こんにちは。
rekikakkunです。
群馬歴史探訪も最終5日目となりました。
本日は四万温泉を出発、国道145号を
西進し、長野県の真田本拠地に入ります。
※今回地図上の番号は、行った順番を表してます
①四万温泉
さて四万温泉に宿泊し、これから出発しますが、
ここでも戦国の歴史を知りました。
というのも四万温泉で湯宿を最初に開いたのが、
岩櫃城主斎藤氏に仕えていた田村さんだそうです。
真田氏を含めた武田軍に岩櫃城を攻略され、
主家が越後に逃れる際、田村さんはここ四万に
留まり追撃を防ぎ、そのまま土着して湯宿を
始めたとされています。
四万温泉には、その温泉旅館たむらが大きな
敷地をもって営業していました。
歴史が深い(@_@;)
<探訪15> 真田道(国道144号)吾妻
9:00四万温泉を出発し、国道145号を
西進すると、かつて紆余左折しながら完成した
八ッ場ダムがありました。
少し立ち寄った場所が、この写真です。
写真3を撮った先が西の方向で、このダム湖の
右側に国道145号があり、そこを進んでいます。
吾妻渓谷はまた今度。
②丸岩
丸岩という景勝地もありました。
途中羽根尾とか、真田氏の上州攻略時に、
聞いたことがある場所があり、心誘われましたが、
そんな時間無いだろーと我慢し、そのまま西進しました。
下の写真5はなんとか撮った、昔の山道の
雰囲気が少し感じられた144号線。
左側が、だいぶ細くなっている吾妻川です。
この辺、真田幸村とか通らなかったかな~
通ってたんじゃない?と勝手に思いながら( ^ω^)。
③鳥居峠
そして11:00頃群馬県から長野県に入る県境、
鳥居峠に来ました。
真田のドラマとかで、本拠地から上州へ向かう時に
よく「鳥居峠を越えて」とその名が出ているので、
行きたかった場所です。
つまり私は鳥居峠を越えて真田の里に戻ってきました。
まあ当時とは全く違う景色でしょうが、真田氏が
この周辺にある山道を通って上州、群馬県へと支配圏を
広げていったんだな~と感じられて良かったです。
そして(写真8)の「鳥居峠に至る」所の山間を下って、
写真に広がっている真田の町に入りました。
(この写真の見えている街並みが、ほぼほぼ真田の本貫地)
<探訪16 真田本城跡>
鳥居峠を越え長野県に入り、11:30頃
真田本城(写真8の赤字のところ)に着きました。
というのも本日の主目的砥石城に行く前に、
砥石城を見て、感じる、絶好の場所が、
ここ真田本城なんです。
この城は頂上、入口に駐車場があり、山登りの準備は
要らず、(写真10、11)の様に、散歩の気分で行けますよ。
ところが・・・・
散歩気分で行けるのに、数分歩いたこの芝生のエリアから
砥石城がはっきり見えますし、凄い絶景なんですよ😊
12:00頃戻ってきたらシート引いてお弁当食べてる
カップルが何組か居ましたよ(⌒∇⌒)
(写真13)にて、砥石城の位置を示します。
とにかくこの形を見ると砥石城ですね。
砥石城山頂の左手前がぐいっと急に上がってる感じ。
(これが地獄の階段だと後で知ることになる・・・)
1541年、真田昌幸のお父さん、幸隆は
武田、村上、諏訪連合軍によりこの真田の
本拠地を奪われ、長野業正を頼り、箕輪城に
逃れています。
その後武田信玄に配属した幸隆は、
1551年、信玄が落とせなかった砥石城を
幸隆の調略により落とすことで、武田家中内の
立ち位置を確保し、真田氏の飛躍が始まったと思います。
この真田本城が真田氏の本拠と推定されてます。
この景色はまさに戦国時代と同じ景色ですよねー。
結構近いのが分かりましたし、緊迫感あります。
から真田氏の城、町を見ていた景色です。
<探訪17 砥石城>
到着し、下の写真14の①から順に⑥まで進みました。
(砥石城の基本コースです)
①櫓門駐車場
国道144号線から入り、砥石城の南側に
櫓門駐車場があります。
御城印もここでGET。
(だが真田6城記念に含まれてない(*_*)、何故だろ?)
