歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<お城へぶらり2>奥三河 山家三方衆 戦国生き残りへ苦闘 作手亀山城と古宮城(1)

こんにちは、rekikakkunです。

 

 私は静岡県在住なので、お隣の愛知県、

 特に県境の東部は、お城へぶらり探訪

 するにはもってこいの場所でございます。

 

 戦国時代、三河の北東部、奥三河は、

 山家三方衆といわれる、

  ・作手亀山城の奥平氏

  ・長篠城の菅沼氏

  ・田峰城の菅沼氏(一族の総領)

 が有力勢力でした。

 長篠城なんかは長篠の合戦で有名ですよね。

 

 といっても訳が分からないので、

 下の地図で確認してみました。

 (もし地図の①~⑥全体が見えてない場合、

  マイナスを押して縮小してみて下さいませ)

 

 今回表題の山家三方衆は、①作手亀山城(奥平氏)、

 ②長篠城(菅沼氏)、③田峰城(菅沼氏)  の位置です。

 地図の番号を押すと説明が出てきます。

 

 ④は私の前回ブログでご紹介しました高根城。

 ⑤は後日紹介する二俣城。

 (地図で見ると⑤二俣城は遠江への出入口であり、

  信玄にとって掌握必須であることが見えます)

 

 信玄の西上作戦は、通説では・・・、

 ⇒秋葉街道(国道152号線)を④から⑤へ

  信玄本体が南下。

 ⇒国道153から257号線に南下し、

  ①②③の山家三方衆を従えてから⑤に

  合流する山県昌景の別動隊。

 ⇒⑤の二俣城を落としてから武田全軍が

  近くに向かう、家康の居城浜松城が⑥。

  という位置関係です。

 (岩村城方面は別途) 

 

 これはエグイですね~( ;∀;)

 特に山県昌景別動隊が。。。

 信州本土への何本かの道を全て

 掌握してから南下。

 (信玄は道路整備も行ってた様です) 

 そして家康の居る浜松城は上から

 (北から)完全に圧迫されてます。

 

 地図的に浜松の東側は空いてますが、

 拠点である掛川城高天神城等は

 あまり動けないのを見越してるんでしょうね。

 (駿河は武田領なので奪われてしまう)

 

 これを書いていたら、家康の苦悩が

 よりはっきりと感じられました。

 えらいこっちゃ。

 それを感じる為にブログで調べてますー(⌒∇⌒)

 

 そして山家三方衆も、三河にあって、

 信州(長野県)、美濃(岐阜県)、遠江(静岡県)

 に近い境目の土地。

 ずっと織田、徳川、武田、今川の大勢力

 に振り回され、生き残るのは大変だったと

 推察致します。

 

 前置きが長くなりすぎてしまって。。。

 お城探訪は次回に。_(._.)_

 

 次回は山家三方衆の一人、奥平氏の居城 作手亀山城

 と、その対抗城として武田流縄張り遺構がはっきり

 残ってる事で有名な古宮城を探訪したいと思います。 

 (上の地図の①です)

 

 そうやって話を繋げてる間に、行ったことが無い、

 最近知った田峰城とか行ってくる作戦です(笑)

 

 田峰城は長篠の敗戦逃走時、勝頼の入城を拒否し、

 後に菅沼氏同士で壮絶な歴史がある様ですし、

 勝頼の逃走経路と西上作戦時の山県昌景

 侵攻ルートが同じみたいです。

 

 なんて書いてますが、お城へぶらりが2で

 亀山城が(1)と数字がごちゃまぜに(-_-;)

 何か変な構成になっていきそうです😿

 話があっちこっち、ゆるして///・・・

 

作手亀山城と古宮城
(西上作戦時は味方同士だったが、その前後は
この2つの城が敵対していた。結構近いですよねー)

 

作手亀山城の本丸

 

古宮城の遺構
(ここの遺構が沢山残ってます。続日本100名城に選定。)

 

 ご高覧ありがとうございました。_(._.)_