歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

駿府の町 周辺の中世史跡スポット

こんにちは、rekikakkunです。

前回の奈良県探訪のブログから

なかなか配信できず、

1ヶ月を過ぎてしまいました。

 

ネタが////・・・。

切れたのか、怠慢なのか?

はたまた両方か?←正しい( ;∀;)

 

実は私は静岡出身でして、

歴史探訪を趣味としておりますが、

昨今の情勢から、地元静岡=駿府

防衛拠点を巡ってまいりました。

ここらで勝手にピックアップして、

思い付きでブログにしてしまおうという作戦です。

・・・作戦でも何でもないが・・・

 

ざ~くり・・・下のグーグルマップにて、

駿河の国、①駿府の町を中心に辺りを見ますと、

 

 ・詰めの城として②賎機山城

 ・西側方面は③持舟城、④丸子城

 ・富士川、東部方面は⑤薩埵峠、⑥蒲原城

 ・南北朝時代南朝方の拠点となった⑦安倍城

 

が主要な駿府防衛拠点、史跡となります。

(勿論他にも沢山ありますよ) 

 

 ※マップの番号をクリックすると説明が出ます。

 

 

 両端にあります③持舟城、⑥蒲原城

 戦国時代には今川、武田、徳川の激戦地。

 (つまり東西の重要拠点だったと思います)

 

 丸子城は武田氏の築城術が壮大に残っていて、

 山城好きには相当凄いです。

  

 そして現在駿府城には豊臣と徳川の異なる時代

 の天守閣土台石垣が、なんと同じ場所で発見

 され、国内でも貴重な発掘現場だと思われます。

 

 これら多彩な史跡により、中世戦国の

 息吹を感じることができるのでは? 

 って自分は適当な知識なので

 内容薄はゆるしてね・・・//// 

 

 今回は始めとして、各拠点の写真を

 1,2枚づつ載せたいと思います。

 

 ①駿府城

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①-1 駿府城 巽櫓と中堀

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①-2 駿府城内 天守閣発掘跡
(豊臣時代と家康時代の天守閣土台石垣が両方見れます)

 

 ②賎機山城 

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②賎機山城 本丸跡

 

 ③持舟城 

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③持舟城 本丸からの東側眺望 (右側駿河湾、奥が伊豆半島)

 

 ④丸子城 (静岡市では一番の城跡と感じます)  

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④丸子城 北面の横堀と土塁
(個人的には最もお薦めですー)

 ⑤薩埵峠  

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⑤薩埵峠 (左が峠、右の海との間が少ししかない。景色NO.1)

 

 ⑥蒲原城 

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⑥蒲原城 登り口眺望(左奥が駿河湾

 

 ⑦安倍城(主に南北朝時代)

 (安倍城は南朝方の拠点。この時代の南朝方の山城は高いですね。

  安倍城に対し、北朝は今川氏が賎機山城を築城し対峙)

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⑦安倍城本丸から東南方向の絶景
(西南方向、川の先の中央の山が賎機山城、奥が伊豆半島

  南朝方がこの景色を見ていたのは間違いないよねー(⌒∇⌒)
 

  以後、写真を添えて①から⑦を簡単にご紹介

  していけたらと思います。

  

  ご高覧ありがとうございました。

 

 

<奈良県 歴史探訪4,5> 多聞山城 松永弾正 時代を先駆けて

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良探訪4日目は一日中強雨でした。

大和郡山城を訪問しましたが、

少し廻っただけなので、写真1枚のみで割愛します。

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(写真1)大和郡山城 本丸跡

 

翌日の最終5日目、天気はまあまあ、

最後に奈良市方面に向かい、

多聞山城と平城宮跡に行きました。

 

グーグルマップでは多聞山城のみ示します。

赤丸①が近鉄奈良駅、②若草公民館、③多聞山城跡です。

②、③をクリック 又は 地図を拡大してみて下さいね。 

 

 多聞山城に行くには、鉄道ですとマップ①の

 近鉄奈良駅で降ります。

 奈良観光定番の東大寺春日大社と同じ最寄り駅です。

 

 多聞山城の跡地には、戦後まもなく若草中学校が建設

 された為、ほぼ遺構が失われています。

 しかし現在、お城のすぐ近くでマップ②の位置にある

 若草公民館で、地元の歴史遺産として多聞山城の

 調査整理等を行っており、展示もされているとのことで、

 まずそちらに向かいました。

  

 ②若草公民館

  マップで見ると奈良女子大の東側の通りを北上

  すれば、佐保川に辿り着き、そこを東方向に行くと

  辿り着きそうです。

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(写真2)奈良女子大東側通りを北上中

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(写真3)佐保川にぶつかり、東進すると若草公民館の案内板がありました

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(写真4)若草公民館に着きました

 

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(写真5)若草公民館の掲示の一部

  若草公民館では遺構について色々話を聞きたかったのですが、

  受付が立て込んでいたので、公民館で販売している、

  多聞城ファン倶楽部が編集した冊子を100円でいただき、

  いざ多聞山城に出発。

  

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(写真6)佐保川の橋。多聞山城の大手に通じる橋

   佐保川は多聞山城南側を守る堀の役割をしていた

   とのことなので、大手口に通じるここは重要な入口

   だったのかも。

   道も曲がっているし、聞いてみたかった( ;∀;)

  

 ③多聞山城

       多聞山城は松永久秀が奈良支配を目的に築城した

  当時最先端の城。日本の城の先駆けとも言われて

  います。例えば多聞櫓とか・・・。 

  

  下にちょっと見難いですが、多聞山城地図

  を載せます。

  地図の①~④が城跡で、今回は③の主郭を

  中心に巡りました。

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(写真7)多聞山城地図

   若草公民館から北上し、若草中学校入口(主郭の手前)

   に到着しました。

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(写真8)若草中学校入口門

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(写真9)中学校入口脇の多聞山城説明板

   元若草中学校教諭が中心となって多聞城ファン倶楽部が設立

   されていることもあり、中学校なのに多聞城の案内板や、

   中学校内への立ち入りも許可されていました。

 

   下の写真10の階段下の左側にインターホンがありますので、

   そこにお城見学の承認を得てから入ります。

   ボタンを押すとすぐ話かけてくれて、建屋内に入らなければ

   OKですよ と言われました。

   確認できると安心できますよねー👍

   これから完全不審者の行動になってしまいますので(〃ノωノ)

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(写真10)若草中学校入口

  

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(写真11)階段右には多聞城跡の石碑と共に、
野生の鹿が逃げもせず、当たり前のように居ました(笑)

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(写真12)中学校大階段を上って左手に進む

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(写真13)脇を真っすぐ進むと土塁に上がる感じ

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(写真14)光明皇后陵の東側、右手が散策できる多聞山城側

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(写真15)光明皇后陵内にある何か?あのこんもりは土塁かな?

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(写真16)多聞山城本丸の一番大きな空き地(校舎裏)

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(写真17)北西の竪堀の様な溝

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(写真18)北面の土塁

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(写真19)北面の土塁に行ってみると、外側(写真右手)
は急斜面になっていて、やっぱり土塁跡ですかね?

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(写真20)北面の土塁跡

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(写真21)校舎西側の城跡から戻ります
(写真左から右側へ戻ります)

  校舎正面を進み、本丸東側に向かいました。

  東側には堀切跡があります。

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(写真22)本丸東側の堀切跡(道路になってます)

  

  せっかくなので堀切跡から本丸裏(校舎北側)に回り込みました。

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(写真23)本丸北東部

  狭い裏道を進むと土塁跡らしき形跡がありました。

  そこを西進します。

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(写真24)本丸北東部土塁跡

 

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(写真25)本丸北東部の急な斜面1
意外と急で空堀と斜面で北側は守られていた様です

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(写真26)本丸北東部の斜面2
(右側が本丸外側、下は住宅街)

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(写真27)本丸北側の土塁跡

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(写真28)校舎(本丸)北側の細道

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(写真29)本丸北側を進む、ここも正面は土塁跡かな~?

