歴史ぶらり1人旅

歴史好きのかっくんです。歴史スポットを一人気ままに探訪します。

<奈良県 歴史探訪2> 大和三山と藤原京 古代のロマンに想いを馳せて

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良探訪2日目になりました。

昨日は日本一の比高差高取城に行って

足が疲れたので、

(ん?登りにタクシーを使ったのは、お忘れを・・・)

今日は宿泊地の大和八木駅で自転車(電動)を

レンタルして、古代のロマンを満喫しようと

画策しました。(極力楽しようとしてます)

 

  奈良県2日目 大和三山藤原京他 探訪地図>  

  本日の探訪地図です。

  グーグルマップの〇番号を押すと

  グーグルの説明が見れます。

        自転車で①から⑬の番号順に探訪しました。

 

  ①かしはらナビプラザ(レンタル) ⑧藤原京朱雀大路

  ②今井まちなみ交流センタ-    ⑨香具山(山頂)

  ③今井町環濠集落跡地       ⑩藤原宮跡資料室

  ④畝火山口神社          ⑪藤原宮跡

  ⑤畝傍山(山頂)         ⑫飛鳥寺   

  ⑥橿原神宮(通過のみ)      ⑬飛鳥宮

  ⑦本薬師寺

  

 ①かしはらナビプラザ

  大和八木駅の南口前にかしはらナビプラザがあります。

  観光案内所の機能と共に自転車のレンタルもしてました。  

  電動もあり結構豊富にありましたし、会話の中で

  橿原市は観光者に親切だな~と思う場面が多く、

  ここでも親切に教えてくれました(⌒∇⌒)。

  さて10:00出発です。 

 

 今井町(今井まちなみ交流センター他)

  今回宿泊所の資料で知ったのですが、

  大和八木駅の近くの「今井町」は、

  江戸時代の街並、町家が多く残り、

  重要伝統的建築物群保存地区と選定

  されてるとのことです。

  堺で有名な今井宗久も若い頃ここに居たとか。

  丁度黄金の日々の再放送を見ているので

  畝傍山に行く途中に行ってみました。  

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(写真1)今井町案内図

  

  まずは今井町の概要を把握したいので、

  「今井まちなみ交流センター」に行ってきました。

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(写真2)今井まちなみ交流センター(角度を考えて撮ったよ)

  交流センターには色々と展示がありました。

  まず下写真の今井町の模型は迫力あると共に

  街並みのイメージが分かり易かったです。(⌒∇⌒)

  結構これに近い状態で残ってる感じじゃないかな~。  

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(写真3)今井町の街並み(展示模型、なかなかの迫力)

  今井町環濠集落跡地

   今井町の起源は戦国時代に、本願寺

   今井兵部が一向宗の拠点として、称念寺

   建立したことのようです。

   そして堀(環濠)等の防御機能を構築し、

   寺内町として発展していきました。

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(写真4)環濠の一部

   筒井順慶等の信長方とも戦ったが、

   1575年(天正3年)、石山本願寺の降伏

   と共に今井町も休戦交渉を進める中、

   信長自身が直接今井町に本陣を置き、

   裁定を下した様です。

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(写真5)この辺り信長の本陣があったところかな?
(もっとしっかり確認するべきでした)

   その裁定の書類が見れました。

   今日は奈良時代の周遊のつもりでしたが、

   思わぬところで歴史を知りました。

   時間に余裕があると、こういった出会いが

   ありますよね(⌒∇⌒) 

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(写真6)信長の赦免朱印状

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(写真7)信長朱印状の説明

   この時、信長は今井町自治権を許し、

   太刀も下賜したとのことで、今井町

   価値、心意気に感じいるところがあったと

   思われます。

   (信長の美への謙虚さを感じました)

   また武装完全解除により、経済的自治権の確保。

   諸々残すのが大変なこの時代、町として上手に

   状況判断して後世に残しましたよねー。

   

   そして現在の街並みを撮りました。  

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(写真8)今井町街並み1

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(写真9)今井町街並み2

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(写真10)今井町街並み3

   どこ行っても風情ある街並み感じで

   感動しました。

   お勧めの町ですよー。

  

  ④畝火山口神社

   さて大和三山では、古代のロマンに想いを馳せます。

 

   「香具山は 畝傍ををしと 耳梨と 相争ひき

    神代より 斯くにあるらし 今昔も 然にあれこそ

    うつせみも 妻を 争ふらしき」

   

   中大兄皇子が詠み、万葉集に載せられた歌です。

 

   私は学術的なことは分かりませんが、

   中大兄皇子天智天皇)と言えば

   乙巳の変を起こし、天皇中心の中央集権

   支配体制を構築する起点を作った英雄。

   その中大兄皇子は、弟の大海人皇子天武天皇

   と、美女である額田王を巡っての三角関係の

   お話(一つの説ですが)も有名、心誘われます。

   畝傍山が女性、額田王(ぬかだのおおきみ)。

   これに香具山(中大兄皇子)と

   耳成山大海人皇子)が争う。

   遥か昔の神々でこの三山で起こった

   伝説になぞられた、との解釈説です。

   (私はこの三山をただ車で通って見るだけ

    ではなく、しっかり感じながらゆっくり

    行きたかったのです)

   その後大海人皇子額田王を妻とし、また

   壬申の乱でも勝利し、天智天皇の息子が自害。

   これにより弟の勝ちとなり、日本の発展に繋がって

   いったのも事実と思います。

   が反面、古代の歴史の中でも有数の哀愁を感じます。

   天下を握った天武天皇系でしたが(聖武天皇が有名)、

   約100年後に天智系皇系(桓武天皇が有名)

   が皇統を継続するという、なかなかの

   大逆転話があったり複雑ですねー。

   ま、それ以上私分かりませんが(笑)

   さて私の拙い話はここまでとして・・・(;^_^)

   

   最初に今井町から南に下って畝傍山に向かいます。 

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(写真11) 今井町から畝傍山に向かってるところ

   自転車は電動にしたので楽ちん。

   疲れること無く進み、畝傍山西側のふもと、

  「畝火山口神社」に着きました。

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(写真12)畝火山口神社

  

  畝傍山

   11:20神社の脇に畝傍山の登り口ありました。

   せっかく来たのと宿のおかみさんが、景色みれるわよ

   と言ってたので、我慢ならず登りました。   

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(写真13)畝傍山登り口

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(写真14)畝傍山登ってます

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(写真15)畝傍山山頂はこんな感じです

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(写真16)畝傍山から東方向眺望 綺麗な三角が耳成山ですよー

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(写真17)畝傍山から東方向眺望2 右側が香具山です

 

   畝傍山を下り、神社に停めた自転車に乗って、

   橿原神宮を横切り、本薬師寺跡に向かいます。  

  

   神宮に来る前に、天皇陵が通り道に2か所。

   天皇陵の隣に普通に家が建っててお子さんが

   遊んでて、なんか良いな~と思いました。 

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(写真18)安寧天皇
(第三代と書いてます。良く知らなくてすいません)

 

  橿原神宮

   橿原神宮入口に着きました。

   初代神武天皇が九州から来て橿原宮を創建、

   日本の起源とも言える凄い所。

   大分混んでいたので、次の機会にゆっくり行きます。

   今回は通っただけです。

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(写真19)橿原神宮 南西の入口

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(写真20)橿原神宮内の深田池

 

  ⑦本薬師寺

   天武天皇は皇后、後の持統天皇の病気平癒を目的に

   薬師寺を建てられました。

   後に平城京遷都の時に移転して今の薬師寺になってる

   とのことです。(諸説あるようです)  

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(写真21)本薬師寺

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(写真22)本薬師寺前、昼飯はコンビニパンです。
この時点で12:30、お店は混んでても、
ここなら誰も居ないだろうと思って・・・
目の前が畝傍山です。こののんびり感👍


  藤原京朱雀大路   

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(写真23)朱雀大路

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(写真24)朱雀大路跡案内板

   藤原宮の南側に伸びるメイン通り朱雀大路

   道が発掘された様です。

   北側に耳成山が見えます。この間に

   藤原宮があったんですねー。

   う~ん自転車だとゆっくり見れて感激ですー。

   畝傍山と香具山の位置をきょろきょろ確認。

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(写真25)朱雀大路跡から北を見ると耳成山

  ⑨香具山

   大和三山で最も神聖な山、天の香具山と言えば、

   歴史好きでなくても聞いたことはあるのでは?