12:20駐車場から登り始めました。(時間もカウントしてみます)
②櫓門
駐車場から登りますが、5~10分弱で櫓門に着きます。
③米山城
砥石城に行く前に、近くなので米山城に行ってみます。
12:43米山城本丸到着 (出発23分後)
12:52(出発32分後)、いよいよ砥石城へ登ります。
13:00(出発40分後) 砥石城に到着しました。
ん?階段上った正味時間は、たったの10分弱ですと?。
なのにこんな汗だくで大変やねん(汗)
おっとー、おばさま達が山頂でのんびり
休んでらっしゃいますねー。
疲れたと言ってられんな~~~(笑)
⑤本城
砥石城まで登ってしまえば、本城、桝形城へは
起伏少なく、本城周辺に郭、虎口、石垣等遺構
が多くあったので、是非行ってくださいね。
13:25本城に到着(出発65分後)
⑥桝形城
本城を越え、最終拠点の桝形城に向かいましたが、
その途中、丁度草刈りをしている業者さんと出会いました。
砥石城から奥に入って1人だったので、結構安心😊
13:30桝形城に到着しました。(出発70分後)
桝形城の少し先に小さな曲輪があり、業者さん達が休憩がてら
見に行ったので、私も一緒に行きました。
見晴らし台に行ったら、本日一番の絶景でした。
13:35着、出発75分後。(片道1時間15分でした)
ここで真田が攻めてこないか、村上方が監視
してたんだねー、丸見えだもんね~。
この右側(南側)には矢沢城があって矢沢頼綱が
居たと業者さんの方が教えてくれました。
結構南の方まで真田の領地だったのが
分かりました。
また帰る際に、登りと少し違うエリアを通ったら、
しっかり草を刈った跡が分かりました。
他の写真でも明らかに見易くなってるのが分かります。
業者の方はすぐ近くまで車で来れるよと言ってましたが、
重い機材を持って山道を進んで整備してくれている、
こうした業者さんの努力のおかげで歴史探訪が
できるんだな~、とほんと感謝です😊
砥石城は東西は神川、矢出沢川で天然の堀となっていて
真田、村上氏時代には集落もそれぞれあった様です。
次回機会があれば、大手口から登って本城周辺を探索
したり、神川、矢出沢川の関係も見てみたいです。
<探訪18 松代城>
砥石城駐車場に14:30頃戻りました。
2城共行ったことあるし、平地なのでさらっと行ってしまおう。
15:30高速を使って松代城到着。御城印GET(5枚目)
ちょっと行っただけなので写真だけ。
<探訪20 上田観光会館>
上田城の御城印GETと共に、6枚揃ったので、
真田街道6城攻城記念を頂きました。
砥石城重要だと思うんだけどな~、まだ言ってます( ´∀` )
かれこれ5日間にわたり、群馬県、長野県を巡り、
真田の史跡を中心に探訪してまいりました。
真田氏の歴史をざっくりまとめてみますと・・・・、
1541年 真田幸隆が真田の領地を失い、
上州箕輪城主長野業政のところへ亡命
1580年 真田昌幸が名胡桃城攻略
1600年 第2次上田合戦時、砥石城に幸村、その後信幸が入る
1622年 真田信幸が松代に国替え、松代藩は幕末まで続く
1681年 沼田藩は5代真田信利の時、改易
特に1541年から1615年までの
75年間3世代にわたる真田氏の歴史は、
心引き寄せられるものがあります。
それは、一度領国を全て失ってるのに、
時代の荒波を乗り越え、明治まで続く家を
守っていった彼らの実力に感嘆すると共に、
その心情が、場面場面で分かる様な気がする、
親しみやすさがあるからではないでしょうか?
さあ~て、今日昼はコンビニおにぎり
だったから、夕食はかつでも食べよう。
全部廻れたので、翌日は帰宅のみにしました。
ということで、あまりにも長い、だらけ文章、
我慢して観ていただきありがとうございました。