 

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(写真30)本丸をぐるっと回って光明皇后陵に戻りました

  ちょうど校舎を1周させて頂きました。

  

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(写真31)正門前の階段を降ります、お邪魔致しましたm(__)m

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(写真32)階段を降りた左手にある無念仏
(多聞山城跡で見つかった仏様を集めて保存してるとのことです)

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(写真33)東大寺の大仏殿が見えました
ちょっと松永弾正の気持ちになった気分、
確かに奈良の寺院を上から見てる感じです

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(写真34)城を降りて佐保川と城の間を撮る
・・・住宅造成地になっていってます・・・

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(写真35)東側堀切跡 (写真22を下から見てます)

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(写真36)堀切を少し登って撮った大仏殿

  多聞山城正面を歩きましたが、なかなか山城全体が撮れず。

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(写真37)聖武天皇佐保山南陵(多聞山城西側)

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(写真38)西南から多聞山城を見る
聖武天皇陵、中央道の先が多聞山城、右佐保川
この写真で観てるところが城域かな?

  近鉄奈良駅に戻る途中、喫茶店でランチを頂きました。

  美味しかったです。

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(写真39)昼ランチ

 

  平城宮跡

   さて近鉄奈良駅から大和西大寺駅に戻り、

   徒歩で平城宮跡に向かいました。

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(写真40)平城宮跡資料館

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(写真41)資料館展示の平城宮跡案内図

 

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(写真42)第一次大極殿  遠景

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(写真43)第一次大極殿

 

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(写真44)第一次大極殿院 南門 復元工事中

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(写真45)第一次大極殿と南門

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(写真46)南門復元工事中と朱雀門

  平城宮跡は時間少なく、急ぎ回ったので、今度ゆっくり

  行きたいと思います。

  写真46はなかなかのアングルかな❓

  平城宮の関係者のお話ですと、回廊を作りたいと

  おっしゃってました。(ただし何年もかかるとのこと)

  それが出来ると良いですよねー(⌒∇⌒)

     

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(写真47)ホテルに戻ってエントランスから耳成山が見えました

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(写真48)耳成山拡大

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(写真49)翌朝、帰り前のホテル朝食。
葛城山金剛山とか、来たときは無かった雪が残ってます

 

  飛鳥奈良時代のロマンについては、

  飛鳥板蓋宮⇒藤原京平城京 の流れを

  行ってみました。

  大和三山は満喫出来ましたよ(⌒∇⌒)。

 

  三好松永の奈良支配については、

  飯森山城と筒井城にも行く予定でしたが、

  事情により断念、残念でした。

  ですが当地に滞在したからこその地元の

  優しさ、情熱を感じることが出来ました。


  以上で奈良探訪を終わります。
  ご高覧ありがとうございました。
















 

 

<奈良県 歴史探訪3> 信貴山城 乱世の梟雄 松永弾正 夢の跡

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良探訪3日目です。

 

  2日目夜部屋が移動し、3日目の朝、外を覗いたら

       綺麗な耳成山を見ることができてラッキーでした👍。

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(写真1)3日目朝、部屋から見えた耳成山

  翌日以降は雨予報なので、最後の山城を狙いに、

  松永久秀最後の地、信貴山城に向かいます。

  信貴山城は信貴山 朝護孫子寺を通り、

  お寺の山頂及びその少し越えた先にあります。

  まずは鉄道、バスを駆使し、朝護孫子寺

  を目指します。

   8:52大和八木駅

   9:05近鉄下田駅

       徒歩で近鉄線からJR線に移動

   9:30JR香芝駅

   9:45王寺駅

  10:25王寺駅バス発  

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(写真2)JR王寺駅からバス停案内板

  バス停の場所は鉄道を出て案内があり、

       分かり易かったです。

  バスに乗る際は50人以上並んでいて、

  2台満席で発車しました。

  

  そして信貴山を登る途中で渋滞となり、

  なかなか進まないので、運転手さんから、

  奈良県側からお寺に一番近い「信貴大橋」

  の1つ前のバス停「信貴山」で下車を薦められて、

  10:45頃ほぼ全員バスを降りました。

  

  でもここからお寺までは宿やお店がある門前町

  でしたので、丁度良かったです。のんびり歩きました。

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(写真3)信貴山門で下車し、みんな歩いてます

 

  さて、ここで朝護孫子寺の地図を掲載し、

  概要を記しますと、

  地図右下から歩いてきて、仁王門を越え、

  赤い印の現在地、「信貴山観光iセンター」

  を目標として向かいます。

  ここに地図、情報、トイレ等ありますので

  信貴山全体の出発点になると思います。

  

  そして一番上の空鉢護法が信貴山山頂で、

  かつ信貴山城の本丸とのことです。 

  (普通は山城は下から登るので本丸が最後に

   なるのですが、ここの場合山頂の本丸から

   反対側に下りますので、ちょっと不思議な感じでした)

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信貴山 朝護孫子寺の地図

 

  門前町を10分程歩くとお寺の入口仁王門に到着しました。

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(写真4)朝護孫子寺 仁王門

  

  そしてふと脇の駐車場を見たら車一杯(´д`)

  その先の赤い橋も車が進んでいません。

  単純に月曜日の平日は空いている思っていた私は

  ちょっとびっくりでした。

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(写真5)朝護孫子寺の駐車場

  

  実は種明かしをすると、当日は1月10日成人の日。

  

  そして聖徳太子が虎の年、虎の日、寅の刻に毘沙門天

  感得し、その後物部守屋との戦いに勝利したとのことで、

  当地にお寺を創建し、後に醍醐天皇により朝護孫子寺

  勅号を賜ったとされています。 

  よってお寺には張り子の虎等が沢山ありました。   

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(写真6)張り子の大虎 ここで皆さん撮影してました

  寅年の今年は奈良県でもいつもより多く紹介

  されていて混んでるでしょうと、戻ってから

  宿の方が教えてくれました。

 

  まずは本丸、天守があったとされる信貴山の山頂、

 「空鉢護法(くうはつごほう)」を目指し、

  お寺内を進みます。  

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(写真7)空鉢護法まで600m、徒歩20分と書いてあります

  

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(写真8)多宝塔

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(写真9)多宝塔脇の鳥居を登ります

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(写真10)信貴山城案内

  信貴山城まで520m、松永屋敷まで860mの案内板。

  広いお寺ですが、至る所に案内があるので分かり易いです。

  ちょっとお城の案内が多いのが意外でした。

  このお寺も信貴山城整備に協力してくれてるからかな?

  ありがたいですねー(⌒∇⌒)。

 

  少し進むと登りが急になってきました。

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(写真11)山頂へのジグザクな登り道

 

  山頂に登る途中、ここ何かの遺構?(切岸とか堀とか)

  かもしれないな~とパシャリ。

  明らかに他の方たちと見てる方向が違います(笑)

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(写真12)山頂へ行く途中
(今思うと雌嶽の曲輪かも?)