   入口を見たら我慢できず登りました。

  (すぐ山頂に行けますよー)

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(写真26)朱雀大路跡から見た香具山
確実に古代の方たちが見た景色ですよね(⌒∇⌒)

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(写真27)香具山登山入口(西側)

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(写真28)香具山山頂 低い山なのですぐです

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(写真29)香具山眺望
畝傍山が見えます、真ん中の木が邪魔だー)

  ⑩藤原宮跡資料室

   香具山の近くに藤原宮跡資料室がありました。

   資料室では30分も現地ならではのお話をして

   くれて、面白かったですし、愛着も感じました。

   それは前日の高取城、本日の今井町

   その後の平城京、多聞山城等、

   今回奈良県探訪全てのお話の機会において、

   歴史、史跡等に対する愛着や大切に残していこう

   とする気持ちを肌で感じることができました。

   

   ちなみに、何で藤原京と言われてるのですか?

   と資料室の方に聞いたら・・・

   この質問待ってました!

   と目がキラリ✨✨

   ひとしきり教えてもらったので

   ブログに載せるつもりで書こうとしたら、

   あれ?

   忘れてしまってました・・・////。

   ごめんなさ~い( ;∀;)。

  (たしか何かの資料に載っていたからかな?)

   会話が尽きず、中国殷王朝の妲己まで

   さかのぼったので(笑)   

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(写真30)奈良文化財研究所 藤原宮跡資料室

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(写真31)資料室内の写真、綺麗ですねー

  ⑪藤原宮跡

   藤原京大和三山に囲われた立地で、

   その規模は、発掘調査によりその三山を

   含める程まで大きかった様です。

   その都の宮殿が藤原宮です。

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(写真32)藤原宮跡と天の香具山(藤原宮から東方向)

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(写真33)藤原宮跡と畝傍山 (藤原宮から西方向)

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(写真34)藤原宮跡と耳成山 (藤原宮から北方向)

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(写真35)藤原宮から見た朱雀大路高取城

   写真35の手前右側の森の様な小山に藤原京を中央で

   右京左京に分けるメイン道路、朱雀大路が通ってました。

   藤原宮跡資料室のお話では都の南側中央に山があることも

   意味があると言ってました。

 

   写真35の真ん中の山に四角い物体、

   NHK中継局が見えます。

   高取城本丸から同じ物が見えたので、その左側に

   高取城があると思い、藤原宮跡からずっと探してました。

   ・・・が城自体はどうしても分からず残念_| ̄|○

   

   その変わりに昨日の高取城から見た大和三山

   藤原宮跡をご紹介します。

   大和三山のほぼ中心に藤原宮が設置されてる

   のがよく分かります。

   そして三山に囲われた全体が藤原京です。

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(写真36)すいません、この写真の藤原京跡は ⇒ 藤原宮跡ですね。

 
            

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(写真37 藤原宮大極殿の基壇跡、大宮土檀)

   そして上の写真は藤原宮の中心、大極殿跡です。

   藤原京は694年から710年の16年間

   天武天皇の時から計画され、その妃である

   持統天皇及び文武天皇元明天皇の3代の

   日本初の本格的な都でした。

   

   藤原宮資料室で教えていただきましたが、

   その次の平城京遷都後、ほぼ全体が水田となり

   その所在地は長らく論争になっていたそうです。

   写真37の小さな丘陵、大宮土壇脇での瓦、礎石等

   が出土したのがきっかけで本格的な発掘調査が

   始まり、大極殿、藤原宮の構造、位置が明確に

   なってきたとのことです。

   

   これで大和三山藤原京の位置関係が頭に

   インプットされました。

   徒歩でも良いですが、自転車も色々行けて

   小回りも聞くので良いですよー。

   授業でも習った大宝律令が701年に完成

   してることからも、藤原京時代の国の発展、

   古代のロマンを感じますよねー。

   実は深くは分かってないのですが・・・(*ノωノ)

   

  飛鳥寺

   藤原宮跡を(自分なりに)満喫後の15:20頃、

   せっかくなので、帰る反対方向の飛鳥へ向かいました。

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(写真38)飛鳥へ南進している途中
写真右手甘樫丘、その左手に飛鳥の史跡が沢山あるよ
(正面奥の山のどれかが高取城かな~?、現地で聞けば良かった)

 

   15:45頃飛鳥寺に到着。

   蘇我氏が建立した日本最初の仏教寺院。

   ほぼ聖徳太子の時代ですよね。

   15年位前に行ってますが、ほとんど変わってなく

   (都市化されてなく)ほとんど見覚えありました。

   変化が無い嬉しさ、ありますよね(⌒∇⌒)

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(写真39)飛鳥寺正面

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(写真40)飛鳥寺南面、一面の畑で15年前の記憶と同じ

   

  飛鳥宮

   飛鳥寺の後、もう一つ再訪したかったのが、

   乙巳の変中大兄皇子達が蘇我入鹿を暗殺した

   場所、飛鳥板蓋宮(あすかいたぶきのみや)です。

   よく写真で出ますよねー。

   無意識に蘇我氏の隆盛と没落の場所に

   行ったんだと、後で思いました。

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(写真41)飛鳥宮

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(写真42)飛鳥宮跡 説明版

   ところが、今回伺ってみるとその説明版には

   「旧称 史跡 伝 飛鳥板蓋宮 平成二十八年名称変更」と

   平成28年に名称が変わったとのことです。

  

   少しネット含め確認してみると・・・この場所は、

   乙巳の変の時、皇極天皇の宮殿で飛鳥板蓋宮。

   天武・持統天皇の時、ここは飛鳥浄御原宮

   その他舒明天皇斉明天皇等多数の宮殿が置かれた。

   現在復元して見えている石敷広場等の史跡は、

   上層の飛鳥浄御原宮(あすかきよみはらのみや)

   と書いてありました。

   総合的に飛鳥宮跡としたんですね。

   大化の改新も、事件は乙巳の変ですし、

   時代、発見と共に新しくなっていきますね。   

 

   つまりここは、乙巳の変の舞台であり、

   かつ天武持統天皇の宮殿跡でもあり、

   この場所から藤原京に移動したんだね~。

   (非常にシンプル認識ですいませんm(__)m)

 

 <少し番外編>

   さて16:30頃になり、飛鳥はまた今度

   ゆっくり見るとして、大和八木駅へ戻ります。  

   飛鳥川沿いに北上すれば到着するだろうと、

   モバイルデータをケチってスマホ

   確認せず、方向感覚だけで進みました。

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(写真43)飛鳥から大和八木駅へ帰る途中(飛鳥川沿い)

    この写真までは良かったのですが、途中で飛鳥川

    離れてしまい、畝傍山が正面左に見えました。

    これはおかしいと、スマホで確認し、少し

    遠回りして大和八木駅に戻りました。

    地理感覚をちょっと過信してましたね。

    ただ飛鳥川沿いは整備された道になってますので、

    お勧めではあります。   

  

    あと翌日の夜ですが、耳成山のふもとで花火

    がありました。

    そこに映った耳成山が幻想的で感動。

    たまたま宿の好意でグレードアップ

    されて移った部屋が最高の場所でした。👍   

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(写真44)宿泊部屋から見た、花火で映った耳成山(花火の左側)

 

   以上で大和三山藤原京の探訪を締めます。

   いつもの如くバラバラ構成すいません。

   あと、古代は深いですねー。

   何箇所か認識不足あるかもしれません、

           読み返すと日本語も今一の感じ、

   そこもご容赦お願いします。

 

