はその昔(25年位前?)

  奥さんと初めて旅行に行った時に、

  少しだけ訪れてます。

 

  この時、自分は観音寺城には車では

  行けないと思い込んでいたので、

  麓の駐車場に車を止めて、

  今思えば表参道石寺ルートから

  登りました。

 

  そして観音正寺にやっとこさ着いたら、

  ・・・ (゚д゚)! 

  車の影が・・・

  なんとそこに車で来てる人が居る

  じゃないか( ;∀;)

 

  表参道は高低差が250mもあって

  1時間かけて登るのに対し、

  裏参道は高低差1mを15分程歩いて

  観音正寺に到着できます。

  そして記憶では表参道は、半分壊れている

  石階段をずっと登ってへろへろに( ;∀;)

  (25年前ですが)

 

  奥さんには事あるごとに

  言われ続けています。

  「観音寺城では騙されたよ、って」

  ・・・(´・ω・`)

  以降はちゃんと下調べをする様に( ^ω^)。

 

  なんて脱線話をしていたら・・・

  観音正寺裏駐車場に到着しました。

観音正寺裏参道駐車場

裏参道駐車場から観音正寺に入ります

裏参道駐車場から観音正寺に向かう
(道が平ですねー)

 

  さて、ここから観音寺城の写真が出始めます

  ので縄張図を掲載します。

観音寺城 縄張図

観音寺城 探訪経路図

 

裏参道駐車場から観音正寺に向かう途中に佐々木城跡への
階段がありました(下の探訪経路図の①の場所)

 

観音正寺入口から見れる南方向の綺麗な眺望
(下の探訪経路図の②の場所)

 

上写真より西方向の眺望

  真ん中に特徴のある山があったので、

  グーグルマップ等で調べると近江富士

  呼ばれる三上山でした。

  またこの方向の先が京都の様です。

  

観音正寺

  観音正寺ですが、お寺の紹介によりますと、

  かの聖徳太子繖山(きぬがさやま)で千手観音を彫み、

  お寺を開かれました。

  この繖山が観音寺城観音正寺の舞台です。

  現在は西国第三十二番札所として全国から

  巡礼者がお参りに来ています。

観音寺城探訪~ 

  さて、観音寺城観音正寺と同じ

  繖山の南斜面に展開されています。

  観音寺城主は近江の守護六角氏です。

  

  六角氏は近江佐々木氏の出で、

  現在の大河ドラマの時代では、

  佐々木秀義、定綱父子等一族が、

  源頼朝が伊豆で旗揚げした時から

  味方し、鎌倉幕府設立に手柄を

  立てています。

  

  そして定綱は出身地の近江守護を

  獲得しましたが、

  その子孫は六角氏、京極氏、高島氏、

  大原氏の4家に分割しました。

  嫡流は六角氏でしたが、各家毎に

  幕府に従っていたので、近江全体の

  統一感が無かったようです。

  

  鎌倉幕府末期、京極家からは

  ばさら大名で有名な佐々木道誉

  勢力を伸ばしました。

  関ケ原合戦等でも京極高次

  大津城(近江)で活躍してますよね。

 

  観音寺城の築城、沿革はちと複雑ですねー(笑)

  佐々木城入口の写真を掲載しましたが、  

  佐々木道誉南朝との戦いで籠ったとの事です。

  (ってことは、南北朝時代

  戦国時代初期に大規模な山城が増築

  されていき、代表的な山城として、

  現在、日本五大山城の1つになってます。

  

  さて、話が長くなってしまいました。

  観音正寺の左脇の道、又は本堂裏手

  から観音寺城に向かいましょう。

 

観音正寺から180m程進んだところ

観音正寺観音寺城本丸、観音寺城曲輪跡の3つの分岐点
(探訪経路図の③の場所)

  まず最初に上の写真真っすぐに進んで、

  本丸跡を目指します。

  基本案内看板が分岐点にしっかりあるので安心です😊

 

  すぐに大規模な石階段が見えてきました。

本丸東側虎口前の石階段

  石階段を登ると、本丸跡に到着しました。

本丸跡、説明板

本丸北側の虎口(よく写真で使われる場所かな?)

  25年前の写真を探して見たら、ここの

  石垣配列が同じでちと感動でした(〃ノωノ)

  確かここでUターンしてます。

  (当時はネットも無く、

   あまり分かってなかったです)

 

本丸北側の虎口(本丸外側から撮影、上写真の反対側)
桑実寺コースから来ると、ここに到着すると思います。

本丸を囲う土塁、石垣跡

本丸の石垣、良く残してくれました

  本丸だけでも結構土塁、石垣が残っていますねー😊

 

  観音寺城は標高約400m、

  その後の時代の安土城は約200m。

  2倍の高い山に石垣造りの山城を

  戦国初期に造ったところが凄いですねー。

    

  今回は本丸までとします。

  次回はもっと壮大な石垣跡になりますよー。

  ご高覧ありがとうございました。