  

  ほぼ登ったところに縄張り図がありました。

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(写真13)信貴山城 縄張り図

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(写真14)信貴山城 縄張り図拡大
(赤字の現在地の下が登り道、その左側が朝護孫子寺に至る。城は右側全体)

  

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信貴山城縄張り図と順路
(青線が経路、赤字の①から番号順に進みました)

 

  そして優しい案内で迷子にならず信貴山頂、

  空鉢護法に到着しました。

  空鉢護法は国宝の信貴山縁起絵巻でも語られている

  由緒あるお堂になっているそうです。

  ここまでは参拝客が大勢居ました。

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(写真15)図①空鉢護法(信貴山頂 兼 信貴山城本丸)

  ここに天守(多層櫓)があって松永弾正が爆死したのかな?

  確かに一番高いところですが、残念ながらその面影は

  ありませんでした。

 

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(写真16)空鉢護法の脇に図②「信貴山城址」の石碑があります

  さて、ここからお寺を離れて、いよいよお城の遺構に向かいます。

  朝護孫子寺の反対側の山腹を降りていきます。

  縄張り図を見ると、山頂から反対側の180°に

  渡って城郭が構築されてる巨大な山城みたいです。

  ただし下の写真の道を進んでから城跡で出会ったのは

  10人弱でした(笑)

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(写真17)空鉢護法を越えて、信貴山城へ進む道
(空鉢護法から左の道を降りて、右側の道に進みます)

  ちょうど写真17を撮っている反対側が一番の眺望でした。

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(写真18)図③山頂からの眺望(奈良方面)ちょっとガスってます

 

  少し降りていきますと、もうすぐに何やら腰曲輪?

  みたいな場所が・・・。

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(写真19)腰曲輪かな?

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(写真20)山頂から降りていく

 

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(写真21)図④立入屋敷(たてりやしき) 案内板

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(写真22)図④立入屋敷跡 (曲輪)

 

  立入屋敷から降りると、分岐点に来ました。

  ここに松永屋敷の案内があるので安心です。

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(写真23)立入屋敷から降りてきた分岐点
(右:松永屋敷、左:水の手、正面:曲輪、堀切跡)


  最初に正面の曲輪に行きました。

  曲輪と堀切がはっきりと残ってました。

  こんな所に来るお客さんは一人も居ません( ´∀` )

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(写真24)図⑤松永屋敷の西側の曲輪と堀切1

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(写真25)図⑤松永屋敷の西側の曲輪と堀切2

 

  分岐点正面の図⑤の曲輪と堀切を散策した後、

  分岐点に戻り、松永屋敷方面に向かいます。

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(写真26)松永屋敷へ向かう道

 

  さて、ここからが城遺構として、最も整備されている場所となります。

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(写真27)図⑥松永屋敷を含む曲輪群入口正面の切岸
(この上が、多分立入屋敷の曲輪だと思います)

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(写真28)図⑥松永屋敷を含む曲輪群がメインの様ですので、
以降「主曲輪群」と呼びます。曲輪毎に階段があります

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(写真29)主曲輪群最初の階段を降りたところ
(結局は木で覆われていますが、草を除去して
くれてるので左右前後ふらふら確認できます)

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(写真30)最初に降りた階段を振り返る (先程の切岸も見えます)

 

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(写真31)主曲輪群の西側の切岸とその下の曲輪
主曲輪群の両側(東西側)は、高い切岸になっていて
容易に攻め込まれないようになってました

 

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(写真33)主曲輪群の土塁跡
(3方向に土塁があった様です)

 

  松永屋敷、グーグルマップでも載っていますが、

  信貴山城で松永弾正の居館があり、城の中核であった

  とのことです。

  本丸、山頂には城の遺構が無いのですが、その下の

  曲輪や土塁、堀等は多数残ってます。

  そしてこの松永屋敷が信貴山城整備のメイン

  になってる様です。

  確実にここに居たんだと言えそうですよね~〇。

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(写真34)図⑦松永屋敷 案内板

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(写真35)松永屋敷の曲輪
(沢山案内してる割りに殺風景。曲輪が沢山あるので、
ここがそうだよって看板やのぼり等で分かる様にしたら良いかと)

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(写真36)松永屋敷から入口を見る
低くなっている曲輪に虎口があり、
その曲輪から高い位置に屋敷がある

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(写真37)先に図⑦松永屋敷の曲輪、手前が虎口がある1段低い曲輪
そのまた左側にも1段低い曲輪がありました
(多聞山城を築いた松永弾正、かっこいい構成だったんだろな~、知りたいなー)

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(写真38)図⑧松永屋敷出入口 案内板

 

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(写真39)図⑧松永屋敷手前の低い曲輪の虎口1
防御の面から、正式な通路としてはここからし
松永屋敷に辿り着けない構造だったのかな?

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(写真40)図⑧松永屋敷の虎口2
この虎口を登り、登った曲輪でも防備を固め、
そのまた1段高い位置に松永屋敷の曲輪があった
のだと思いました。

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(写真41)松永屋敷北側の曲輪

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(写真42)主曲輪群の最北端の切岸かな?
下に降りましたが、そこから先はちょっと急なので止めました

 

  ほぼ主曲輪群の先まで来たので、戻って松永屋敷出入口を降ります。

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(写真43)図⑧松永屋敷を降りて、出入口(虎口)を見上げる

 

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(写真44)松永屋敷東側の切岸(上が松永屋敷の曲輪)

  松永屋敷を降りて、東側に向かうと、そこからもアクセス出来ました。

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(写真45)松永屋敷の東側からのアクセス

 

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(写真46)松永屋敷 東側アクセス案内板

 

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(写真47)主曲輪群東側の大きな曲輪

  

  ここで、3組程の人達がこの道を進んでいったので、

  何かあるのかな?と進みました。

  ・・・がお城探索にとっては、これが失敗でした。

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(写真48)大沢池に向かう道だった( ;∀;)

  どんどん降りて行く道で、進むと池があり、

  グーグルマップを見たら大沢池でした。

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(写真49)大谷池

  もう少し曲輪、堀等散策したかったのですが、

  どうもお城の遺構から離れてしまっていた様です。

  池で釣りをしているの方達が居ました。
  

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(写真50)ぐるっと城の東側を回って、多宝塔に戻ってきました

 

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(写真51)朝護孫子寺本堂の階段

 

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(写真52)本堂の外回廊
(ここがビューポイントです)

 

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(写真53)本堂からの眺望(奈良方面)

  さて、これで信貴山の探訪は終わり帰ります。

  帰る際、見上げたお寺が映えますねー。

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(写真54)朝護孫子寺本堂を見上げる

  

  本日は天気が良く、行って良かったです。

  帰りもバスが混んでいて、14:30頃

  バスで進む途中、外を見ると登る車がまだ

  大渋滞してました( ;∀;)

  

  今回信貴山城を探訪して思ったのは、

  落城して廃城になった割には、思った以上に

  遺構がはっきり残っていたと感じました。

  また一時代を築いた武将の生き様を感じながら

  いつもの様にうろうろ( ´∀` )

  そう感じられたのは、整備して下さっている

  関係者の方々のおかげと思います。

     

  さて次回は奈良県探訪の最終日、

  多聞山城を中心に作ります。

  (時系列が逆で申し訳ないです)

  

  ご高覧ありがとうございました。

  
  














 

<奈良県 歴史探訪2> 大和三山と藤原京 古代のロマンに想いを馳せて

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良探訪2日目になりました。

昨日は日本一の比高差高取城に行って

足が疲れたので、

(ん?登りにタクシーを使ったのは、お忘れを・・・)

今日は宿泊地の大和八木駅で自転車(電動)を

レンタルして、古代のロマンを満喫しようと

画策しました。(極力楽しようとしてます)

 

  奈良県2日目 大和三山藤原京他 探訪地図>  

  本日の探訪地図です。

  グーグルマップの〇番号を押すと

  グーグルの説明が見れます。

        自転車で①から⑬の番号順に探訪しました。

 