   次回は松永久秀信貴山城、

   ・・・宜しくです(⌒∇⌒)

   

 

<奈良県 歴史探訪1> 日本三大山城 高取城が凄かったよ!(3)

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良歴史探訪の高取城最終回(3回目)です。

 

前回本丸中心部を探索しましたが、

これだけの大城郭にもかかわらず、

高取藩石高は2万5千石とのことです。

地元の方々のお話では、その維持には

だいぶ苦労したと伝わってると言ってました。

 

さて高取城を下ります。

往路は壺坂口から来ましたが、

復路は二ノ門方面(大手登城道)

から壺阪山駅まで下ります。

 

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高取城二ノ門方面拡大図
(㉕から番号順に㉞まで進みます)

~(6)大手門から矢場門~

  ㉕大手門

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(写真48)大手門を下る

 ㉖大手門を下った分岐点

  写真手前大手門から降りて、正面をそのまま

     進むと、千早門に進み、二の門、途中国見櫓を

  経て、壺坂山駅方面に向かいます。

  写真左の石垣の方に曲がると、最初に来た壺坂口です。

 (壺坂口からも、壺阪山駅に辿り着けます)

  今回は千早門方向、写真49を真っすぐに進みます。

  この大手道で、これから門跡が沢山出ますよ。

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(写真49) 大手門を下った分岐点

 ㉗千早門跡

  上記分岐点を進むと、すぐに千早門が見えました。

  ここから主郭部を離れ、人と会わなくなっていき

  ましたが、すぐに千早門が分かり安心しました。   

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(写真50)千早門跡


   ㉘宇陀門跡 

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(写真51)宇陀門跡

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(写真52)宇陀門跡を降りる

 

  ㉙松ノ門跡

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(写真53)松ノ門跡(ここの門が移築され城下に残ってます)

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(写真54)松の門跡を下る
(石垣が沢山崩れ落ちています)

   ㉚矢場門跡

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(写真55)矢場門跡

 

~(7)国見櫓~

  矢場門を過ぎるとずぐに、来た道(本丸方向)と二の門

  方面と国見櫓への3方向分岐点になります。

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(写真56)国見櫓への分岐点

  

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(写真57)分岐点から国見櫓へ進みます

  そうしますと、ほら、この眺望😊😊😊

  奈良盆地の南側が一望出来ますねー。

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(写真58)国見櫓からの眺望(全体)

  写真をいくつか添えてご説明しますね。   

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(写真59)国見櫓からの眺望説明図

   まずは大阪の街を2.9倍に拡大撮影してみますと

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(写真60)大阪市街地 拡大1

   うっすら中心部に市街地が見えてきました。

   左側の2つの盛り上がりが特徴的な二子山、

   右側は少し切れてますが信貴山

   その間の山が低くて大阪市街地が見えてます。

 

   そして4.4倍まで拡大してみますと、

   あべのハルカス及び大阪ビル群が

   はっきりと分かりました。

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(写真61)大阪市街拡大2

  

   そして次は今回の主目的である大和三山

   確認してみます。

   特徴的な形ではっきり分かる畝傍山を撮影しました。

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(写真63)畝傍山 
(右ちょっと上方向が奈良になります)

  大和三山を撮る為にもう少し右側を撮影します。

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(写真64)高取城国見櫓から見た大和三山藤原京

   694年、持統天皇時代に成立し、日本で

   初めて本格的な都、藤原京大和三山

   囲われる形で造営されているのが

   はっきり分かりますよね~~~。(⌒∇⌒)

   この高取城からの眺望によって、藤原京

   大和三山の位置関係が分かり易く私の頭の中に

   インプットされ、5日間に渡る

   奈良の旅がし易くなりましたです。

   ・・・といいつつ翌日調子こいて道に

   迷うことになりましたが(-_-;)

   でも奈良の歴史の入口に入れた気がして

   一番の感動でした(⌒∇⌒) 

  

   国見櫓に備え付けてありました案内看板を載せます。

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(写真65)国見櫓の案内掲示

  

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眺望おまけ(写りが良いので)

 

(8)二ノ門から一升坂

  ㉜二ノ門跡  

   さて国見櫓から下山を再開しますが、

   その後も石垣と共に下る感じです。

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(写真66)国見櫓と2ノ門の間の登城道、石垣

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(写真67)国見櫓と二ノ門の間の石垣

   そして主郭部を出て一番迫力があるのが

   二ノ門跡になります。

   ここから山側が城内と呼ばれているそうです。

   また二ノ門の前には山城にはめずらしいとされる

   水堀もあります。

   高取川の源流の一つの様です。 

   縄張りとしては上手く水源を利用したな~。    

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(写真68)二ノ門跡

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(写真69)二ノ門石垣

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(写真70)水堀と二ノ門石垣

   ㉝猿石

    二ノ門から少し下ると直ぐに猿石があります。

    石垣に転用するため、飛鳥から運ばれたとの

    伝承があります。 

    下の写真の正面の道を行くと飛鳥方面になります。 

    私は写真左脇の道で壺坂山駅方面に向かいます。  

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(写真71)猿石

   猿石を出ますと、城外域ということですが、

   まだまだ見所が御座います。

  (私の見落としも多いと思いますが・・・)

 

   ㉞一升坂

    大手道であるこの坂を通って城内へ物資や登城等で

    馬や駕籠が行き交っておりさぞかしにぎやかだった

    のでしょう。

    ただしやはり比高差日本一である山城、

    急坂で大変なため、人夫に米一升を加増した

    ことのいわれだそうです。    

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(写真72)一升坂

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(写真73)一升坂2

   こりゃたまらんな~( ;∀;)

   確かに私が下るとき、登ってくる方の

   あいさつは皆ハアハア言ってました(*´Д`)

~(10)一升坂から土佐街道
    ここからは地図には載ってませんが、ポイントと

    感じたところをご紹介いたします。

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(写真75)木橋
(ここは確かに木橋を外すと通れなくなりますな~)

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(写真76)七曲り1

 

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(写真77)七曲り2

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(写真78)七曲り3

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(写真79)七曲り4

   写真79はだいぶ広い地図ですが、地図内赤い字の

   「現在地」を今、左の方向へ赤線を進んでいます。

   ここを降りると、やっと人里の雰囲気に

   なっていきます。

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(写真80)黒門跡
(写真進行方向が山登り方向)

   案内板によると、この周辺は別所郭といわれ、

   植村家の菩提寺宗泉寺を中心に曲輪が

   点在してました。

   ここの黒門から登山道になっていきます。

   ここから本丸まで1,836m、壺阪山駅まで

   2,937mとのことです。どっちも大変だわねー。

   この脇には車が3~4台停めるスペースがあります。

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(写真81)黒門へ登る道

  もし車でないと、これ登るんだねー、

  山道まで到着してないのに( ;∀;)
  私は降りる方なので良かった。

 

  ちょっと下りますが砂防公園のところです。

  宗泉寺760m、高取城2.1km、

  壺坂山駅2.3km。

  距離的にはまだ半分かー。

  ただしここから登る方が当然大変よ。

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(写真82)上子島砂防公園脇の標識

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(写真83)途中に掲示されてた高取城想定図
(拡大してくださいませ。なかなか壮観です。
ただ、木がこんなにあったら火責めで城燃えちゃうねー)

   

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(写真84)植村家長屋門

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(写真85)植村家長屋門案内板

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(写真86)移築された松ノ門

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(写真87)土佐街道と夢創館

   土佐街道、名前の由来が6世紀大和朝廷

   からの賦役命令で、土佐の国(高知県)から

   召し出された人が住み着いたとのことです。

   そして江戸時代には500軒もの商家、町屋が

   連なってたとか。

   そんな戦国時代からはるか昔から

   繋がってるとは(・□・;)

   歴史の繋がりを感じますね~。

 

   そして、ここに戻ってきたのが14:30。

   来た時は10:30でしたので丁度4時間ですね。

   登りはタクシーでしたが(-_-;)