  ①かしはらナビプラザ(レンタル) ⑧藤原京朱雀大路

  ②今井まちなみ交流センタ-    ⑨香具山(山頂)

  ③今井町環濠集落跡地       ⑩藤原宮跡資料室

  ④畝火山口神社          ⑪藤原宮跡

  ⑤畝傍山(山頂)         ⑫飛鳥寺   

  ⑥橿原神宮(通過のみ)      ⑬飛鳥宮

  ⑦本薬師寺

  

 ①かしはらナビプラザ

  大和八木駅の南口前にかしはらナビプラザがあります。

  観光案内所の機能と共に自転車のレンタルもしてました。  

  電動もあり結構豊富にありましたし、会話の中で

  橿原市は観光者に親切だな~と思う場面が多く、

  ここでも親切に教えてくれました(⌒∇⌒)。

  さて10:00出発です。 

 

 今井町(今井まちなみ交流センター他)

  今回宿泊所の資料で知ったのですが、

  大和八木駅の近くの「今井町」は、

  江戸時代の街並、町家が多く残り、

  重要伝統的建築物群保存地区と選定

  されてるとのことです。

  堺で有名な今井宗久も若い頃ここに居たとか。

  丁度黄金の日々の再放送を見ているので

  畝傍山に行く途中に行ってみました。  

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(写真1)今井町案内図

  

  まずは今井町の概要を把握したいので、

  「今井まちなみ交流センター」に行ってきました。

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(写真2)今井まちなみ交流センター(角度を考えて撮ったよ)

  交流センターには色々と展示がありました。

  まず下写真の今井町の模型は迫力あると共に

  街並みのイメージが分かり易かったです。(⌒∇⌒)

  結構これに近い状態で残ってる感じじゃないかな~。  

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(写真3)今井町の街並み(展示模型、なかなかの迫力)

  今井町環濠集落跡地

   今井町の起源は戦国時代に、本願寺

   今井兵部が一向宗の拠点として、称念寺

   建立したことのようです。

   そして堀(環濠)等の防御機能を構築し、

   寺内町として発展していきました。

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(写真4)環濠の一部

   筒井順慶等の信長方とも戦ったが、

   1575年(天正3年)、石山本願寺の降伏

   と共に今井町も休戦交渉を進める中、

   信長自身が直接今井町に本陣を置き、

   裁定を下した様です。

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(写真5)この辺り信長の本陣があったところかな?
(もっとしっかり確認するべきでした)

   その裁定の書類が見れました。

   今日は奈良時代の周遊のつもりでしたが、

   思わぬところで歴史を知りました。

   時間に余裕があると、こういった出会いが

   ありますよね(⌒∇⌒) 

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(写真6)信長の赦免朱印状

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(写真7)信長朱印状の説明

   この時、信長は今井町自治権を許し、

   太刀も下賜したとのことで、今井町

   価値、心意気に感じいるところがあったと

   思われます。

   (信長の美への謙虚さを感じました)

   また武装完全解除により、経済的自治権の確保。

   諸々残すのが大変なこの時代、町として上手に

   状況判断して後世に残しましたよねー。

   

   そして現在の街並みを撮りました。  

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(写真8)今井町街並み1

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(写真9)今井町街並み2

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(写真10)今井町街並み3

   どこ行っても風情ある街並み感じで

   感動しました。

   お勧めの町ですよー。

  

  ④畝火山口神社

   さて大和三山では、古代のロマンに想いを馳せます。

 

   「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき

    神代より 斯くにあるらし 今昔も 然にあれこそ

    うつせみも 妻を 争ふらしき」

   

   中大兄皇子が詠み、万葉集に載せられた歌です。

 

   私は学術的なことは分かりませんが、

   中大兄皇子天智天皇)と言えば

   乙巳の変を起こし、天皇中心の中央集権

   支配体制を構築する起点を作った英雄。

   その中大兄皇子は、弟の大海人皇子天武天皇

   と、美女である額田王を巡っての三角関係の

   お話(一つの説ですが)も有名、心誘われます。

   畝傍山が女性、額田王(ぬかだのおおきみ)。

   これに香具山(中大兄皇子)と

   耳成山大海人皇子)が争う。

   遥か昔の神々でこの三山で起こった

   伝説になぞられた、との解釈説です。

   (私はこの三山をただ車で通って見るだけ

    ではなく、しっかり感じながらゆっくり

    行きたかったのです)

   その後大海人皇子額田王を妻とし、また

   壬申の乱でも勝利し、天智天皇の息子が自害。

   これにより弟の勝ちとなり、日本の発展に繋がって

   いったのも事実と思います。

   が反面、古代の歴史の中でも有数の哀愁を感じます。

   天下を握った天武天皇系でしたが(聖武天皇が有名)、

   約100年後に天智系皇系(桓武天皇が有名)

   が皇統を継続するという、なかなかの

   大逆転話があったり複雑ですねー。

   ま、それ以上私分かりませんが(笑)

   さて私の拙い話はここまでとして・・・(;^_^)

   

   最初に今井町から南に下って畝傍山に向かいます。 

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(写真11) 今井町から畝傍山に向かってるところ

   自転車は電動にしたので楽ちん。

   疲れること無く進み、畝傍山西側のふもと、

  「畝火山口神社」に着きました。

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(写真12)畝火山口神社

  

  畝傍山

   11:20神社の脇に畝傍山の登り口ありました。

   せっかく来たのと宿のおかみさんが、景色みれるわよ

   と言ってたので、我慢ならず登りました。   

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(写真13)畝傍山登り口

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(写真14)畝傍山登ってます

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(写真15)畝傍山山頂はこんな感じです

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(写真16)畝傍山から東方向眺望 綺麗な三角が耳成山ですよー

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(写真17)畝傍山から東方向眺望2 右側が香具山です

 

   畝傍山を下り、神社に停めた自転車に乗って、

   橿原神宮を横切り、本薬師寺跡に向かいます。  

  

   神宮に来る前に、天皇陵が通り道に2か所。

   天皇陵の隣に普通に家が建っててお子さんが

   遊んでて、なんか良いな~と思いました。 

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(写真18)安寧天皇
(第三代と書いてます。良く知らなくてすいません)

 

  橿原神宮

   橿原神宮入口に着きました。

   初代神武天皇が九州から来て橿原宮を創建、

   日本の起源とも言える凄い所。

   大分混んでいたので、次の機会にゆっくり行きます。

   今回は通っただけです。

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(写真19)橿原神宮 南西の入口

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(写真20)橿原神宮内の深田池

 

  ⑦本薬師寺

   天武天皇は皇后、後の持統天皇の病気平癒を目的に

   薬師寺を建てられました。

   後に平城京遷都の時に移転して今の薬師寺になってる

   とのことです。(諸説あるようです)  

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(写真21)本薬師寺

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(写真22)本薬師寺前、昼飯はコンビニパンです。
この時点で12:30、お店は混んでても、
ここなら誰も居ないだろうと思って・・・
目の前が畝傍山です。こののんびり感👍


  藤原京朱雀大路   

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(写真23)朱雀大路

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(写真24)朱雀大路跡案内板

   藤原宮の南側に伸びるメイン通り朱雀大路

   道が発掘された様です。

   北側に耳成山が見えます。この間に

   藤原宮があったんですねー。

   う~ん自転車だとゆっくり見れて感激ですー。

   畝傍山と香具山の位置をきょろきょろ確認。

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(写真25)朱雀大路跡から北を見ると耳成山

  ⑨香具山

   大和三山で最も神聖な山、天の香具山と言えば、

   歴史好きでなくても聞いたことはあるのでは?