   観光所の管理人さんが明るく待ってくれてました。

   ありがとー、としみじみ感謝です。

 

   さて16:00過ぎに宿泊拠点の大和八木駅

   到着しました。

   ほとんど登ってないのに、今回奈良探訪で一番

   足が疲れました。ちょっと距離がありましたね。

 

   宿で一服し、混む前に夕食を済ませようと、

   まだ駅周辺が分からないので、近鉄百貨店の

   レストラン街で、本旅行一番の高価なお食事を

   させていただきました。

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(写真86)焼肉屋さん(初めての一人しゃぶしゃぶですー)

  

   これで高取城探訪はおしまいです。

   少しでもこのお城の凄さが感じて頂けたら幸いです。

   実際まだ見てない所もあるし、めったに来れないから

   最終日にもう1回行こうとおもいました。

   (が、雨でいけませんでしたが・・・_| ̄|○

   そういった意味では初日強行軍でも最高の天気で

   高取城に来ておいて良かったと思いました。

 

   さて先は長いので次は、ちょっと足のケアーの為、

   一切山は登らず、レンタサイクリングで大和三山

   藤原京巡りと、ここに宿泊した利点をがっぽり頂こう

   とおもってます。

   しかし、結局行好奇心で山のぼってしまった(-_-;)

   ・・・次のお話。   

   ご高覧ありがとうございましたm(__)m













  

<奈良県 歴史探訪1> 日本三大山城 高取城が凄かったよ!(2)

こんにちは-、rekikakkunです。

奈良歴史探訪の高取城の続き、2回目です。

 

さて、ここで高取城の歴史を少し確認してみますと、

・1332年頃、南北朝時代南朝方の越智氏が

 築城を始めたとされています。

・1532年本願寺一向一揆興福寺が戦闘となり、

 興福寺の僧兵を庇護した高取城一向一揆

 攻撃したが、撃退したと伝わってます。

・1585年秀吉の統一と共に羽柴秀長が大和の国主

 となり、家臣の本田利久が石垣、多聞櫓、天守

 侍屋敷、城下町等現在の縄張り構成となった様です。

・1637年本田氏は廃絶し、1640年に植村氏が

 2万5千石の城主となり、幕末まで続きます。

 (植村氏は徳川家康より4代前から仕える生粋の譜代)

・また1863年(文久3年)の幕末維新の時代、

 天誅組高取城を攻撃しましたが、撃退したとの

    ことで、なかなか深そうな歴史がありますねー。

 

さて高取城の中心部の探索を進めます。

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高取城全体図

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本丸中心部拡大図
(全体図の右側の部分の拡大図です。⑩から㉔まで番号順に進みます)

 

 ~(3)十三間多門跡から二の丸、太鼓櫓まで~

    図⑩:十三間多門手前の曲輪(大手門の先)

     前回の大手門から入った曲輪から撮っています。

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(写真23)大手門を入り、次の(右手)十三間多門手前の曲輪 

 

  図⑪:十三間多門跡(二の丸の入口)

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(写真24)十三間多門跡遠景

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(写真25)十三間多門跡

   図⑫:二の丸

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(写真26)十三間多門跡を抜けて二の丸に入る

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(写真27)二の丸のあずま屋

  図⑬:二の丸から見た太鼓櫓

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(写真28)二の丸から太鼓櫓の石垣を見る

   普通二の丸の次は本丸ですよね~、

   その本丸は2重に石垣囲いされてます。
   この写真28は本丸の外側の石垣になっており、

   二の丸に突き出た馬出しみたいになってます。

  

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(写真29)太鼓櫓前の看板

  図⑭:十五間多門跡手前

   本丸に近くなると石垣に雪が残っていて映えますね。

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(写真30)十五間多門の手前の石垣

  図⑮:十五間多門跡

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(写真31)十五間多門跡1

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(写真32)十五間多門跡2

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(写真33)十五間多門跡を入る
(入ると右手が太鼓櫓、左手が本丸)

  図⑯:太鼓櫓

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(写真34)太鼓櫓

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(写真35)太鼓櫓に上がり、櫓跡と十五間多門跡を見る

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(写真36)太鼓櫓に上がり、本丸方向を見る
(本丸と二の丸の間の曲輪)

  ここに入ると四方を囲われているので集中攻撃されそうですね。

  これ自体が桝形かな?

 

 ~(4)本丸の石垣(外から撮影編)~

   二の丸、太鼓櫓から本丸に来ました。

   本丸は中に入って撮影しましたが、

   外からも1周して本丸石垣を撮影しましたので、

   まず外から本丸撮影編ををご紹介します。

   (すいませんねー、複雑で)

   

   図⑰:太鼓櫓正面の本丸石垣  

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(写真37)本丸石垣1

 

 図⑱:本丸虎口へ通じる細い道

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(写真38)本丸虎口へ通じる細い道
基本ここが本丸虎口に通じる道になっていますし
 昔は門もあった様です。

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(写真39)細い道を通ると、本丸へご案内のくまさんと城が登場

 

  図⑲:本丸側石垣

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(写真36) 本丸北側の石垣(虎口側なので複雑ですね)

  図⑳:本丸虎口左側角

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(写真37) 本丸北東角
(ここのアングルがなかなかかと、雪も残ってますねー)

  図㉑:本丸南側の長大な石垣

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(写真38)本丸南側の石垣(凄い反りが長い!)

 

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(写真39)南西角(算木積かな?)

 

  図㉒:本丸西側から太鼓櫓を見る

   う~ん、ここの景色はマチュピチュみたいで圧巻でした。

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(写真40) 本丸西側から太鼓櫓方面を見る

  

  ~(5)本丸の石垣(本丸内から撮影編)~

   さてようやく本丸に入りましょう。

   図㉓:本丸虎口(入口)から撮影

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(写真41)本丸虎口

  図㉔:本丸内で撮影(以下同じです)

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(写真42)本丸虎口を上から見る

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(写真43)本丸内全体

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(写真44)本丸南側を見下ろす(写真38を本丸上から見てます)

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(写真45)本丸南西角を見下ろす

 

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(写真46)本丸南方向眺望
高取城奈良盆地の南端、その南方向は山々が連なってますねー)

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(写真47)本丸北方向眺望(写真右側が飛鳥方向)

  500m超える山頂なのに、石垣造りの曲輪、桝形を

  何重にも配置されていて、兵糧攻め以外落ちないん

  じゃないか?っていうお城ですね。

  

  高取城は3回に分け、次回最後3回目は、

  本丸から駅までメインの登城道を降ります。

  またその行程で高取城で最高の眺望、国見櫓

  をご紹介いたします。

  

  ではご高覧ありがとうございました。m(__)m

 

 

<奈良県 歴史探訪1> 日本三大山城 高取城が凄かったよ!(1)

こんにちは-、rekikakkunです。

 

今回は滋賀県群馬県に続く歴史探訪第3弾、

奈良県に5日間行ってまいりました。

まあ、古都であり修学旅行でも定番の奈良の事、

とても5日では回り切れませんよね。

 

奈良については、東大寺法隆寺等の主要寺院

及び飛鳥はサイクリングで行ったことがあるので・・・

(凄い所だよ~と、小さかった子供を餌に家族5人を

 サイクリングで連れまわしたのは十数年前。)

ん?誰も何が何だか分かってなかったとな?( ;∀;)

 

さて、今回の狙いを下記に定めました。

 1.大河ドラマ 麒麟が来る でも存在感を

   放ってました松永弾正久秀ゆかりの城巡り

 2.日本三大山城の高取城攻城

 3.万葉集でも歌われた大和三山を優雅に巡る

 

また奈良県は鉄道が豊富に通っており、

日本各地で雪の天候も多かったので、

宿泊拠点を「大和八木駅」1箇所に定め、

公共機関をメインに移動しました。

 

探訪場所の概要を下のグーグルマップ で示します。

 ①高取城(1日目)       ④大和郡山城(4日目)

 ②藤原京大和三山(2日目)  ⑤多聞山城(5日目)

 ③信貴山城(3日目)      ⑥平城京(5日目)  

 

 高取城

  高取城は日本三大山城の一つであり、

  城下町との比高差446mは近世城郭日本一の

  高低差をうたってます。

  そこには明治まで存続した譜代植村氏高取藩の

  城郭石垣が壮大に残されていました。

 

 ~(1)自宅から高取城入口まで~

   予定では2,3日目にじっくり行こうと思って

   ましたが、天気が一番良いのが初日との予報だったので、

   早朝自宅を出て朝一の新幹線ひかりに乗り込みました。

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(写真1)新幹線から米原駅付近かな?(朝7:45頃)

   前々日は日本各地で大雪だったので、標高583mの高取城

   大丈夫かな~とちょっと心配してパシャリ(撮影)しています。

 

   京都から近鉄線に乗り換えて、高取城最寄りの駅である

   壺阪山駅に10:06到着しました。

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(写真2)壺阪山駅

   まず事前に調べていた駅を出て右側のロッカ-に荷物をと・・・

   ん? ロッカーが無い? 

      トイレも無い(後で構内にあると聞きました)

      駅員さんは? 居ない( ;∀;)

   お、タクシーが1台。

   初日強行軍なのでタクシ-で山頂入口まで行こうと思っており、

   荷物とかどうしようかと悩んでいたら、後から団体様が

   タクシ-に乗って出発・・・あ、あれ~

   一人駅に残され、久々に途方に暮れました。

   

   写真2でタクシーに変わって、

   両手に荷物を持った私が立ち尽くす図柄(笑)

  

   ここで、帰りに御城印を買おうと思っていた

   「高取町観光案内所夢創館」に行ってみようと

   歩いて15分程で到着し、管理人さんに事情を

   お話したら、

   「荷物預かるわよ、ロッカー撤去されてしまってね~」

   と事情を把握してくれて預かって頂きました。(結果無料)

   そして先程行ってしまったタクシーに連絡を

   してくれて、折り返し来てもらう事に。

   高取城の概略、地図等も頂き、人の親切に触れる

   事が出来、感激しました。

   助かりました、ありがとうございましたm(__)m。

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(写真3)高取町観光案内所「夢創館」

   さて10:40頃タクシ-が来てくれて夢創館を出発。

   運転手さんが、旧藩主の植村氏が以前町長を務めていて、

   今は不在だが、県指定文化財長屋門に近年まで住んでいた

   と教えてくれました。

   コロナで最近の探訪ではあまり聞けない現地の方々の

   お話を聞かせてもらい、大変嬉しかったです。

   ちなみに本日は休日ですが、お客さんはここまで私と

   先の団体さんの2組との事でした。

  (ただし私が下山するまでに、お城で50人程お会いしました)

   前日は凍結があったが本日はそれも無く、雪の影響は

   無いとの事。ほ~良かった。

   

   さてここで、高取城までの経路を下の写真4で示します。 

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(写真4) 壺阪山駅から高取城までの経路
(赤線:往路、青線:復路)

   赤線の夢創館から高取城壺坂口門跡付近までタクシーで登り、

   その他は徒歩です。

   (徒歩を下りだけにして楽しようという魂胆✨)

   因みに青色を登っていくのが高取城としてメインの登城経路です。

 

   やっとここからお城に入っていきますので、お城の縄張図です。

   下図の右下あたりから登城します。

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(写真5) 高取城縄張図

 

 ~(2)壺坂口への入口から大手門まで~ 

  ここから、下の拡大図に赤丸数字で撮影ポイントを示します。 

  右下の①からスタートし、左上の⑨へ番号順に進みます。

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(写真6)壺坂口から大手門 縄張拡大図

   図①:壺坂口への入口

    タクシーに連れて行ってもらった場所が写真7です。

    3、4台は路駐できそうです。

    ただ私がこの写真を撮った後も10人以上入っていたので、

    車を駐車したい場合、休日は早めが良さそうです。

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(写真7)図①: 壺坂口への入口1

 

  ここから登城を開始します。(トイレもある模様) 

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(写真8)壺坂口への入口2

  

   図②:最初の石垣

     上の写真8から歩いて1分経たずに、

     え、もう石垣、これは期待大です(⌒∇⌒)

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(写真9) 最初の石垣

 

   図③:壺坂口門  

     そして最初の門壺坂口門に来ました。

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(写真10) 壺坂口門

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(写真11)壺坂口郭 入口

   図④:壺坂口中門の入口 

    壺坂口の門と郭を終えると、これまで道沿いに多分家臣の

    屋敷等の石垣囲いでしたが、図④の所から城全体を囲う

    構成に変わっていく感じです。 

    図④の左手は高い位置に石垣があり、上から迎撃できます。

    また図を見ると実際は右手方向が入口で、石垣に沿って

    細い道を通らないと門には行けない構造の様です。    

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(写真10)図④の入口

   図⑤:壺坂口中門の正面

    ④を上がると・・・

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(写真11) ④から⑤の正面に見える、二の丸を構成する高石垣

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(写真12) ⑤壺坂口中門の正面 高石垣

    おおお~、とうとう出ました、高い石垣✨✨✨

    こんな立派な石垣が山の上にあるとは( ^ω^)

 

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(写真13) ⑤壺坂口中門を左へ曲がる

  図⑥:壺坂口から⑦の合流点前の高石垣

    右手に高石垣が見下ろしてます。

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(写真14) 図⑥の位置

  図⑦:壺坂口道から大手門手前の合流点を見る

   この⑦の位置が大手門の入口で、かつ二の門、壺坂口、

   吉野口の各登城道が合流する所です。 

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(写真15)図⑥の壺坂口道から⑦正面を見る

 

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(写真16)⑦左手:二の門経由の下山方向(この道がメインの登城道)

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(写真17)⑦右手:主郭方向 (⑧大手門の入口)

   

  ⑧大手門

   この大手門から内側が城の中心部と言えそうで、

   ここからずっと石垣だらけになりそうですよ(⌒∇⌒)

   この辺りから所々に雪が少し残っていました。

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(写真18) ⑧大手門入口正面

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(写真19) ⑧大手門に入ったところ

  ⑨大手門櫓跡

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(写真20) 大手門の櫓跡

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(写真21) ⑨大手門櫓跡の上から、⑦の各登城合流地点を見下ろす

   ⑨の位置まで来ることが出来るのが嬉しかったです。

   守備側から攻撃側への視線がはっきり分かりますよね😊

   主郭に至る登城道が大手門手前で合流し、かつ全て

   到着する前に細くなってるのが良く分かります。

   そしてその道に沿って石垣がそびえ、守備側が攻撃出来ます。

   真ん中の木邪魔だな~(笑)

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(写真22)⑨大手門櫓跡上から大手門桝形虎口を見下ろす

   大手門虎口の構造が上から見えました。

   石垣跡から虎口を見下ろすなんて、

   なかなか見れない構図、凄いな~~~。

 

   流石三大山城といわれる高取城

   全然一つでは描き切れないので、

   今回は大手門までとし、次回主郭部を掲載します。

   ご高覧ありがとうございました。

   最初の前置き話が長かったですねm(_ _"m)

 

   因みに次回最初の門の写真を掲載しますー。

   まだまだ序の口よ( ^ω^)・・・

   500m超えるの山なのに!

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(写真23)

 

<犬山城> 白帝城を撮りに行きました

こんにちは。

rekikakkunです。

 

白帝城(三国志で有名な中国長江沿いの城)との

異名をとる、木曽川沿いの有名な犬山城を、

美しい写真に収める為、行ってまいりました。

 

今回は写真メインなので、さくっと、

手抜きに、、ん?いつも??