   入口を見たら我慢できず登りました。

  (すぐ山頂に行けますよー)

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(写真26)朱雀大路跡から見た香具山
確実に古代の方たちが見た景色ですよね(⌒∇⌒)

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(写真27)香具山登山入口(西側)

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(写真28)香具山山頂 低い山なのですぐです

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(写真29)香具山眺望
畝傍山が見えます、真ん中の木が邪魔だー)

  ⑩藤原宮跡資料室

   香具山の近くに藤原宮跡資料室がありました。

   資料室では30分も現地ならではのお話をして

   くれて、面白かったですし、愛着も感じました。

   それは前日の高取城、本日の今井町

   その後の平城京、多聞山城等、

   今回奈良県探訪全てのお話の機会において、

   歴史、史跡等に対する愛着や大切に残していこう

   とする気持ちを肌で感じることができました。

   

   ちなみに、何で藤原京と言われてるのですか?

   と資料室の方に聞いたら・・・

   この質問待ってました!

   と目がキラリ✨✨

   ひとしきり教えてもらったので

   ブログに載せるつもりで書こうとしたら、

   あれ?

   忘れてしまってました・・・////。

   ごめんなさ~い( ;∀;)。

  (たしか何かの資料に載っていたからかな?)

   会話が尽きず、中国殷王朝の妲己まで

   さかのぼったので(笑)   

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(写真30)奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室

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(写真31)資料室内の写真、綺麗ですねー

  ⑪藤原宮跡

   藤原京大和三山に囲われた立地で、

   その規模は、発掘調査によりその三山を

   含める程まで大きかった様です。

   その都の宮殿が藤原宮です。

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(写真32)藤原宮跡と天の香具山(藤原宮から東方向)

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(写真33)藤原宮跡と畝傍山 (藤原宮から西方向)

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(写真34)藤原宮跡と耳成山 (藤原宮から北方向)

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(写真35)藤原宮から見た朱雀大路高取城

   写真35の手前右側の森の様な小山に藤原京を中央で

   右京左京に分けるメイン道路、朱雀大路が通ってました。

   藤原宮跡資料室のお話では都の南側中央に山があることも

   意味があると言ってました。

 

   写真35の真ん中の山に四角い物体、

   NHK中継局が見えます。

   高取城本丸から同じ物が見えたので、その左側に

   高取城があると思い、藤原宮跡からずっと探してました。

   ・・・が城自体はどうしても分からず残念_| ̄|○

   

   その変わりに昨日の高取城から見た大和三山

   藤原宮跡をご紹介します。

   大和三山のほぼ中心に藤原宮が設置されてる

   のがよく分かります。

   そして三山に囲われた全体が藤原京です。

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(写真36)すいません、この写真の藤原京跡は ⇒ 藤原宮跡ですね。

 
            

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(写真37 藤原宮大極殿の基壇跡、大宮土檀)

   そして上の写真は藤原宮の中心、大極殿跡です。

   藤原京は694年から710年の16年間

   天武天皇の時から計画され、その妃である

   持統天皇及び文武天皇元明天皇の3代の

   日本初の本格的な都でした。

   

   藤原宮資料室で教えていただきましたが、

   その次の平城京遷都後、ほぼ全体が水田となり

   その所在地は長らく論争になっていたそうです。

   写真37の小さな丘陵、大宮土壇脇での瓦、礎石等

   が出土したのがきっかけで本格的な発掘調査が

   始まり、大極殿、藤原宮の構造、位置が明確に

   なってきたとのことです。

   

   これで大和三山藤原京の位置関係が頭に

   インプットされました。

   徒歩でも良いですが、自転車も色々行けて

   小回りも聞くので良いですよー。

   授業でも習った大宝律令が701年に完成

   してることからも、藤原京時代の国の発展、

   古代のロマンを感じますよねー。

   実は深くは分かってないのですが・・・(*ノωノ)

   

  飛鳥寺

   藤原宮跡を(自分なりに)満喫後の15:20頃、

   せっかくなので、帰る反対方向の飛鳥へ向かいました。

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(写真38)飛鳥へ南進している途中
写真右手甘樫丘、その左手に飛鳥の史跡が沢山あるよ
(正面奥の山のどれかが高取城かな~?、現地で聞けば良かった)

 

   15:45頃飛鳥寺に到着。

   蘇我氏が建立した日本最初の仏教寺院。

   ほぼ聖徳太子の時代ですよね。

   15年位前に行ってますが、ほとんど変わってなく

   (都市化されてなく)ほとんど見覚えありました。

   変化が無い嬉しさ、ありますよね(⌒∇⌒)

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(写真39)飛鳥寺正面

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(写真40)飛鳥寺南面、一面の畑で15年前の記憶と同じ

   

  飛鳥宮

   飛鳥寺の後、もう一つ再訪したかったのが、

   乙巳の変中大兄皇子達が蘇我入鹿を暗殺した

   場所、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)です。

   よく写真で出ますよねー。

   無意識に蘇我氏の隆盛と没落の場所に

   行ったんだと、後で思いました。

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(写真41)飛鳥宮

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(写真42)飛鳥宮跡 説明版

   ところが、今回伺ってみるとその説明版には

   「旧称 史跡 伝 飛鳥板蓋宮 平成二十八年名称変更」と

   平成28年に名称が変わったとのことです。

  

   少しネット含め確認してみると・・・この場所は、

   乙巳の変の時、皇極天皇の宮殿で飛鳥板蓋宮。

   天武・持統天皇の時、ここは飛鳥浄御原宮

   その他舒明天皇斉明天皇等多数の宮殿が置かれた。

   現在復元して見えている石敷広場等の史跡は、

   上層の飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)

   と書いてありました。

   総合的に飛鳥宮跡としたんですね。

   大化の改新も、事件は乙巳の変ですし、

   時代、発見と共に新しくなっていきますね。   

 

   つまりここは、乙巳の変の舞台であり、

   かつ天武持統天皇の宮殿跡でもあり、

   この場所から藤原京に移動したんだね~。

   (非常にシンプル認識ですいませんm(__)m)

 

 <少し番外編>

   さて16:30頃になり、飛鳥はまた今度

   ゆっくり見るとして、大和八木駅へ戻ります。  

   飛鳥川沿いに北上すれば到着するだろうと、

   モバイルデータをケチってスマホ

   確認せず、方向感覚だけで進みました。

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(写真43)飛鳥から大和八木駅へ帰る途中(飛鳥川沿い)

    この写真までは良かったのですが、途中で飛鳥川

    離れてしまい、畝傍山が正面左に見えました。

    これはおかしいと、スマホで確認し、少し

    遠回りして大和八木駅に戻りました。

    地理感覚をちょっと過信してましたね。

    ただ飛鳥川沿いは整備された道になってますので、

    お勧めではあります。   

  

    あと翌日の夜ですが、耳成山のふもとで花火

    がありました。

    そこに映った耳成山が幻想的で感動。

    たまたま宿の好意でグレードアップ

    されて移った部屋が最高の場所でした。👍   

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(写真44)宿泊部屋から見た、花火で映った耳成山(花火の左側)

 

   以上で大和三山藤原京の探訪を締めます。

   いつもの如くバラバラ構成すいません。

   あと、古代は深いですねー。

   何箇所か認識不足あるかもしれません、

           読み返すと日本語も今一の感じ、

   そこもご容赦お願いします。

 

   次回は松永久秀信貴山城、

   ・・・宜しくです(⌒∇⌒)

   

 

<奈良県 歴史探訪1> 日本三大山城 高取城が凄かったよ!(3)

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良歴史探訪の高取城最終回(3回目)です。

 