おっと~~~、

またまた言い訳に窮していますが・・・

 

1.犬山城遠景撮影

 事前に調べたところ、犬山城を美しく撮る場所は

 主に城の左右にある木曽川の橋からと書いてあったので、

 

 下のグーグルマップの①犬山城(マップ中央)を、

 

 ②南西のライン大橋(マップ左手)と、

 

 ③北東の犬山橋(マップ右手) の

 

 2か所で撮影してきました。

 

 

 10月のとある日、午後に犬山に到着し、13:00頃

 ③犬山橋から犬山城を撮影しましたのが<写真1>です。

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<写真1>③犬山橋から13:00撮影

 う~ん、天気はばっちしなんですが、 

 ちょっと天守が暗くなってますね( ;∀;)

 

 この日は1人ではなく、犬山城や町の方にも

 行ってましたので、犬山駅周辺に宿泊後、

 翌日の朝1人でリベンジしに行きました。

 

 今度は②ライン大橋で朝8:00撮影しました。

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<写真2> ②ライン大橋から8:00撮影

  あらま、逆光でまたまた今一ですねー。

  自転車でぐるっと橋を回るので、正面に行ってみます。

 

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<写真3> ②と③の橋の中間から正面の犬山城を8:10撮影

   これも逆行で暗いじゃないか~。

   朝西側から東方向の犬山城を撮るから当然かー。

   てことは昨日撮った③犬山橋からなら太陽を背に

   撮れるかも。

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<写真4> ③犬山橋から8:15撮影

  おーばっちぐーですねー(⌒∇⌒)

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<写真5> 写真4の少し拡大

 

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<写真6>写真4の拡大

  とまあ、素人撮影としてはまずまずでしょうか?

  午前と午後で太陽の位置を想定して撮影場所を

  考えると、犬山城の場合、朝は犬山橋から、

  午後はライン大橋からの撮影が良いと分かりました。

  今回の収穫です(笑)

 

 2.犬山城天守閣からの遠望  

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<写真7> 犬山城天守閣から木曽川南方向を撮影
(見える橋はライン大橋)

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<写真8> 天守閣から木曽川北方向を撮影
(見える橋は犬山橋。橋の左脇の小山が鵜沼城)

  説明不要の絶景ですよねー。

  手抜きコメント申し訳なく(笑)

 

3.犬山城下町

 犬山城は城下町も食べ歩きグルメが充実してました。 

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<写真9>犬山城城下町(ここから先にお店が増えますよ)

4.犬山駅のホテル 

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<写真10> ホテルのおしゃれな朝食会場
 (もっと撮れば良かった)

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<写真11> ホテルの朝食 (野菜が多くて美味しかったです)

  犬山駅手前の新しいホテルが良かったので是非どうぞ。

  ビジネスホテルですがおしゃれでした。

 

  それでは皆様良いお年をお送り下さいませ。

  ありがとうございましたm(_ _m)

 

 

 

群馬,長野県 歴史探訪5 真田発祥の地 真田本城から砥石城他 4城強行訪問

 

こんにちは。

rekikakkunです。

 

群馬歴史探訪も最終5日目となりました。

本日は四万温泉を出発、国道145号を

西進し、長野県の真田本拠地に入ります。

  

            ※今回地図上の番号は、行った順番を表してます

  

 四万温泉

  さて四万温泉に宿泊し、これから出発しますが、

  ここでも戦国の歴史を知りました。

 

  というのも四万温泉で湯宿を最初に開いたのが、

  岩櫃城主斎藤氏に仕えていた田村さんだそうです。

  真田氏を含めた武田軍に岩櫃城を攻略され、

  主家が越後に逃れる際、田村さんはここ四万に

  留まり追撃を防ぎ、そのまま土着して湯宿を

  始めたとされています。

  四万温泉には、その温泉旅館たむらが大きな

  敷地をもって営業していました。

  歴史が深い(@_@;)  

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(写真1) 四万温泉の風景

 

 <探訪15> 真田道(国道144号)吾妻

   八ッ場ダム

    9:00四万温泉を出発し、国道145号を

    西進すると、かつて紆余左折しながら完成した

    八ッ場ダムがありました。

    少し立ち寄った場所が、この写真です。

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(写真2)八ッ場ダム

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(写真3) ダム湖

   写真3を撮った先が西の方向で、このダム湖

   右側に国道145号があり、そこを進んでいます。

   吾妻渓谷はまた今度。

 

     ②丸岩

   丸岩という景勝地もありました。

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(写真4) 丸岩  (国道145号線を西進中)

 

   途中羽根尾とか、真田氏の上州攻略時に、

   聞いたことがある場所があり、心誘われましたが、 

   そんな時間無いだろーと我慢し、そのまま西進しました。

   下の写真5はなんとか撮った、昔の山道の

   雰囲気が少し感じられた144号線。

   左側が、だいぶ細くなっている吾妻川です。

   この辺、真田幸村とか通らなかったかな~

   通ってたんじゃない?と勝手に思いながら( ^ω^)。  

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(写真5) 国道144号線
(少し雰囲気を感じる道)

  鳥居峠

   そして11:00頃群馬県から長野県に入る県境、

   鳥居峠に来ました。

   真田のドラマとかで、本拠地から上州へ向かう時に

   よく「鳥居峠を越えて」とその名が出ているので、

   行きたかった場所です。 

   つまり私は鳥居峠を越えて真田の里に戻ってきました。 

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(写真6) 鳥居峠

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(写真7) 長野県側から、鳥居峠群馬県方向に見る

   まあ当時とは全く違う景色でしょうが、真田氏が

   この周辺にある山道を通って上州、群馬県へと支配圏を

   広げていったんだな~と感じられて良かったです。

 

   そして(写真8)の「鳥居峠に至る」所の山間を下って、

   写真に広がっている真田の町に入りました。

   (この写真の見えている街並みが、ほぼほぼ真田の本貫地)

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(写真8) 真田の町及び鳥居峠方面を観る

 

<探訪16 真田本城跡>

   鳥居峠を越え長野県に入り、11:30頃

   真田本城(写真8の赤字のところ)に着きました。

   というのも本日の主目的砥石城に行く前に、

   砥石城を見て、感じる、絶好の場所が、

        ここ真田本城なんです。  

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(写真9) 真田本城入口

   この城は頂上、入口に駐車場があり、山登りの準備は

   要らず、(写真10、11)の様に、散歩の気分で行けますよ。  

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(写真10) 真田本城入口から歩く

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(写真11) 真田本城 三の郭

   ところが・・・・

   散歩気分で行けるのに、数分歩いたこの芝生のエリアから

   砥石城がはっきり見えますし、凄い絶景なんですよ😊

   12:00頃戻ってきたらシート引いてお弁当食べてる

   カップルが何組か居ましたよ(⌒∇⌒)

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(写真12) 真田本城から砥石城を観る(南方向を見ています)

   (写真13)にて、砥石城の位置を示します。

   とにかくこの形を見ると砥石城ですね。

   砥石城山頂の左手前がぐいっと急に上がってる感じ。

   (これが地獄の階段だと後で知ることになる・・・)

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(写真13) 真田本城からの砥石城遠望と位置

   

   1541年、真田昌幸のお父さん、幸隆は

   武田、村上、諏訪連合軍によりこの真田の

   本拠地を奪われ、長野業正を頼り、箕輪城

   逃れています。

   その後武田信玄に配属した幸隆は、

   1551年、信玄が落とせなかった砥石城

   幸隆の調略により落とすことで、武田家中内の

   立ち位置を確保し、真田氏の飛躍が始まったと思います。

   1583年真田昌幸上田城を築城するまで、

   この真田本城が真田氏の本拠と推定されてます。

   (ま、砥石城岩櫃城の時もあったかもです)

   

   この景色はまさに戦国時代と同じ景色ですよねー。

   結構近いのが分かりましたし、緊迫感あります。

   逆に、上の(写真8)は、村上義清側の砥石城

   から真田氏の城、町を見ていた景色です。

   

<探訪17 砥石城  

   さて、12:30頃真田本城から砥石城

   到着し、下の写真14の①から順に⑥まで進みました。

           (砥石城の基本コースです)

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(写真14) 砥石城地図 (①から⑥へ進みます)


  ①櫓門駐車場
    国道144号線から入り、砥石城の南側に
    櫓門駐車場があります。

    御城印もここでGET。

    (だが真田6城記念に含まれてない(*_*)、何故だろ?)