前回本丸中心部を探索しましたが、

これだけの大城郭にもかかわらず、

高取藩石高は2万5千石とのことです。

地元の方々のお話では、その維持には

だいぶ苦労したと伝わってると言ってました。

 

さて高取城を下ります。

往路は壺坂口から来ましたが、

復路は二ノ門方面(大手登城道)

から壺阪山駅まで下ります。

 

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高取城二ノ門方面拡大図
(㉕から番号順に㉞まで進みます)

~(6)大手門から矢場門~

  ㉕大手門

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(写真48)大手門を下る

 ㉖大手門を下った分岐点

  写真手前大手門から降りて、正面をそのまま

     進むと、千早門に進み、二の門、途中国見櫓を

  経て、壺坂山駅方面に向かいます。

  写真左の石垣の方に曲がると、最初に来た壺坂口です。

 (壺坂口からも、壺阪山駅に辿り着けます)

  今回は千早門方向、写真49を真っすぐに進みます。

  この大手道で、これから門跡が沢山出ますよ。

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(写真49) 大手門を下った分岐点

 ㉗千早門跡

  上記分岐点を進むと、すぐに千早門が見えました。

  ここから主郭部を離れ、人と会わなくなっていき

  ましたが、すぐに千早門が分かり安心しました。   

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(写真50)千早門跡


   ㉘宇陀門跡 

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(写真51)宇陀門跡

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(写真52)宇陀門跡を降りる

 

  ㉙松ノ門跡

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(写真53)松ノ門跡(ここの門が移築され城下に残ってます)

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(写真54)松の門跡を下る
(石垣が沢山崩れ落ちています)

   ㉚矢場門跡

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(写真55)矢場門跡

 

~(7)国見櫓~

  矢場門を過ぎるとずぐに、来た道(本丸方向)と二の門

  方面と国見櫓への3方向分岐点になります。

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(写真56)国見櫓への分岐点

  

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(写真57)分岐点から国見櫓へ進みます

  そうしますと、ほら、この眺望😊😊😊

  奈良盆地の南側が一望出来ますねー。

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(写真58)国見櫓からの眺望(全体)

  写真をいくつか添えてご説明しますね。   

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(写真59)国見櫓からの眺望説明図

   まずは大阪の街を2.9倍に拡大撮影してみますと

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(写真60)大阪市街地 拡大1

   うっすら中心部に市街地が見えてきました。

   左側の2つの盛り上がりが特徴的な二子山、

   右側は少し切れてますが信貴山

   その間の山が低くて大阪市街地が見えてます。

 

   そして4.4倍まで拡大してみますと、

   あべのハルカス及び大阪ビル群が

   はっきりと分かりました。

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(写真61)大阪市街拡大2

  

   そして次は今回の主目的である大和三山

   確認してみます。

   特徴的な形ではっきり分かる畝傍山を撮影しました。

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(写真63)畝傍山 
(右ちょっと上方向が奈良になります)

  大和三山を撮る為にもう少し右側を撮影します。

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(写真64)高取城国見櫓から見た大和三山藤原京

   694年、持統天皇時代に成立し、日本で

   初めて本格的な都、藤原京大和三山

   囲われる形で造営されているのが

   はっきり分かりますよね~~~。(⌒∇⌒)

   この高取城からの眺望によって、藤原京

   大和三山の位置関係が分かり易く私の頭の中に

   インプットされ、5日間に渡る

   奈良の旅がし易くなりましたです。

   ・・・といいつつ翌日調子こいて道に

   迷うことになりましたが(-_-;)

   でも奈良の歴史の入口に入れた気がして

   一番の感動でした(⌒∇⌒) 

  

   国見櫓に備え付けてありました案内看板を載せます。

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(写真65)国見櫓の案内掲示

  

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眺望おまけ(写りが良いので)

 

(8)二ノ門から一升坂

  ㉜二ノ門跡  

   さて国見櫓から下山を再開しますが、

   その後も石垣と共に下る感じです。

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(写真66)国見櫓と2ノ門の間の登城道、石垣

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(写真67)国見櫓と二ノ門の間の石垣

   そして主郭部を出て一番迫力があるのが

   二ノ門跡になります。

   ここから山側が城内と呼ばれているそうです。

   また二ノ門の前には山城にはめずらしいとされる

   水堀もあります。

   高取川の源流の一つの様です。 

   縄張りとしては上手く水源を利用したな~。    

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(写真68)二ノ門跡

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(写真69)二ノ門石垣

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(写真70)水堀と二ノ門石垣

   ㉝猿石

    二ノ門から少し下ると直ぐに猿石があります。

    石垣に転用するため、飛鳥から運ばれたとの

    伝承があります。 

    下の写真の正面の道を行くと飛鳥方面になります。 

    私は写真左脇の道で壺坂山駅方面に向かいます。  

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(写真71)猿石

   猿石を出ますと、城外域ということですが、

   まだまだ見所が御座います。

  (私の見落としも多いと思いますが・・・)

 

   ㉞一升坂

    大手道であるこの坂を通って城内へ物資や登城等で

    馬や駕籠が行き交っておりさぞかしにぎやかだった

    のでしょう。

    ただしやはり比高差日本一である山城、

    急坂で大変なため、人夫に米一升を加増した

    ことのいわれだそうです。    

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(写真72)一升坂

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(写真73)一升坂2

   こりゃたまらんな~( ;∀;)

   確かに私が下るとき、登ってくる方の

   あいさつは皆ハアハア言ってました(*´Д`)

~(10)一升坂から土佐街道
    ここからは地図には載ってませんが、ポイントと

    感じたところをご紹介いたします。

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(写真75)木橋
(ここは確かに木橋を外すと通れなくなりますな~)

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(写真76)七曲り1

 

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(写真77)七曲り2

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(写真78)七曲り3

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(写真79)七曲り4

   写真79はだいぶ広い地図ですが、地図内赤い字の

   「現在地」を今、左の方向へ赤線を進んでいます。

   ここを降りると、やっと人里の雰囲気に

   なっていきます。

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(写真80)黒門跡
(写真進行方向が山登り方向)

   案内板によると、この周辺は別所郭といわれ、

   植村家の菩提寺宗泉寺を中心に曲輪が

   点在してました。

   ここの黒門から登山道になっていきます。

   ここから本丸まで1,836m、壺阪山駅まで

   2,937mとのことです。どっちも大変だわねー。

   この脇には車が3~4台停めるスペースがあります。

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(写真81)黒門へ登る道

  もし車でないと、これ登るんだねー、

  山道まで到着してないのに( ;∀;)
  私は降りる方なので良かった。

 

  ちょっと下りますが砂防公園のところです。

  宗泉寺760m、高取城2.1km、

  壺坂山駅2.3km。

  距離的にはまだ半分かー。

  ただしここから登る方が当然大変よ。

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(写真82)上子島砂防公園脇の標識

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(写真83)途中に掲示されてた高取城想定図
(拡大してくださいませ。なかなか壮観です。
ただ、木がこんなにあったら火責めで城燃えちゃうねー)

   

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(写真84)植村家長屋門

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(写真85)植村家長屋門案内板

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(写真86)移築された松ノ門

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(写真87)土佐街道と夢創館

   土佐街道、名前の由来が6世紀大和朝廷

   からの賦役命令で、土佐の国(高知県)から

   召し出された人が住み着いたとのことです。

   そして江戸時代には500軒もの商家、町屋が

   連なってたとか。

   そんな戦国時代からはるか昔から

   繋がってるとは(・□・;)

   歴史の繋がりを感じますね~。

 

   そして、ここに戻ってきたのが14:30。

   来た時は10:30でしたので丁度4時間ですね。

   登りはタクシーでしたが(-_-;)