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(写真15) 櫓門駐車場 と 御城印売場

  12:20駐車場から登り始めました。(時間もカウントしてみます)

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(写真16) 砥石城入口、なめんなよ!の標識(駐車場から真っすぐ)

 

  ②櫓門

    駐車場から登りますが、5~10分弱で櫓門に着きます。

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(写真17) 櫓門

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(写真18) 櫓門を入ったら山道になります (最初は広いですね)

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(写真19) 櫓門から先に進む、道は1人幅になってきます)

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(写真20) 写真19を振り返ると
(登ってきました。右側は天然の斜面になってます)

   12:39米山城砥石城の分岐点 (出発19分後)

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(写真21) 分岐点 左に行くと米山城、右側が砥石城
(写真14の地図で②を進み、③と④間の道に突き当ったT字路)

  米山城
    砥石城に行く前に、近くなので米山城に行ってみます。  

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(写真22) 米山城に向かう道、意外と急で砂利、石で少し手こずる

   12:43米山城本丸到着 (出発23分後)

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(写真23) 米山城本丸跡 (石碑は、村上義清公の碑)

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(写真24) 米山城から西南方向の上田方面を観る

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(写真25) 米山城本丸から戻る、おっとー結構な下り
(下りる方が危ないよね。山用の装備が必要です)


 砥石城
   米山城から分岐点に戻り、

   12:52(出発32分後)、いよいよ砥石城へ登ります。

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(写真26) 砥石城に登る階段#1

 

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(写真27) 砥石城へ登っています #2
(まじかこの階段、先が見えんぞ(*_*;)

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(写真28) 砥石城に登ってます#3
(へろへろになって踏み外さないように、と自分に言ってます)

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(写真29) 砥石城の本丸が見えてきました#4

   13:00(出発40分後) 砥石城に到着しました。

   ん?階段上った正味時間は、たったの10分弱ですと?。

   なのにこんな汗だくで大変やねん(汗)

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(写真30) 砥石城跡山頂看板

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(写真31) 砥石城

   おっとー、おばさま達が山頂でのんびり

   休んでらっしゃいますねー。
   疲れたと言ってられんな~~~(笑)

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(写真32) 砥石城から南方向の上田方面を観る
急に出てくる上田原古戦場、他分からんもんでねー(笑)

  ⑤本城

    砥石城まで登ってしまえば、本城、桝形城へは

    起伏少なく、本城周辺に郭、虎口、石垣等遺構

    が多くあったので、是非行ってくださいね。

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(写真33) 砥石城を抜け尾根伝いに次の拠点、本城に向かいます

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(写真34) 本城に向かう途中、所々に段差、曲輪があります

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(写真35) 尾根の脇は急な斜面

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(写真36) 本城に入る虎口と石垣

  13:25本城に到着(出発65分後)

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(写真37) 本城跡
(本城の周囲の備えが多いので、基本砥石城の中心部がここ)

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(写真38) 本城の北側を守る空堀

  ⑥桝形城
   本城を越え、最終拠点の桝形城に向かいましたが、

   その途中、丁度草刈りをしている業者さんと出会いました。

   砥石城から奥に入って1人だったので、結構安心😊

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(写真39) 本城を抜け、桝形城に向かう

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(写真40) 左右と前方が開けてきました

  13:30桝形城に到着しました。(出発70分後)

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(写真41) 桝形城

   桝形城の少し先に小さな曲輪があり、業者さん達が休憩がてら

   見に行ったので、私も一緒に行きました。

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(写真42) 桝形城から少し先の見晴らし台に行きます

   

   見晴らし台に行ったら、本日一番の絶景でした。

   13:35着、出発75分後。(片道1時間15分でした)

   ここで真田が攻めてこないか、村上方が監視

   してたんだねー、丸見えだもんね~。

   この右側(南側)には矢沢城があって矢沢頼綱

   居たと業者さんの方が教えてくれました。

   結構南の方まで真田の領地だったのが

   分かりました。

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(写真43) 桝形城から北方向の真田の町、真田本城を観る

  

    また帰る際に、登りと少し違うエリアを通ったら、

    しっかり草を刈った跡が分かりました。

    他の写真でも明らかに見易くなってるのが分かります。

    業者の方はすぐ近くまで車で来れるよと言ってましたが、

    重い機材を持って山道を進んで整備してくれている、

    こうした業者さんの努力のおかげで歴史探訪が

    できるんだな~、とほんと感謝です😊

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(写真44) 帰りに見た本城周辺の草刈り後

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(写真45) 本城周辺の草刈り後2
(本城周辺、もっとしっかり見るべきだった)

   砥石城は東西は神川、矢出沢川で天然の堀となっていて

   真田、村上氏時代には集落もそれぞれあった様です。

   次回機会があれば、大手口から登って本城周辺を探索

   したり、神川、矢出沢川の関係も見てみたいです。

 

<探訪18 松代城

    砥石城駐車場に14:30頃戻りました。

   真田6城記念御城印の残りが松代城上田城です。

      2城共行ったことあるし、平地なのでさらっと行ってしまおう。

   15:30高速を使って松代城到着。御城印GET(5枚目)

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(写真45) 松代城


  <探訪19 上田城
    16:30頃上田城に行きました。

    ちょっと行っただけなので写真だけ。     

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(写真46) 上田城

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(写真47) 上田城本丸堀

 <探訪20 上田観光会館>
   上田城の御城印GETと共に、6枚揃ったので、

   真田街道6城攻城記念を頂きました。

   砥石城重要だと思うんだけどな~、まだ言ってます( ´∀` )

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(写真48) 真田街道 六城記念御城印

 

   かれこれ5日間にわたり、群馬県、長野県を巡り、

   真田の史跡を中心に探訪してまいりました。

   真田氏の歴史をざっくりまとめてみますと・・・・、

 

  1541年 真田幸隆が真田の領地を失い、

        上州箕輪城主長野業政のところへ亡命

  1551年 真田幸隆砥石城を攻略し本領回復

  1563年 真田幸隆岩櫃城攻略

  1580年 真田昌幸が名胡桃城攻略

  1581年 真田昌幸沼田城攻略

  1583年 真田昌幸上田城築城

  1600年 第2次上田合戦時、砥石城に幸村、その後信幸が入る

        関ヶ原で西軍敗北により昌幸、幸村は上田城を離れる

  1615年 真田幸村大阪夏の陣にて戦死

  1622年 真田信幸が松代に国替え、松代藩は幕末まで続く

  1681年    沼田藩は5代真田信利の時、改易  

 

  特に1541年から1615年までの

  75年間3世代にわたる真田氏の歴史は、

  心引き寄せられるものがあります。

  それは、一度領国を全て失ってるのに、

  時代の荒波を乗り越え、明治まで続く家を

  守っていった彼らの実力に感嘆すると共に、

  その心情が、場面場面で分かる様な気がする、

  親しみやすさがあるからではないでしょうか?

 

  さあ~て、今日昼はコンビニおにぎり

  だったから、夕食はかつでも食べよう。

  全部廻れたので、翌日は帰宅のみにしました。

 

  ということで、あまりにも長い、だらけ文章、

  我慢して観ていただきありがとうございました。

 

群馬県 歴史探訪4 威風堂々 岩櫃の城 と 四万温泉

こんにちは。

rekikakkunです。

 

群馬歴史探訪も4日目となりました。

本日は①沼田を出発し、真田道とも言われる

国道145号線を西進、中山盆地の道の駅

を経由し、岩櫃城四万温泉へと向かいます。

 

<探訪10>

 ②道の駅中山盆地

   朝8:00沼田市のホテルを出発し、

   8:30頃道の駅中山盆地に到着しました。

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(写真1) 道の駅中山盆地のお店

   ここはテレビでお勧めの道の駅として紹介されたのを見て、

   寄りたいな~と思ってました。

   そしたらちょうどここが中山城の御城印入手場所

   でしたので立ち寄りました。   

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(写真2) 道の駅中山盆地からの眺望
(きれいな風景でした)

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(写真3) 道の駅中山盆地の駐車場と展望台

   うん、凄く広い駐車場で、店外のトイレもあるので

   車中泊も十分できそうですね。

 

<探訪11>

 ③中山城跡

   中山の道の駅からすぐ近く、ほぼ隣に

   中山城がありました。(知らなかったー)

   中山城は北条氏が対真田対策で沼田城岩櫃城の間に

   くさびの城として築城したとのことです。

   ただこの時、岩櫃と沼田は真田が占領していたので、

   思いっきりど真ん中のこの場所、守るの厳しくない?