   観光所の管理人さんが明るく待ってくれてました。

   ありがとー、としみじみ感謝です。

 

   さて16:00過ぎに宿泊拠点の大和八木駅

   到着しました。

   ほとんど登ってないのに、今回奈良探訪で一番

   足が疲れました。ちょっと距離がありましたね。

 

   宿で一服し、混む前に夕食を済ませようと、

   まだ駅周辺が分からないので、近鉄百貨店の

   レストラン街で、本旅行一番の高価なお食事を

   させていただきました。

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(写真86)焼肉屋さん(初めての一人しゃぶしゃぶですー)

  

   これで高取城探訪はおしまいです。

   少しでもこのお城の凄さが感じて頂けたら幸いです。

   実際まだ見てない所もあるし、めったに来れないから

   最終日にもう1回行こうとおもいました。

   (が、雨でいけませんでしたが・・・_| ̄|○

   そういった意味では初日強行軍でも最高の天気で

   高取城に来ておいて良かったと思いました。

 

   さて先は長いので次は、ちょっと足のケアーの為、

   一切山は登らず、レンタサイクリングで大和三山

   藤原京巡りと、ここに宿泊した利点をがっぽり頂こう

   とおもってます。

   しかし、結局行好奇心で山のぼってしまった(-_-;)

   ・・・次のお話。   

   ご高覧ありがとうございましたm(__)m













  

<奈良県 歴史探訪1> 日本三大山城 高取城が凄かったよ!(2)

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良歴史探訪の高取城の続き、2回目です。

 

さて、ここで高取城の歴史を少し確認してみますと、

・1332年頃、南北朝時代南朝方の越智氏が

 築城を始めたとされています。

・1532年本願寺一向一揆興福寺が戦闘となり、

 興福寺の僧兵を庇護した高取城一向一揆

 攻撃したが、撃退したと伝わってます。

・1585年秀吉の統一と共に羽柴秀長が大和の国主

 となり、家臣の本田利久が石垣、多聞櫓、天守

 侍屋敷、城下町等現在の縄張り構成となった様です。

・1637年本田氏は廃絶し、1640年に植村氏が

 2万5千石の城主となり、幕末まで続きます。

 (植村氏は徳川家康より4代前から仕える生粋の譜代)

・また1863年(文久3年)の幕末維新の時代、

 天誅組高取城を攻撃しましたが、撃退したとの

    ことで、なかなか深そうな歴史がありますねー。

 

さて高取城の中心部の探索を進めます。

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高取城全体図

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本丸中心部拡大図
(全体図の右側の部分の拡大図です。⑩から㉔まで番号順に進みます)

 

 ~(3)十三間多門跡から二の丸、太鼓櫓まで~

    図⑩:十三間多門手前の曲輪(大手門の先)

     前回の大手門から入った曲輪から撮っています。

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(写真23)大手門を入り、次の(右手)十三間多門手前の曲輪 

 

  図⑪:十三間多門跡(二の丸の入口)

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(写真24)十三間多門跡遠景

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(写真25)十三間多門跡

   図⑫:二の丸

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(写真26)十三間多門跡を抜けて二の丸に入る

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(写真27)二の丸のあずま屋

  図⑬:二の丸から見た太鼓櫓

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(写真28)二の丸から太鼓櫓の石垣を見る

   普通二の丸の次は本丸ですよね~、

   その本丸は2重に石垣囲いされてます。
   この写真28は本丸の外側の石垣になっており、

   二の丸に突き出た馬出しみたいになってます。

  

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(写真29)太鼓櫓前の看板

  図⑭:十五間多門跡手前

   本丸に近くなると石垣に雪が残っていて映えますね。

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(写真30)十五間多門の手前の石垣

  図⑮:十五間多門跡

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(写真31)十五間多門跡1

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(写真32)十五間多門跡2

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(写真33)十五間多門跡を入る
(入ると右手が太鼓櫓、左手が本丸)

  図⑯:太鼓櫓

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(写真34)太鼓櫓

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(写真35)太鼓櫓に上がり、櫓跡と十五間多門跡を見る

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(写真36)太鼓櫓に上がり、本丸方向を見る
(本丸と二の丸の間の曲輪)

  ここに入ると四方を囲われているので集中攻撃されそうですね。

  これ自体が桝形かな?

 

 ~(4)本丸の石垣(外から撮影編)~

   二の丸、太鼓櫓から本丸に来ました。

   本丸は中に入って撮影しましたが、

   外からも1周して本丸石垣を撮影しましたので、

   まず外から本丸撮影編ををご紹介します。

   (すいませんねー、複雑で)

   

   図⑰:太鼓櫓正面の本丸石垣  

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(写真37)本丸石垣1

 

 図⑱:本丸虎口へ通じる細い道

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(写真38)本丸虎口へ通じる細い道
基本ここが本丸虎口に通じる道になっていますし
 昔は門もあった様です。

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(写真39)細い道を通ると、本丸へご案内のくまさんと城が登場

 

  図⑲:本丸側石垣

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(写真36) 本丸北側の石垣(虎口側なので複雑ですね)

  図⑳:本丸虎口左側角

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(写真37) 本丸北東角
(ここのアングルがなかなかかと、雪も残ってますねー)

  図㉑:本丸南側の長大な石垣

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(写真38)本丸南側の石垣(凄い反りが長い!)

 

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(写真39)南西角(算木積かな?)

 

  図㉒:本丸西側から太鼓櫓を見る

   う~ん、ここの景色はマチュピチュみたいで圧巻でした。

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(写真40) 本丸西側から太鼓櫓方面を見る

  

  ~(5)本丸の石垣(本丸内から撮影編)~

   さてようやく本丸に入りましょう。

   図㉓:本丸虎口(入口)から撮影

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(写真41)本丸虎口

  図㉔:本丸内で撮影(以下同じです)

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(写真42)本丸虎口を上から見る

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(写真43)本丸内全体

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(写真44)本丸南側を見下ろす(写真38を本丸上から見てます)

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(写真45)本丸南西角を見下ろす

 

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(写真46)本丸南方向眺望
高取城奈良盆地の南端、その南方向は山々が連なってますねー)

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(写真47)本丸北方向眺望(写真右側が飛鳥方向)

  500m超える山頂なのに、石垣造りの曲輪、桝形を

  何重にも配置されていて、兵糧攻め以外落ちないん

  じゃないか?っていうお城ですね。

  

  高取城は3回に分け、次回最後3回目は、

  本丸から駅までメインの登城道を降ります。

  またその行程で高取城で最高の眺望、国見櫓

  をご紹介いたします。

  

  ではご高覧ありがとうございました。m(__)m

 

 

<奈良県 歴史探訪1> 日本三大山城 高取城が凄かったよ!(1)

こんにちは-、rekikakkunです。

 

今回は滋賀県群馬県に続く歴史探訪第3弾、

奈良県に5日間行ってまいりました。

まあ、古都であり修学旅行でも定番の奈良の事、

とても5日では回り切れませんよね。

 

奈良については、東大寺法隆寺等の主要寺院

及び飛鳥はサイクリングで行ったことがあるので・・・

(凄い所だよ~と、小さかった子供を餌に家族5人を

 サイクリングで連れまわしたのは十数年前。)

ん?誰も何が何だか分かってなかったとな?( ;∀;)

 

さて、今回の狙いを下記に定めました。

 1.大河ドラマ 麒麟が来る でも存在感を

   放ってました松永弾正久秀ゆかりの城巡り

 2.日本三大山城の高取城攻城

 3.万葉集でも歌われた大和三山を優雅に巡る

 