   沼田万鬼斎の子が中山城代になったが、真田氏に

   攻撃され落城、命を落としたみたいです。

            う~ん、沼田氏はここでも昌幸にやられてるな~、

    ちと可哀そう(;^_^)

   

   ですが信長の死後、上州での真田氏と北条氏の緊張感、

   ぴりぴり、感じられますよねー。

   

   これから岩櫃城に行くので、中山城は遠望のみ

   としました。(御城印3枚目を道の駅でGET)   

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(写真4) 中山城跡 (道の駅中山盆地のすぐ近くです)

 

<探訪13>

  ④岩櫃城

   さて、いよいよ今回探訪の主目的の一つである

   岩櫃城の駐車場に9:30頃到着しました。

   ワクワク\(^_^)/

   すぐ先に案内所があります。(御城印4枚目GET)

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(写真5) 岩櫃城沢登山口観光案内所

  案内所内展示の2つの模型が素晴らしいので、両方載せちゃいます。

  (写真6)の真ん中にある白い小さな札が、

  案内所の位置で、ここまで車で行けます。

  これ見てイメージ出来ました。 

  製作関係の方々、ありがとうございます😊

  作ろうと思い立った発想が凄いー👍

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(写真6) 岩櫃城模型1
(写真下側が南方向で吾妻川岩櫃山の東側中腹に城郭がある)

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(写真7) 岩櫃城模型2

  案内所から出てすぐに登山口の入口に来ました。

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(写真8) 岩櫃城沢登山口の入口

  

   入口に入ると、すぐに(写真9)の分岐点になります。

   左方向に曲がり、城跡方面に向かいました。

   正面にクマ出没注意の表示、最近前橋市で被害が

   あったので、鈴を鳴らしながら行きました。

   (金山城の様な独立峰だと安心なんですけどね~)

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(写真9) 平沢登山口 案内所から最初の分岐点

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(写真10) 最初の山道

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(写真11) 中城跡


  本丸の方向、左に行くと殿屋敷、右は本丸方向です。

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(写真12) 中城を過ぎた分岐点 

  (写真12)の分岐点を左に行き、殿屋敷に行きました。

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(写真13) 殿屋敷

  真田昌幸の地炉の間(居住区)があったかも・・・という話。

  最初は信じてなかったけど、見晴らしが良くて、

  整地も広くなされてるので、ほんとかもよー(⌒∇⌒)

 

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(写真14) 分岐点に戻り、中央の竪堀を登る

 

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(写真15) 中城と二の丸の間の曲輪跡

  中城から名前のない曲輪群(写真15)の藪の中を

  通り抜けると、(写真16)の開けた場所に着きました。

  右手の階段を上がると二の丸です。

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(写真16) 二の丸への入口階段

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(写真17) 二の丸跡 (写真今一でした)

 

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(写真18) 本丸に向かう切岸と横堀だったかな?

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(写真19) 本丸脇の竪堀

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(写真20) 本丸手前から南側の眺望

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(写真21) 先に本丸が見えてきました

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(写真22) 岩櫃城本丸に到着しました

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(写真23) 本丸から山頂に向かう尾根
(ここを真っすぐ行けば、岩櫃山の山頂等、先に行けます)

   今回はここまでにして、下りると、

   すぐに本丸跡分岐点という地点になります。

   右の方向の沢通りを下りました。

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(写真24) 本丸から少し降りた所の分岐点

  沢通りを下り、案内所に戻ったのが出発して1時間程。

  これが岩櫃城最短コ-スと思います。

  次機会あればもっと廻りたいな~と思います。

 

  その後、岩櫃山全景が見えるビューポイントを探しに、

  吾妻川南に車を走らせ、県道28号から岩櫃山

  南側から撮りました。(写真25)

  威風堂々としてるよねー、素晴らしい👍  

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(写真25) 岩櫃山の絶景 と 岩櫃城の位置

 

<探訪14 四万温泉 

   11:30頃岩櫃を離れ、国道353号線を北上し、

   本日の宿泊地四万温泉に向かいました。

 ⑤中之条ダム

    途中中之条ダムの駐車場が道沿いにあって寄りました。 

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(写真26) 中之条ダム (虹が見えました)

 ⑥ 四万の甌穴群

   四万温泉に向かう途中の国道沿いの観光地です。

   川底の岩盤のくぼみ等に石が入って渦流に揉まれる

   うちに岩盤に穴ができたとのことです。

   駐車場から少し階段降りてすぐに見れますよ。 

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(写真27) 四万の甌穴群

 ⑦四万川ダム、奥四万湖

   四万温泉に13:00頃到着しました。

   車を駐車場に置き、自転車で奥四万湖に

   サイクリングとばかり、向かいました。

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(写真28) 四万川ダム

   ・・・ところが温泉地からダムへは結構な坂を

   登らなくてはならず、急坂すぎて途中歩いたり

   しながら、なんとかダムに到着しました。(;^_^A

   ダム、奥四万湖は写真の通り綺麗でしたよー😊  

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(写真29) 奥四万湖

  湖から温泉街へは逆に下りになり、自転車で

  楽々進んで行きました。

 

  そうすると温泉街に着く途中に喫茶店がありました。

  14:30頃と中途半端な時間でどうしようかな~

  と悩みましたが、ホテル宿泊に夕食は付いていないので、

  万が一お店がないと困るなー、今入ろう。

  (この判断が後で吉とでます(⌒∇⌒))  

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(写真30) 四万温泉に戻る途中に寄った美味しい洋食店

   お店に入ったら、夫婦お二人で経営している

   結構良いお店でしたので、お勧めの

   ビーフシチューコースを頼みました。 

   創業30年以上とのことで納得の味、

   美味しかったです(⌒∇⌒) 

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(写真31) ビーフシチユーランチ (お肉はほろほろ柔らかいぞ)

    

  四万温泉

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(写真32) 四万温泉の風景

 

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(写真33) 皆さんも写真とかで見たことありますよね~
積善館夜景 (綺麗でしたよー、泊ってないけど)

   さてと、今日も色々行って疲れたな~

   軽く食べるか~、

   と夜温泉街を歩きましたがお店開いてなかった😢 

  

   そういうこともあろうかと、ホテルの夜食店が

   20:00開店と確認してたので、ホテルに戻ったら

  

   ・・・やってませんでした。。。_| ̄|○ 

  

   そして最後に確認していたホテルの売店は・・・

   ・・・おっとー、8:30閉店5分前、ギリセ-フ。

   「緑のたぬき」を買って、部屋でお湯を注いで(笑)。

       

   今回唯一の温泉宿夕食は終わりました( ̄∇ ̄;)

   でもお昼喫茶店行って、そこで美味しい食事が

   できたから良かった~、ホッ。

   4日目が終わり、明日は探訪最後日です。

  

   真田の侵攻方向と逆を辿っておりますが、

   県境の鳥居峠を越えて長野県、真田の里、

   上田に向かいます。

   行ったことがない砥石城登城がメインです。

   鳥居峠も通りたかったのだ、

   真田のみんな峠越えしてるよねー、多分( ̄∇ ̄;)

 

   御鑑賞ありがとうございました。

   本日のル-トマップを添付します。