また奈良県は鉄道が豊富に通っており、

日本各地で雪の天候も多かったので、

宿泊拠点を「大和八木駅」1箇所に定め、

公共機関をメインに移動しました。

 

探訪場所の概要を下のグーグルマップ で示します。

 ①高取城(1日目)       ④大和郡山城(4日目)

 ②藤原京大和三山(2日目)  ⑤多聞山城(5日目)

 ③信貴山城(3日目)      ⑥平城京(5日目)  

 

 高取城

  高取城は日本三大山城の一つであり、

  城下町との比高差446mは近世城郭日本一の

  高低差をうたってます。

  そこには明治まで存続した譜代植村氏高取藩の

  城郭石垣が壮大に残されていました。

 

 ~(1)自宅から高取城入口まで~

   予定では2,3日目にじっくり行こうと思って

   ましたが、天気が一番良いのが初日との予報だったので、

   早朝自宅を出て朝一の新幹線ひかりに乗り込みました。

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(写真1)新幹線から米原駅付近かな?(朝7:45頃)

   前々日は日本各地で大雪だったので、標高583mの高取城

   大丈夫かな~とちょっと心配してパシャリ(撮影)しています。

 

   京都から近鉄線に乗り換えて、高取城最寄りの駅である

   壺阪山駅に10:06到着しました。

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(写真2)壺阪山駅

   まず事前に調べていた駅を出て右側のロッカ-に荷物をと・・・

   ん? ロッカーが無い? 

      トイレも無い(後で構内にあると聞きました)

      駅員さんは? 居ない( ;∀;)

   お、タクシーが1台。

   初日強行軍なのでタクシ-で山頂入口まで行こうと思っており、

   荷物とかどうしようかと悩んでいたら、後から団体様が

   タクシ-に乗って出発・・・あ、あれ~

   一人駅に残され、久々に途方に暮れました。

   

   写真2でタクシーに変わって、

   両手に荷物を持った私が立ち尽くす図柄(笑)

  

   ここで、帰りに御城印を買おうと思っていた

   「高取町観光案内所夢創館」に行ってみようと

   歩いて15分程で到着し、管理人さんに事情を

   お話したら、

   「荷物預かるわよ、ロッカー撤去されてしまってね~」

   と事情を把握してくれて預かって頂きました。(結果無料)

   そして先程行ってしまったタクシーに連絡を

   してくれて、折り返し来てもらう事に。

   高取城の概略、地図等も頂き、人の親切に触れる

   事が出来、感激しました。

   助かりました、ありがとうございましたm(__)m。

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(写真3)高取町観光案内所「夢創館」

   さて10:40頃タクシ-が来てくれて夢創館を出発。

   運転手さんが、旧藩主の植村氏が以前町長を務めていて、

   今は不在だが、県指定文化財長屋門に近年まで住んでいた

   と教えてくれました。

   コロナで最近の探訪ではあまり聞けない現地の方々の

   お話を聞かせてもらい、大変嬉しかったです。

   ちなみに本日は休日ですが、お客さんはここまで私と

   先の団体さんの2組との事でした。

  (ただし私が下山するまでに、お城で50人程お会いしました)

   前日は凍結があったが本日はそれも無く、雪の影響は

   無いとの事。ほ~良かった。

   

   さてここで、高取城までの経路を下の写真4で示します。 

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(写真4) 壺阪山駅から高取城までの経路
(赤線:往路、青線:復路)

   赤線の夢創館から高取城壺坂口門跡付近までタクシーで登り、

   その他は徒歩です。

   (徒歩を下りだけにして楽しようという魂胆✨)

   因みに青色を登っていくのが高取城としてメインの登城経路です。

 

   やっとここからお城に入っていきますので、お城の縄張図です。

   下図の右下あたりから登城します。

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(写真5) 高取城縄張図

 

 ~(2)壺坂口への入口から大手門まで~ 

  ここから、下の拡大図に赤丸数字で撮影ポイントを示します。 

  右下の①からスタートし、左上の⑨へ番号順に進みます。

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(写真6)壺坂口から大手門 縄張拡大図

   図①:壺坂口への入口

    タクシーに連れて行ってもらった場所が写真7です。

    3、4台は路駐できそうです。

    ただ私がこの写真を撮った後も10人以上入っていたので、

    車を駐車したい場合、休日は早めが良さそうです。

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(写真7)図①: 壺坂口への入口1

 

  ここから登城を開始します。(トイレもある模様) 

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(写真8)壺坂口への入口2

  

   図②:最初の石垣

     上の写真8から歩いて1分経たずに、

     え、もう石垣、これは期待大です(⌒∇⌒)

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(写真9) 最初の石垣

 

   図③:壺坂口門  

     そして最初の門壺坂口門に来ました。

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(写真10) 壺坂口門

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(写真11)壺坂口郭 入口

   図④:壺坂口中門の入口 

    壺坂口の門と郭を終えると、これまで道沿いに多分家臣の

    屋敷等の石垣囲いでしたが、図④の所から城全体を囲う

    構成に変わっていく感じです。 

    図④の左手は高い位置に石垣があり、上から迎撃できます。

    また図を見ると実際は右手方向が入口で、石垣に沿って

    細い道を通らないと門には行けない構造の様です。    

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(写真10)図④の入口

   図⑤:壺坂口中門の正面

    ④を上がると・・・

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(写真11) ④から⑤の正面に見える、二の丸を構成する高石垣

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(写真12) ⑤壺坂口中門の正面 高石垣

    おおお~、とうとう出ました、高い石垣✨✨✨

    こんな立派な石垣が山の上にあるとは( ^ω^)

 

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(写真13) ⑤壺坂口中門を左へ曲がる

  図⑥:壺坂口から⑦の合流点前の高石垣

    右手に高石垣が見下ろしてます。

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(写真14) 図⑥の位置

  図⑦:壺坂口道から大手門手前の合流点を見る

   この⑦の位置が大手門の入口で、かつ二の門、壺坂口、

   吉野口の各登城道が合流する所です。 

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(写真15)図⑥の壺坂口道から⑦正面を見る

 

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(写真16)⑦左手:二の門経由の下山方向(この道がメインの登城道)

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(写真17)⑦右手:主郭方向 (⑧大手門の入口)

   

  ⑧大手門

   この大手門から内側が城の中心部と言えそうで、

   ここからずっと石垣だらけになりそうですよ(⌒∇⌒)

   この辺りから所々に雪が少し残っていました。

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(写真18) ⑧大手門入口正面

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(写真19) ⑧大手門に入ったところ

  ⑨大手門櫓跡

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(写真20) 大手門の櫓跡

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(写真21) ⑨大手門櫓跡の上から、⑦の各登城合流地点を見下ろす

   ⑨の位置まで来ることが出来るのが嬉しかったです。

   守備側から攻撃側への視線がはっきり分かりますよね😊

   主郭に至る登城道が大手門手前で合流し、かつ全て

   到着する前に細くなってるのが良く分かります。

   そしてその道に沿って石垣がそびえ、守備側が攻撃出来ます。

   真ん中の木邪魔だな~(笑)

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(写真22)⑨大手門櫓跡上から大手門桝形虎口を見下ろす

   大手門虎口の構造が上から見えました。

   石垣跡から虎口を見下ろすなんて、

   なかなか見れない構図、凄いな~~~。

 

   流石三大山城といわれる高取城

   全然一つでは描き切れないので、

   今回は大手門までとし、次回主郭部を掲載します。

   ご高覧ありがとうございました。

   最初の前置き話が長かったですねm(_ _"m)

 

   因みに次回最初の門の写真を掲載しますー。

   まだまだ序の口よ( ^ω^)・・・

   500m超えるの山なのに!

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(写真23)